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Re: 身体と地球そして宇宙
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投稿者 如往 日時 2003 年 11 月 28 日 23:22:53:yYpAQC0AqSUqI

(回答先: 身体と地球そして宇宙 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 11 月 26 日 20:44:45)

 
 マルハナバチさん、こん晩は。


 >三島由紀夫の場合、身体性と言うより実は肉体性と表現した方が良いような気がします。(あるいは身体性の貧困)身体という言葉を使うとき、私の実感としては、脳内の体性感覚が他者・世界との関係生成に向かって開かれて統合されている時の自己経験であり、不分明に、時には融合して経験される他者・世界がそこには含まれています。

 マルハナバチさんのご指摘を受容したいと思います。精神性との限りない不一致もしくは乖離の状態を、この場合は肉体性と言い表すことの方が的確かも知れません。私も三島由紀夫に関しては『肉体の悪魔』と『潮騒』に少し触れながらこの辺りに止めたいと思います。
 三島が何時頃「呈上」を意識したかを特定するには、作家活動や対外活動の履歴を踏査してみる必要があるでしょう。しかし、献上物としての己の肉体を持て余していた、つまり献上物として耐え得るものとは見做していなかったのは『潮騒』にもすでに顕われていたと想われます。『潮騒』で自身の肉体の禊ぎを試みたのにも拘わらず納得できず、むしろ幻滅へと変貌し落胆に終わってしまった。さらに禊ぎの媒体でもあった肉体(女体)には不浄と侮蔑の感情が惹起されたのではないでしょうか。
 何よりも、三島が自己を延長し自己と他者及び外界と結び得るもの、すなわち身体性としての肉体を捉え切っていなかったことが、身体性の貧困にも繋がっていたのでしょう。
 中学生の頃、シュトルムの『みずうみ』、『肉体の悪魔』、『潮騒』等を読み漁っていた記憶からも、マルハナバチさんと重なるような違和感を当時は覚えていたかも知れませんが、齢を重ねたためなのか『みずうみ』と『肉体の悪魔』に描かれていた心象風景の屈折のない瑞々しさだけが蘇えってきます。

 >軍と天皇にこだわった三島由紀夫と石原莞爾、この二人を並べたとき、天皇と軍、日蓮宗を剥奪してもなお石原の基盤に何か掴み切れない“こんこんと湧き続けるもの”を私が感じるのは、石原莞爾の根源に“それ”が生きていたからではないかと感じています。彼が総てだとか一番だとか全く考えてはいませんが、日本人の可能性を見直す手掛かりの一つとして。天皇だ右翼だといった事を抜きにして石原莞爾をみてみることは、今の日本にとってお薦めかもしれないと想っております。

 石原莞爾については『最終戦争論』を皮切りに数冊の研究書にあたりましたが、マルハナバチさんが感じる“こんこんと湧き続けるもの”は、おそらく石原自身はドイツ留学のときにはっきりと自覚したのではないでしょうか。しかし、天皇と軍、とりわけ日蓮宗への帰依が彼自身を貫いていることの意味を私は掴み切れてはいません。ただし、これは直観なのですが、石原の自覚したものは所謂上部構造から押し付けられたのではなく、何も日本に止まることのない下部構造に本源的にも通底している、人類の潜在意識の普遍的な命脈ではないかと推量しています。

 >地球の持続的経営を可能にする“構造改革”(笑)はどうあるものか。呈上に対向となる動き(私はこちらの方が先でした)はどういうものか。そして覚有情→←‘ability obliges’の根源など…。呈上に対向となる動きとは一つの循環路のうちにベクトルが正反対の動きが併行しているもので、贈与の動きの対を成している双つの方向であり、上向と下向する動きの対です。

 ある特定の才知こそ値するだろうDedicateの語にたいする訳語として「呈上」を付与しませんでした。むしろ「呈上」や「降服」は下部構造をも包摂し得るSurrenderを強く意識してのことです。周囲には孤軍奮闘の状態に疲弊し耐え切れず、または「降服」の誘惑に抗し切れず対岸を目差していった者達も多くいます。今更彼等の「降服」を詰る考えはありませんが、それでも尚、才知溢れる者達には下部構造からの「呈上」の途を探究していって欲しいと願わずにはいられません。
 たとえ上部構造と下部構造が存在する構図にあっても、二つの構造が「呈上」するものを自覚し、かつ「呈上」のベクトルが限りなく重層する状況を私は希求しています。
 足早に一括しますと、おそらく我々(人類)が漸く探し当てた存在目的は「呈上」なのではないでしょうか。そして、「呈上」すべきは生命の健やかなる営為(循環)に外ならず、地球というMatrixへの「呈上」であるのでしょう。そこで、もし地球=神ならば、神は我々のすぐ傍にいると想うのです。
 
 また、お会いましょう。

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