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(回答先: 舞踏-マルハナバチさんへ 投稿者 愚民党 日時 2003 年 12 月 03 日 05:55:51)
未明に眠った手紙
12月3日昼
愚民党さん、これは3日未明に投稿しようとしたものです。
私のミスで投稿ミスがあり、このことに耳を澄ませて聞き入り、結局三度目の滞留に至ったものです。
天の配慮か…(笑)。
既に新たなスレッドを立てて頂いておりますが、この過程を邪魔せず補足的に支え、挑発する捨石になってくれそうです。
私からの『Matrix』関連の応答は、如往さんの『Matrix』のお考えを待ち、共創の場をもって育てに参加させて頂きたいと想います。
以下御笑読下さい。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………
12月2日夜
愚民党さん、こんばんは。
これは11月8日に書いていたものに加筆しました。愚民党さんが滅入っておられるようであったため、つい、書き始めたものです。
しかし、暗黒舞踏への批判性も含んでいるので投稿を躊躇してしまい、お蔵入りしていました。
首根っこを掴まえて、しっかりしてくれよ愚民党さんよお…と揺すぶる気持ちで書き始めていました。
原版に新たなる加筆をして育ててあります。
*……………
イラク戦争の最中の愚民党さんの秀作コラージュ連作表現のひとつにいちゃもんをつけた人間を覚えていらっしゃいますか。
坊やブッシュがパウエル氏に次の指令を抱いている絵に対していちゃもんをつけた人間ですが…。
私です。
今一歩で舞台の芸がぐんとイキきらずににヘたれると、たとえそれが優れた芸人であってもスゲ腹立つもんだから、舞台に上がって
大根で打ちはたくようにして、当時ご無礼つかまつりました。
フセイン像が倒れるそばにアメリカ兵が横顔を見せて立っている絵は、妙にキリコの流れを想い出させました。もう一度見てみたい
けれど表題が解りません…。(イラク侵略戦争糾弾愚民党コラージュ展覧会を今度板内で取りまとめ、開いてくださいませんか)
私は学生時代に田中泯さんの舞踏(その頃は舞態と言っていたと想います)ヨネヤマ・ママコ(ジァンジァンが懐かしい)、木佐貫
邦子、山崎浩太、利賀山房…からM・ベジャール、J・ドン、S・ギエムなど色々見ていたんです。(時々学生にそういう奴がいるけ
れど、それ!)
先日、大駱駝鑑の舞踏が何と『NHK教育番組』で放送されるのを見ましたが(大駱駝鑑ははじめて)、あきれました。つまんない。
昔、夜の奥飛騨利賀山房で見た白石加代子の方がはるかに凄かった。http://www1.linkclub.or.jp/~hyaku/shiraishi/
山海塾も含めて暗黒舞踏系って、もう、一度は使命を終わっているんじゃないでしょうか。
自分自身を乗り越えてゆく内的契機をもはや見失って、パターンを踏襲している。母国ではお先が見えてしまっている。これって、
凄く歯がゆいです。愚民党さん、一度、舞踏は辞めたと仰っていましたが、“現状のままなら”日本において暗黒舞踏をお辞めに
なって正解ではないでしょうか。次なる命と魂の必然が感じ取れない。
そこで想うんですが、なぜ新たなる翁舞のような舞が、兆すべき新たなる地域共同体のイマージュの中から現われないのだろう
かと。翁が女人の天の羽衣をまとって神韻漂う舞を舞ってもいい。翁による狂女の舞踏から天人の舞いへでもいい。
鎮守の森の中で日本のカミをうつす舞の再創造、あるいは変容。神遊びの舞。身の響きを客に共鳴させる舞。体力ではなく身の
深い記憶を呼び覚ますようにして静かに舞う芸…。
これから、日本の高度成長前の国土の情景を知っている人々が高齢になってくる時に、まだ暗黒舞踏なんだろうかと想います。
「革命」と暗黒舞踏は愚民党さんの身体の内で連動しているのか解りませんが、どうも暗黒舞踏は既に短期的な時代スパンの中
では「使命」を終わっているように見えてなりません。
その意味で“『元藤Y子 追悼の夕べ』 舞踏セレモニー「天地☆光と闇」”は“葬り:ホオリ:屠り”と新たな命の受け継ぎとして、私の中で了解されました。
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/463.html
ああ、もう抵抗と異議提示の群がる身体じゃない…個々が深みから個々の上向する命と魂の形を汲み出して放つ舞踏が見たい。
>もうすべてがいやですね、わたし。どうもね、このうちなる重さ、そして何かそれに変わって目覚めようとしている身体感覚の
>something、これねえ、探求する価値あると思うんですね。
↑Re: なんかねえ、あなたの言葉で私の内側の何かがうごめいているんですよ。モゾモゾってね。
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/1093.html投稿者 おだいこんさん 日時 2003 年 7 月 15 日
↑Re: さなぎの中の蝶
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/1107.html投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 7 月 15 日
*
黒岩さんがお亡くなりになった時の愚民党さんの哀歌のような文を拝読しましたが、その中で『日本はもう失われた、熊野が想い
やられる』、とのように仰っていました。私はほんとうかなあ…失われたのかなあと想います。
文化的に身体に刻まれたものは深く生命を保つと想っています。
良くも悪くも日本人が相変わらず「穢れ」の観念を無意識に保存しているように。
旧約聖書はメソポタミア等の神話をコラージュして「こしらえ物」をした結果だそうです。こういうことが行われたメソポタミア古代より
ももっと古く、「身になじみのよい人間の記憶」が、日本の古来からの文化を通して表現されていそうなのですがどうなんでしょう。
愚民党さんは暗黒舞踊を離れることで、今度は古くて新しい生命性を新しい形で表現できないだうかと想ってしまいます。たとえば
首都圏近くの山里の共同体の縁に活きながら。相模湖のほうの藤野にはそういう人間が多いようです。(山里で自給自足しながら芸を終身追求しようとしている人は多いですね)
たいして面白いとも“命踊る”とも想えぬ幻覚と錯覚の、内実の希薄な万華鏡の中で日々踊らされ追われているこの現実をほぐす
事へ…。生身に響くレアリティをもって内なる錯覚の舞台装置を解きほぐし、人間に呪縛からの解除の糸口を与える事へ…。
夢の世界が時を越えて生起する次元から、そのひとときの夢見のうちに、夢に現に呪縛を解体してしまうこと。
そこから人間の生の全体性と謎・魅惑を表現し引き込む、猿女、サロメ、シェヘラザードのように。
その可能性はまだあるように想います。
どうして光を内に感応するような、おおらかで命とどろき舞う踊りが日本から生まれないのでしょうか。私は韓国の農楽が好きです。
暗く陰湿に闇に踊っているだけが日本?なぜそこから外なる光の世界に向けて、生まれ出ようとするものが無いのだろう…
疑問でなりません。
回帰されるべき原点、源初の場を深く提示できても、そこからどこへどのように自らを再創造し、還り来ればいいのか。
日本の舞踏者にとって、これは問題とされていない事なのでしょうか。
*
寒いけれどどうぞお体をご大切に。
「聖なる酔っぱらいの伝説」ヨーゼフ・ロート著お読みでしょうか、何か救いがあり、“マリアさま”へのひとつの無からの呈上がある
事を感じ、文学として私には面白いです。
ではでは…