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(回答先: Matrix論の周縁 投稿者 如往 日時 2003 年 12 月 05 日 08:38:00)
たとえ儚くても、少年には宇宙を射貫くような志が要る。
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Matrix論の基底の“共有できる願い”
如往さん、今晩は。
ご多忙中にご投稿くださり有り難うございます。
わたしもなかなかまとめて書くのがしんどい状況になって来ました。
今回、如往さんのご投稿から、短いながらも同時代の世界に対しMatrix論が持つ“重要な基幹の線”見えていると想いますので、
これを、適いますならば共有のために確認させて頂く事にしたいと願っています。(愚民党さんよろしくお願いいたします)
>誰であったか失念しましたが、セム語系に代表される宗教を荒野(砂漠)の宗教、たとえば日本におけるような八百万の神を拝す
>る宗教を森の宗教と語っていたような記憶があります。私はこれをMatrixと切断された記憶をもつ民と、Matrixとの繋がりを未だに
>意識に収蔵している民の関係として捉えています。しかし、この関係性の発生状況は偶然としか言いようがなく、殊更に宿命的な
>ものであるとする選民思想に絡めとられることを潔しとはしていません。ただし、おそらく前者を済うことができるのは後者をおいて
>は他にないとも、それが結果として(地球という)Matrixを済うことになると夢想してもいます。
『Matrixと切断された記憶をもつ民と、Matrixとの繋がりを未だに意識に収蔵している民』
これと同型の認識を私も抱いており、この事が私の思索とモノ創りの作業を深くから支えています。ただ『Matrixと切断された』と
表現される事象は、表層文化的に妥当とは想いますが、私は別の説明を採用しています。
生物的、深層心理的には“内なるMatrix”が潜勢しており、これが十分文化的にも活かされる形で発達させられない文化的原理に
よって抑圧されてしまっているのだという認識です。
“外なるMatrix”と“内なるMatrix”の出会いとそれらへの仲立ち(媒介)の智恵に依って、はじめて“Matrix”と指呼される構造の
直感される事象が現成するという認識です。この仲立ちの機能、装置が文化の中に智恵として備わり、十分に働いているかどうか
が問題だと想っております。
これと同じ事の抑止を『切断』という形で表現されたのでしたら、抱いている認識にさほど異なる事はそう無さそうですね。
繋がれる事が期待されうる“遮断”“抑止”が私のイメージでした。
>おそらく前者を済うことができるのは後者をおいては他にないとも、それが結果として(地球という)Matrixを済うことになると夢想
>してもいます。
地球の現状を救えるか救えないかは解からない事ですが、この認識があるか無いかは個人が世界に対して持つ姿勢、navigation
の基盤及び自己の小宇宙生成に大きく影響してくる事と想っています。ですから同志を見出したようで心強いです。
なお別稿で書いた事ですが…
人格性は無く、生命/意識の成長の手掛かりの格子(Matrix)であるが生物的プログラム性があり、生命性の原基のようなもの…。
人格性は無いにもかかわらず、その智慧の母体的性質により母神的印象を抜きがたく帯びるもの…。
このような立場ですから、地球そのものをMatrixと表現するにはためらいがあります。(内在はしている)
しかし、信頼に足るリアリティと強度を持っている事象を、共有のまなざしの下に、ここで確認できていると感じております。
このMatrixに上向の階梯性をもって重なってくるもうひとつの原理を想定しているのですが、これには手をつけたばかりです。
私は思索をしつつも、現実にモノを創り、コトを起こしてゆく立場なので、思索の厳密化や社会科学的理論になる形を追求・精錬す
るよりも、直感を確かめつつ実践に向かいます。
どうぞこれからも宜しくお願い申し上げます。