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(回答先: Re:未明に眠った手紙 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 12 月 03 日 13:03:31)
マルハナバチさん、返書、叱咤激励ありがとうございました。
>山海塾も含めて暗黒舞踏系って、もう、一度は使命を終わっているんじゃないでしょうか。
>自分自身を乗り越えてゆく内的契機をもはや見失って、パターンを踏襲している。母国ではお先が見えてしまっている。これって、
>凄く歯がゆいです。愚民党さん、一度、舞踏は辞めたと仰っていましたが、“現状のままなら”日本において暗黒舞踏をお辞めに
>なって正解ではないでしょうか。次なる命と魂の必然が感じ取れない。
演劇の方は今年の1月に劇団を辞めさしていただきました。
舞踏の方は高齢になっても続けていけますので、続けていこうとしています。
舞踏界で暗黒舞踏の危機は、強烈に感じとられています。「このままでは、停滞するばかりではないのか」という
危機感は強く、3年前から、そういう話を自分は舞踏者から聞いております。
山海塾はまだみたことがありません。マルハナバチが語りました大駱駝鑑のNHK教育で放映されました作品は
世田谷パブリックシアターでみました。
92年の頃のダイナミックなスペクタル性がなく、全体として美学に走っておりました。
「いまの舞踏は美学に向かっている、つまらない」こうした批評を演劇の演出家から聞いたこともあります。
おそらく公演パンフレットの印象から感じると、山海塾も美学に向かっていると思います。
自分が参加しております舞踏舎の作品も「美学だ、つまらない」というのが、東京の舞踏家からの圧倒的批判です。
芸能とは集団的想像力が柱となります。
有吉佐和子「出雲の阿国」などを読みますと、芸能集団の生成とひろがり、そして分解の過程が読み取れます。
阿国は父と母がいた出雲のたたら(金属抽出)の山で、ひとり死んでいきました。
いま、東京の暗黒舞踏は集団を形成している舞踏団が少なくなっております。
舞踏家はいるのですが、個々に分解している状態ではないのでしょうか。
山海塾と大駱駝館は制作部門もしっかりして、いまなを集団ユニットを形成し、奮闘していると思います。
大駱駝館は吉祥寺に稽古場兼小劇場をもっております。
大駱駝館はそこで若手の公演を継続的にやってきました。美学ではないおもしろさがあり、若い人には人気があります。
しかし大きくは、マルハナバチさんが捉えているように
「自分自身を乗り越えてゆく内的契機をもはや見失って、パターンを踏襲している。母国ではお先が見えてしまっている」
この現状であり、それ自身は舞踏団主宰者と制作部門が主体的に強く認識していることは、確実です。
「次なる命と魂の必然が感じ取れない」ここを、なんとかして、まさぐっている状態であると思います。
芸能舞台とは身体によってしかありえないのですが、東京圏の場合、現在の危機は
愚痴になってしまうのですが、あまりにも携帯電話の圧倒的普及、身体が画一化の速度がはやく
「人間の表も裏もつきあっていかざるをえない、興奮と幻滅の集団」を、形成できなくなっていることにあると思います。
若い人々は、なかなか集団を嫌います。
自分が参加している舞踏舎を見た場合、救いがあるのは美術大学の学生が、まだ個々にでも
暗黒舞踏に興味をもって参加してくれることです。
日本の学生が暗黒舞踏に興味を失ったとき、世代的継承は消滅し、暗黒舞踏は母国から消えると思います。
>どうして光を内に感応するような、おおらかで命とどろき舞う踊りが日本から生まれないのでしょうか。私は韓国の農楽が好きです。
>暗く陰湿に闇に踊っているだけが日本?なぜそこから外なる光の世界に向けて、生まれ出ようとするものが無いのだろう…
>疑問でなりません。
自分は農楽ではありませんが、韓国の学術的な芸術連盟に参加している方が主宰した公演(数年前)と、昨年、韓国の
舞台芸術連盟が主宰した日韓合同ダンス舞踊舞踏公演を舞台裏として手伝わせていただきました。
現在、韓国のダンス・舞踏は、韓国映画のように、ダイナミックに飛躍しようとしています。
2年前あたりから、暗黒舞踏の公演を支えてまいりました、照明スッタフ・音響スタッフを韓国の舞台分野の人々は、迎え
すざましく舞台生成技術を習得しております。
東南アジア諸国でも、舞踏と舞台技術スッタフは迎えられ、技術を習得していると、聞きました。
東アジアで現代美術世界市場に輸出しているのは、香港を中心軸にした中国圏現代美術であり、また韓国現代美術です。
沖縄の芸能も韓国の芸能も「おおらかさ」があるのは、自分も横浜のドヤ街(日雇労働者の街)の飲み屋さんで経験しました。
飲むと、両手をうえにやり、踊り出します、いいなぁと思いました。
日本も近代以前までは「おおらかな」民衆芸能が存在していたと思います。
一遍念仏おどりと出雲の阿国が各地に伝え広めました、「盆踊り」のみが、日本民衆のおどりを継承しております。
日本の各地のまつりには「光を内に感応するような、おおらかで命とどろき舞う踊り」があると思います。
では何故、小劇場と暗黒舞踏が「暗く陰湿に闇に踊っているだけが日本」になってしまうかの問題ですが、
そのグロテクスは、やはり、近代から疎外され排除されてきた身体感覚にあるのではないでしょうか。
とくに敗戦後は、日本の為政者たちが日本の基礎をつぶし解体することに、全力をあげてまいりましたから
排除されたきた身体感覚の深部意識は「暗黒」として、小劇場に穢れの裸体として登場するわけです。
「グロテクス」として現出するわけです。これが若いパワーでもありました。
現在、暗黒舞踏が美学へと向かってしまうのは、主宰者の世代が「おのれの衰退」を意識せざるをえない身体であるから
であると思います。やはり世阿弥を意識せざるをえないのです。
いま自分が暗黒舞踏にもっている可能性は、なんとかしてマルハナバチさんが語りました
「共同体」との接続において、年1回の公演でもいいから、打てないかということです。
基本はマルハナバチさんが紹介いたしました、「山里に住み自給自足しながら、芸を鍛錬する」ことだと思います。
共同体にお世話になりながら・・・
そこで、個ではなく、3人でもいいから芸能集団として生活すれば、芸能は現出します。
演劇におきましては若い劇団が栃木の那須地方に集団で住み、実践していると劇団もあります。
その意味で自分は1回も行った事がないのですが
鈴木忠志と早稲田小劇場が展開しました奥飛騨利賀山房はすごかったと思います。何度かNHK教育で見ました。
自分はマルハナバチさんの舞台批評とは、すごいものがあると思います。
鈴木忠志の演劇論は現代思想とかぎりなく接続する言葉と思考がありましたから影響を受けました。
演劇は言葉がありますから独自思想と社会的展開が可能なのですが
舞踏の場合、ひたすら身体感覚が悟って行くしかないといいますか
言葉と思想では了解できないのが、舞踏者みたいです。
「舞踏とはなにか?」と問われてても言葉では説明できないものがあり
また舞踏とは演劇の稽古みたく、建物をひとつひとつ構築していくという領域ではなく
あいての身体の呼吸を聞きながらといいますか
やっぱり時間が演劇とは違うみたいです。
あっしらさんも可能性の思想として「開かれた地域共同体」を展開しているのですが
芸能は「開かれた地域共同体」にしか今後、成立しないと予感しております。
自分は「しろうと」ですが、芸能はアマチュア・「しろうと」でもあってもいいわけです。
その芸能が確実に都市化された共同体であっても、生活基盤が地域共同体にあり、そこを根拠としながら
協働において、芸能舞台を手作りで、劇場のお客様に「夢の時間」を提出できるのであれば、
芸能は成立すると確信しております。
ゆえに「芸を磨く」という生活に自分は関心項がありません。
芸能を成立させる場所と時間帯に自分関心があります。そこには思考と実践が原点をからつねに、とらえかえすことが
可能であるからです。
とくに「日本の高度成長前の国土の情景を知っている人々が高齢になってくる時」このマルハナバチさんの言葉には
はっとしました。ここに身体記憶という命題が、何故、暗黒舞踏なのかが
自分は了解できました。
マルハナバチさんが集約しましたように、
「暗黒舞踏は既に短期的な時代スパンの中では「使命」を終わっている」。
それゆえに、「しろうと」という領域に進んでいくしかないと、自分は判断しております。
自分が属する舞踏舎は高齢者の女性も参加しております。
ゆえに国土の情景が記憶装置の集積庫としてある「暗黒舞踏」は、まだ可能ではないかと、思いました。
暗黒舞踏は死んでいくのですが、そのまえに
なんとか日本芸能史と接続回路を形成できれば、「開かれた地域共同体」と接続回路が形成できれば
沖縄と韓国のように民衆芸能として、わずかでも存続可能であると考えております。
日本各地の地域まつりこそ、民衆芸能の豊饒の地であればいいと願っております。
自分が京大西部講堂で発見したことは
若い人々による「音楽とまつりと場所」の創造です。
そこにおけるコミュニティ(ネットワーク)の存在があるかぎり
日本はまだまだおもしろいと確信しました。
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コラジュー画像のURLです。
http://www.asyura.com/0304/war31/msg/477.html
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「聖なる酔っぱらいの伝説」はまだ読んでおりません。興味があります。