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(回答先: 源泉は日蓮の「立正安国論」なんでしょうが、現在はどうなんでしょう?? 投稿者 あっしら 日時 2003 年 11 月 15 日 15:18:12)
あっしらさん、早速のレスポンスをいただき有り難うございます。それから、なんじゃーこりゃ!さんには割り込みレスになり、たいへん失礼いたしました。
あっしらさんにさらに問いを重ねることに幾許かの後ろめたさを抗しきれませんが、同時に阿修羅の諸氏におきましてもよろしくお願いいたします。
さて、信者向けには本尊=「御題目」の真贋及び正系・異端の論争を制することは重要だったのではと推察されますが、未だに国立戒壇の建立を宗旨の中心に据えているのでしょうか。おそらく、民青(日本共産党の下部組織)にも見られたように、青年部の中には純粋にそれを信奉する信者も多いのではと想像されます。傍目には痛恨に堪えぬことですが。
しかしながら、国立戒壇の建立を企図していないのならば、なぜ公明党といった政治組織を創出したのか、真意を量りかねています。さらに、公明党の靖国神社にたいする公式見解はどうなっているのでしょうか。また、学会員の父祖の中には紛れて靖国神社に合祀されている人達も多いのではと想われるのですが、創価学会及び公明党は実際どのような対応をしているのでしょうか。
>日蓮系宗派は、創価学会に限らず、非権力者側から国家や政治を論じる特異な宗教組織です。
>国家庇護=国家護持か、極楽往生=成仏か、悟りかといった仏教状況のなかで在野から国家論を権力者に説いた日蓮は、画期的と言える仏教者です。
そこで、彼等(池田大作)が天皇制=國體との整合性をどのように捉えているかといった問題に突き当ります。例えば、石原莞爾は法華経を下部構造統率の支柱的理念として上部構造を包摂しつつ天皇(制)に呈上することを企図したのではと牽強付会な理解も成り立つのかも知れないとも思うのですが、はたして池田大作の眺望がそこまで及んでいるか疑念を禁じ得ません。
>端的には、かつてなら日蓮正宗、現在なら創価学会の国教化をめざす宗教・政治集団であり、逆に、それを捨て去れば信仰を捨て去ったことになります。
今のままでは、信者(学会員)は池田大作の虚妄に躍らされ利用されているだけで、カルト宗教と何ら変わるところがありません。それとも、闇の深いところでは公明党を出先機関にして自民党の一部と結託しながら国家支配のプロジェクトを着々と推し進めているのでしょうか。私にとっては受け入れることのでき得ね嫌忌すべきことですが。
また、お会いしましょう。