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(回答先: Re: 韓国のキリスト教化・ほか [+あっしらさんへ] 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 12 月 04 日 23:25:49)
マルハナバチさん、初めまして。
>三四郎さんの率直な問いが現われた事によって、
>考えを深めてゆく手掛かりを頂く事ができました、感謝申し上げます。
こちらこそ読んで頂いて有難うございます。
実はインターネットに投稿したのはこの阿修羅♪サイトが初めてです。
私はそれほどインターネットをやりませんが(以前は簡単なニュース閲覧と書籍注文くらい)、
何らかの情報を探していて偶然発見しました。
初めは随分とまどって見ていましたが、ある程度慣れてくると
色々質問したい事や突き詰めてみたい事、自分の意見などが頭をもたげてきたので
このように投稿している次第です。
あっしらさんには随分しつこく詰問しているので申し訳なく思っています。(笑)
初めの投稿のアクセスカウンタが既に400人近く達していますが
自分の書いた文章がこれほど多くの人に読まれていることに驚いています。
今までの人生ではなかった事です。不思議な充実感を感じています。
>韓国人の祈祷好きをキリスト教と結びつけて了解しようとした説を書いている本は
>読んだ覚えがあります。韓国のムーダン(巫堂)をご存知でしょうか、
>シャーマン(巫術者)による共同の祈祷と巫術が行われ、これは
>韓国の一般民衆の精神的基層から根深く生きられてきた文化のようです。
>その本では、この地盤の上に近代の階層的上位性のイメージも伴って移入したのが
>キリスト教だという捉え方であったと想います。
(マルハナバチさんに教えていただいたサイトは後日訪問して
感想を書かせていただくつもりです。)
シャーマニズムと関連があるのかは良くわかりませんが
キリスト教にシャーマニズム的要素があるとは思えません。
キリスト教が普及していったのは戦後のようです。
以前韓国人と知り合える機会が幾つかあったのですが、
かなりの割合がキリスト教徒で少し驚きました。
ある韓国人キリスト教徒によると、
「韓国は度重なる侵略や戦争で常に痛めつけられ続けたので、
信仰を求める気持ちが強くなった。
反面日本は経済的繁栄を謳歌してきたので信仰への欲求が低いのではないか。」
とのこと。
実際はどうなのかわかりませんが、個人としてこのような見方もあると言う一例です。
>後、彼らの抱く深い感情「ハン・恨」を越え、
>あるいはカタルシスティックに受容してゆく行程として、
>キリスト教は受容されやすかったの
>ではないかと個人的に感じることがあります。
「ハン・恨」とは「恨み(うらみ)」のことでしょうか?
私は韓国人は日本人に近い精神性を持っていると思ってますが、
それでもやはり違うな、と感じる部分も沢山あります。
それらついてはまた改めて書き込んでいこうと思います。