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(回答先: 「原初貨幣論」に立ちふさがるスフィンクスへ 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 8 月 15 日 15:56:35)
マルハナバチさん。 こんにちわ。
またちょっとサボって見てしまいました。 中毒になりつつあります。
いけない。 偉い人たちをつい批判してしまいましたね。
彼らは近代人の強欲を過小評価しているように思えたということに尽きます。
無連帯の人間というのは猛獣となり得ます。
市場社会は猛獣の群れを拡大再生産する仕組みです。 市場社会に生きている人間は、簡単に価値観は転換できそうもない。
そういう単純な感想にすぎませんでした。
ぺしゃんこなんてとんでもないです。
出産土偶が出土した三内丸山遺跡は、全貌がある程度明らかになってきたようです。
個人的にはまだかなりひっかかる部分が残っています。
しかし、手がかりもある程度明らかになってきたのではないでしょうか。
それと直接関係ないかもしれませんが、原初貨幣について単純なモデルを作り、空想を楽しんでみたいと思っています(ご推薦の本は未読です)。
ちょっと入り口を書いてみましょうか?
原初貨幣は,人間と「外部」環境とを結合する「器官」の創発であるように思われます。
ここで、環境は「外部」であるという認識が決定的に重要と考えています。
「外部」のもの、分からないもの、操作できないもの、そして我々に惜しみなく贈与するものの象徴−共同体の「限界」として始めて意識される「環境」−だからこそ神秘であり、「聖体示現」なのでしょう。
「外部環境」を「内部−共同体」と二項対立させては駄目だという見通しを持っています。
「外部環境」は、操作できる部分−内部の限界としてのみ出現し、限界としてしか出現しないという理屈です。
昔の人は科学知識が足りなかったのかな?
いや、実はいまでもそうなんじゃないかと思っています。
宇宙のことはまだそんなにわかっていません。
「環境」は簡単に操作できるような代物では絶対にありません。