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(回答先: レス3:カソリック成立への国際金融家の関わり 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 03 日 19:26:19)
あっしらさん今晩は
大変丁寧で詳細なレス有難う御座います。
>宗教運動はイコール政治運動であり、資金も膨大に必要とし、人材も大量に必要です。
>当時のローマ帝国で、既存の宗教(神話的国家神やミトラス教)を覆してキリスト教を
>国教化できるだけの資金力と知性力を持つ存在は、"彼ら"しかいないと考えています。
>また、キリスト教が、ギリシアやローマに由来するものではなく、
>バビロニア起源のユダヤ教を源流にしていることからもそのように判断しています。
これは「ギリシア、ローマには大資産家がいなかった。」という前提があって成立すると思います。
しかし実際は、フェニキア人の商売敵ギリシア人は、
商業・貿易などに従事してきた歴史がありフェニキアと大差あるようにも見えません。
ローマも共和政時代既に元老院階級が(様々な抜け道を利用して)様々な商業、
さらには高利貸しにも従事していたようです。
私の知る限り、独自の(野暮ったい)青銅貨幣を使用していたローマにぼちぼち
金貨銀貨が流入するのは、共和制ローマが南イタリアのギリシア諸都市を
版図に収めた頃からのようです。
ですから、カルタゴと接触する以前にローマ貴族が金銀の持つ力に目覚めても不思議ではないでしょう。
金融業者はなにもユダヤ・カルタゴ等セム系の民族のみではなく、
ギリシア・ローマ、特にギリシア人にも多く居たと見るべきではないでしょうか?
ローマ貴族はビジネスパートナーとして、民族的にも近く、彼らの目から見れば
進んでいたギリシア人を多く雇い入れていたようです。
となると、カルタゴやユダヤでなければならない理由がどうもイマイチ理解できないのです。
カルタゴには当時既に高層ビルや金融街があったそうなので、確かにNYに似てなくもないですが…。
余談ですがユリウス=カエサルの伝説的大借金に”彼ら”の影を感じ取る事は可能でしょうか?
>利子取得の禁止こそが、国際金融家のいやらしさであり智恵です。
>利子取得禁止をルールにすることで、"彼ら"の競合は出にくくなります。
>そして、ルールは万人に示されますが、ルール違反のピックアップや罰則の適用は、
>権力者や権威者が恣意的に行えるものです。
これはなかなか気がつかない手口ですね。
宗教改革の背景にも国際金融家がいるのでしょうか?
彼らが名目上の利子取得禁止で金融を独占していれば、
宗教改革による”解禁”は阻止する方向に動いたはずですが。
”解禁”しても差し支えないくらいの占有率を既に確保してあったということでしょうか?
>ローマ法王に叙任された中世欧州諸国の国王が、戦費を中心にどれだけの借り入れをし、
>どれだけの利息を支払ったかを考えればご理解いただけれると思っています。
ローマ教皇や神聖ローマ皇帝などが選挙資金・戦費等の為、
借金漬けだったという話は聞いた事があります。
彼らの借金返済の為、魔女狩り、免罪符の販売、ハプスブルグ家の新大陸での略奪
があったそうなので、結局西洋史に残る残酷な事件は大抵
”間接的に”金融家が引き起こした災いであり、近代以降はそれが世界中に広がっていく
プロセスであると大雑把に把握しています。
おそらく国際金融家は歴史的に、イスラム=ウンマ共同体こそが文字通り最強最後の敵であるという
自覚を持っており、確信犯的に今回の軍事行動を進めているのでしょう。
どうみても自衛隊派遣は愚の骨頂としか思えない。
「なんでもいいからやるならやっちまえ」式に
意味不明に強硬な人は私の周囲(そこらの普通の庶民)にもいます。亡国の兆しでしょう。
あっしらさんは現在の中東での戦争に対し「世界最終戦争」という表現をされているようですが、
これは人類史において最後の戦争という意味でしょうか?
>キリスト教は、多くの人々を精神的に奴隷化する宗教です。
>(幸せを感じるのなら奴隷も悪いとは言えませんから、
>キリスト教信仰を否定するつもりはありません)
私も、イエスの有名な
「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ。」
「すべての財産を貧しい人に差出し、無一文となれ。」
等の文句に「奴隷根性」を感じていました。
私はキリスト教徒ではありませんが、友人に信者がおり、
これらの「奴隷根性」について聞いてみた事があります。
結論を話すと、キリスト教徒はこういったくだりをそのまま受け取らず、
「たとえ」として理解しているようです。
ですから彼らは「奴隷根性」という受け止め方はしておらず、
キリストは精神的に相当な救いになっているようです。
私は、人間が生まれながらにして罪深い存在であるとは少しも思いませんので
今後もキリスト教徒になることはないと思います…。
(キリスト教どころか何教徒でもない、我ながら典型的な日本人です。
無自覚の日本教徒かもしれませんが、「和の精神」は適度に大切であるとは思うが
別段信じてもおらず、「怨霊」「言霊」「ケガレ」も信じず
「天皇」に到っては信仰の対象として全く意識できない。
ということは日本教徒ですらないということになる。)
話はそれますが、日本人がキリスト教化してこなかった事実に不思議さを感じます。
江戸時代等のキリシタン弾圧だけでは説明しきれない何かがあるように思えます。
ここまで西欧化が進み、クリスマスを祝い、キリスト教式の結婚式を挙げる
日本人の大半がどうしてキリスト教徒にならないのだろう?
感性や価値観など日本人に一番近いと思われる韓国人の30パーセント以上が
現在キリスト教徒であることを考えると、奇妙に思えます。
私は他の投稿者の方と比較するとおそらく読み書きが相当遅いので、
他のレスについては日を改めて書き込みをさせて頂きます。
ご無理にクイックレスポンスされなくても結構ですので、
お時間の空いている時にでも簡単に返事をお願いしたいと思ってます。