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(回答先: 海のなかの原生の細胞は原初の結界みたいなもの 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 8 月 15 日 21:18:59)
レスありがとうございます。 いまご飯から戻ってきました。
「外部(環境)」ととりあえず名付けていますが、これを共同体と区別する客体は否定したいと思います。
外部(環境)と内部(共同体)とを鳥瞰する視点は存在し得ないと思いたいです。
従って、主体−客体分離から出発することも否定したいと思っています。
とりあえず名前をつけないと始まらないので。
確実に存在すると言えるのは、内部(共同体)のみであると思います。
しかしそこに何か聖なるものが影を落とす。 その聖なるものとの関係において共同体がまとまる。 その場に原初貨幣があるという考え方です。
その影はもちろん内部(共同体)に落ちています。
そのおののき−マルハナバチさんの文章に違和感はありません。
あくまで共同体の「認識の限界」に聖性が顕現するという理解をしたいと思います。
自分でも良く分からんことを書いてますね。 もっと丁寧に展開しましょう。 失礼しました。
最後の段落は、この共同体の(認識の限界)という文脈の上で考えていることなんですが、確かにエコロジー的な話に読めますね。 失礼しました。
またそのうちね。