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(回答先: Re: 「国立戒壇」の建立を本気で志向しているのでしょか。 投稿者 あっしら 日時 2003 年 11 月 18 日 19:35:23)
あっしらさん、こんばんは。いつもながら弁別の利いたレスポンスを有り難うございます。
もちろん、私の横レスの切っ掛けは、なんじゃーこりゃ!氏にたいする回答として【公明党(創価学会)の躍進と日本政治 投稿者 あっしら 】における、 特に、『自民党はますます政権を維持するために必要な不可欠な存在として創価学会=公明党を見るようになり、政権が覗き見えるようになったと思っている民主党は、社民党の大敗北を受けて創価学会=公明党の取り込みが重要な課題になったと考えていると思っています。(自民党の議員ないし議員志望者のなかで創価学会にひれ伏す人が急増するはずです)』と、『公明党は、政治的旗として反戦平和護憲と“弱者保護”を今でも掲げていますから、それを隠れ蓑にして「新世界秩序」をめざす政策が推進できる便利な政治勢力です。』とのあっしらさんの認識に触発され、その実態はどうなんだろうといった素朴な疑問から発したものです。けれども、学会員の方々からの発言が期待できない場合にはこれ以上論が展開しないかも知れませんので、議論板にはそぐわないのを承知でチャットふうな独り言で一先ず締めたいと考えます。
>創価学会員の方もアクセスされているので、そちらのほうからの詳しい解説を期待していたのですが...
私もそのように切に希望しています。
>衆議院への進出は、そのような政治的意図の拡大として取り組まれたはずです。
今も尚そうした意図を保持し続けているのでしょうか。現役学会員の方だけではなく、元学会員の方々の見解を是非伺いたいものですね。
>国立戒壇と天皇制=國體は対立するものではありません。
「国立戒壇と天皇制=國體は対立するものではない」は、仏教伝来から国教擁立までの併存状況にあった期間に限定して捉えるならば、妥当性を有すると考えます。しかし、それ以前の限りなく神話の世界にまで遡行した場合には、国立戒壇は天皇制=國體の土壌の上に建立されなければならぬことになり、天皇制=國體の包摂性が優ることの支持にも繋がり得ます。
>池田氏は、天皇及び皇族全般を折伏し日蓮正宗に帰依してもらうことを考えていた時期もあったはずです。
日蓮正宗に破門された現在では、創価学会に入信してもらうことになります。(けっこうしびれる仮想ですね)
相当にしびれる仮想です。(私の発想を超えています。)
>国民統合の象徴である天皇の下賜金で国立戒壇が建立されれば一つの大きな目的を果たしたと言うこともできます。(信仰の自由という憲法条項も障害にはなりません。非創価学会員が残る限り、広宣流布のテーマが存続するというだけの話です)
まるで絵空事のようなシナリオに思えます。これから創価学会と天皇(制)との間に怨嗟交々な関係が生じるような峻厳な状況が存在するとは考え難いので、皇国史観の埒外に遺棄されたままの東北俘囚にたいする下賜ならともかく、それが現実味を帯びることはないのではと想われます。
>靖国神社に対する創価学会の公式見解はわかりませんが、“国営神社”ではなくなったのですからどうこう言う必要はないはずです。
表向きはそうなのですが、内実は違うわけですからどのようにして内部事情に収拾をつけているのか懐疑は募るばかりです。それとも、上層部による統制(マインドコントロール)が想いの外奏効しているのか、あるいは学会員の意識が低域を脱し切れていなのでしょうか。
身内の“弱者保護”の問題がほぼ解決をみた現在、反戦平和護憲を自民党の政策とどう附合させていくのでしょうか。「教育基本法改正(悪)」や「新しい教科書をつくる会」への対応では否応無しに直面しなけばならない問題のはずですが、そんな捩じれを物ともせずにまたは隠蔽したまま、この世界に楽土を築いてゆけると「創価学会=公明党」の方々は真顔で思っているのでしょうか。
最後に、虚空に向けて問いを発するような顛末になり、遺憾に感じております。
また、お会いしましょう。