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(回答先: Re: 三島由紀夫に関する雑感 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 11 月 23 日 11:09:34)
マルハナバチさん、こん晩は。
>※これは身体性の「個」に内在しつつ「個」を離れた「群」的性質にからむもので、地域的身体性の共同性や共同体的身体性とその改築的再創造)といった問題に延長してゆくでしょう。
先ず、マルハナバチさんの認識を首肯したいと考えます。
嘗て、我々の先達が世界を受け留めたように、私も、下部構造が上部構造を規定すると断じないまでも、下部構造のポテンシーが上部構造のトランスフォーメーションを導き出すことを望み、また一時期はそうあらねばならぬとまで固く信じていました。そのメルクマールの極致がマルクス主義理論であり、つまり、社会主義体制こそ上部構造の解体後の受け皿であると信じ込んでいたのです。
そのように想い始めたのは自身が下部構造に位置する人間であることや人間存在の自己疎外的状況を意識したことと決して無関係ではありません。と同様に、闡明にされぬ上部構造との喩えようない隔絶感が脳裡に刻まれていく端緒にもなりました。
さて、三島由紀夫は生まれながらにして上部構造にあった人間で、彼と我々は既に発地点から違っていたのでしょう。それにしても彼の才知を奉げる先は下部構造に存在することはなく、おそらく上部構造の中にも、上天にも見出せなかったのではないかと想っています。
一方、吉本隆明等の上部構造解体の企図や諸国によるマルクス主義を対置する試行が必ずしも成功せず、むしろ相当な規模で失敗に終わっている現在、多くのLeftist達は厳然と君臨する上部構造との関係性の再考に迫られているのも確かでしょう。
しかしながら、策動が隠蔽されたままの上部構造の善導に期待するまでもなく、下部構造が群となって何に呈上すべきか、そして呈上すべきものは何かが問われているのだと思います。私はそれを命生み命育むMatrixなるものと想定し、呈上過程において我々の中にあるAbilitiesこそ駆動力として‘ability obliges’であって欲しいと願わずにはいられません。さらに、やがてその方行が三世の済度に導かれることになればと、密かに夢想してもいます。
また、お会いましょう。