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ウクライナ共和国出身の親しい友人がいながら、迂闊(うかつ)だった。ソ連邦下でウクライナが悲劇の国であることの認識が非常にかけていた。彼らは現代史を根本から揺るがすような3つの悲劇を経験しているのだ。
1。1932から33年のわずか数年にかけてスターリンによって700万人から1000万人のウクライナ人(ウクライナ中部と東部)が大虐殺されたこと。スターリンは飢餓を人工的に引き起こすという方法論で、ウクライナ人を標的に,組織的に殺害したものである。
2.第二次大戦でソ連政府と、ヒトラー(ドイツ占領
政府)によって、約800万人(750万から1300万の間と推定されている)ほどが殺されたこと。
3.チェルノブイリ核事故を経験したこと。
1についてだが、まずAPの先日11月22日が配信した記事を見てほしい。
Ukraine Marks Famine That Killed Millions
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20031122/ap_on_re_eu/ukraine_famine
この記事にリンクされている学術論文をあわせて読み、少しまとめておこう。
ソ連当局は一貫して否定してきたが、このスターリン政府が人工的に作り出した飢餓による大殺戮の存在を国連が認めることが嚆矢となって、他約30各国がこれを公認するにいたり、これらが、それを認める公式文書に11月8日に署名をした。大殺戮から数えて70周年を記念する政府主催の行事が11月21日、首都キエフのミカエル聖堂にて生き残り老人たちを含め2000人が集まる中でもたれたことを伝えているのがこのAP電だ。70周年というだけでなく、この大虐殺を国際社会が初めて認めたという意味で、きわめて大きな意味をもつ。この記事の確認のため、ウクライナ人である友人(若い女性で、ロースクールに在籍)をランチに誘い確認したが、ウクライナ人は誰しもこの事件について知っているものの、外国においてはまったく認知されないままであることを認めた上、今回の国際社会の承認とその特別行事の記事を私から見せられ、感動に至っていた。
1933年だけで、一分毎に17人、毎日2万5千人の人、特に女性や老人や子供たちたが食べ物がなく死んだという。ある村は全員死んだところもあったという。そして、きわめて見逃せないことだが、この飢餓の最中、人肉喰いが横行したという。当時子供で事件を目撃し、生き残って今日ある人々に記者がインタビューをしている。夫が妻を殺して、スープにして食べたのを見たと証言する者。互いに殺しあって食い合っていた様相を目の当たりにしたとの証言が紹介されている。
【スターリンはどのように飢餓を引き起こしたのか】
@実はウクライナでは農産物の収穫はこのとき十分だったのだ。スターリンは、軍と秘密警察を用い、ウクライナの農民から農産物を差し押さえ、接収したのである。そしてその倉庫に軍を張り付かせ、人々が奪い返せないようにした。
A周辺諸国からの緊急支援食料をすべて国境沿いで接収した。
B飢餓から逃げるべくソ連領土内の周辺諸国へと脱出を図った人々の国内パスポートを奪い、脱出を阻止した。
【スターリンのこの虐殺の意図は何か】
@農民から農地の所有権を放棄させ、彼らを集団農業形態へ帰属させるため。
Aウクライナでおきつつあったウクライナ文化ルネッサンスを挫折させるため。
Bウクライナ人のスターリン政府への反抗を阻止するため。
国家が人工的に飢餓を引き起こすという手法で、自国民を2年内外で1000万人近く殺したという例は近代社会のみならず、人類史の上でも空前絶後の事件ではあるまいか。このような極限状態では現代であってもカニバリズムが発生するということの意味は十分検討に値するのではないか(タイトルを思い出せないが俳優加藤建一が中佐に扮し目撃した人肉食いについての1人芝居を行っていた記憶があるが、実はこの事件を題材としていたのだろうか)。スラブ系の歴史では、指導者が余りに残酷であることが知られているが(スラブ=slave=奴隷。指導者は民衆を徹底して奴隷化するパターンだった。)、スターリンの残忍さは中でも頂点的に極まっている。
2についてだが、ウクライナはヒトラーに侵略され3年ほど占領された。スターリンと、ヒトラーの双方から徹底して殺害され、死者は控えめに見て800万におよんだ。以下の表をご覧いただきたい(単位は1000人)。
http://www.infoukes.com/history/ww2/page-29.html
第二次大戦でなくなった人々の国別一覧表だ。ポーランドと並んでウクライナは国の人口の約20パーセントの人命が失われている(前者の死者数は500万人)。絶対数にして、ウクライナの死亡者がダントツの一位で、約800万人(軍人と民間人合計)。少ないもつもりで750万人、多い見積もりで1300万にである。半分はソ連政府の強制収容所に連行されて死に、半分はヒトラーによって殺されたようだ。ちなみに日本はこの表によると、235万人 で総 人口の3.4%。
ウクライナ人が、どれほど、スターリンのソ連政府とヒトラーによって殺されてきたことか、想像を絶する数字である。この2つの事件だけで、ウクライナ人はおよそ2000万人近くが人命を奪われていることになる。わずか10年内外で2000万人がこの2人の独裁者に殺されたのである。ヒトラーは気づかなかったが、彼の戦費は西側国際金融から支援されていたことも分かっている。スターリン、ヒトラーという残虐さの頂点を極めた連中と、彼らを利用した国際銀行資本(ソ連の軍事インフラとその技術などは彼らの資金手当てによる)。この3すくみにより、20世紀の悲劇は作られたといってもよい。
ウクライナの悲劇はここで終わらない。ご存知1986年チェルノブイリ核事故が追い討ちをかけている。この事件については、ここでは書かない。
きょう、日本食レストランで私が注文したランチセットのざるぞばやカツ丼を初めて見る食べ物だといって興味津々に試みに口にしたこの若く美しいウクライナ女性が、自分たちはウクライナを10年前に出てきた、なぜなら、国が混乱しているからだ、そう以前語っていたが実は詳しくはこれまでその意味を尋ねてこなかった。今回、この記事をきっかけにこのスターリンの飢餓大虐殺のことを彼女に確認することで、彼女のどこかもの悲しげな顔が実はいくつもの層で掘り込まれている事を初めて知るに及んだ。彼女を含め8人の仲間で自宅パーティーを開き、そしてそのあと、ダンスパフォーマンスを観に行ったのはわずか先週22日夜である。その日、実はウクライナの首都キエフでは飢餓虐殺70周年特別行事がなされていたのである。ダンスの伴奏はアバンギャルドな奏法による古代琴(現代琴と違うものだ)、そして尺八だった(この若き日本人女性琴奏者は11月7日と8日、わが敬愛してやまない現代音楽の巨匠、高橋悠二65歳の誕生記念で演奏をしておりそれも私は聞いている)、そのときのソロの日本人の創作ダンスと、初めて見聞きする日本の楽器の音色に文化的衝撃を受けて、喜びを満面に湛えていたウクライナ女性は、きょうランチの際、この虐殺について何でも聞いて欲しいと正面から目を見据えたが彼女は午後2時からの大学院の授業にもどらなければならず、くわしい議論は次回へと持ち越された。次回はロシア料理店に私を招き話を続けたいという。彼女は移民法の弁護士を目指している。
ソ連が1917年に発足して、91年に崩壊するまでの74年間に失われたソ連人の総数は6200万人である。人類史最悪の、比類なき、絶無類の事件としてのソ連という存在。その犠牲者の3分の1がウクライナ人であり、たたった10年ほどの間に2000万人という数のウクライナの人間がスターリンとヒトラーに殺されたのである。スターリンとヒトラー(レーニンもだが)を今なお信奉する人々はしんそこ地獄に落ちるべきだろう。しかし、彼らを操った連中は今も健在であり、ブッシュ人形・小泉人形などを使いグローバル化と美称されたプログラムによって民衆虐殺を確実に推し進めようとしている。これに気づかない人々はさらにもう一度地獄に落ちてもなお足りないだろう。いや将来、無垢の涙を流すのだろう。
*この人口飢餓によるスターリンの虐殺事件につき、日本でこの事件につき書かれている本がありましたら、書名などについてご教示ください。