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(回答先: 児玉誉士夫は何者だったのだろう 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 14 日 12:26:43)
エンセンさん。 こんばんわ。 いまご飯食べたところだよー。
ちょこっと書きましょうか。 私は別に児玉氏、笹川氏自体は興味ないので、ありふれた話だろうと思います。 かなり前に読んだものです。
(児玉機関について)
笹川良一は国粋党総裁でした。 児玉機関とは、 国粋党総裁笹川良一の仲介で、海軍航空本部嘱託となった児玉が、1941年12月に海軍航空本部の依頼で、上海に設置した諜報(スパイ)機関です。
これは上海大厦(ブロードウェイ・マンション)にありました。
このホテルの最上階には、川島芳子(東洋のマタハリ)がすんでいました。
児玉機関は、銅、潤滑油、雲母、プラチナ等の軍需物資を海軍へ渡していたそうですが、軍の権威を利用し、大陸で拳銃強盗まがいの行為を行っていたといわれています。
日本軍が大陸から撤退するときに、児玉は、戦時中貯えていたダイヤ.プラチナなどの軍需物資を日本に持ちかえったそうです。ダイヤモンドで約5万2000カラットはあったといいます。当時の金額で約200億円(噂です)。
GHQの調査では450億円はあったとされています。
児玉は、昭和二十一年一月、戦争協力容疑で巣鴨プリズンに収容されてしまいます。 これは、「自首」なんです。 自分から喜んで入ったわけです。
GHQのスパイになることと、隠匿物資の一部を提供し、釈放されます。
この資金が、戦後の政党政治の立ち上げ時に利用され、これによって政界の黒幕となったようです。
(笹川)
かれは大阪府北部の豊能群の生まれで、戦前は飛行機に多大な興味を持っており,これで縁で海軍(山本)にとりいったようです。
特攻隊の発案者は児玉ではなく、彼だったようです。 間違ったみたい。 皆さん、ごめんなさい。
彼も巣鴨プリズンに喜んで入りました。
戦後の話は良いですね。
田中角栄にボートレース利権を剥奪されそうになった逆恨みから、米国のコーエンと協力して角栄を葬ったのは笹川だといわれています。
(どうやって出世したか)
戦前は航空機等の最新の軍需技術を研究する柔軟さを武器に「海軍」(山本五十六)に取り入り、「濡れ事」(諜報用語で汚い仕事のことです)を引き受けることで出世しました。
そして大陸で汚い仕事をやって蓄財し、戦後のドサクサに紛れて軍需物資を略奪したという疑いがあります。
戦後は、米軍に取り入り、犬となると共に、政界資金を拠出することで権力を保持しました。
ごく簡単な話ですね。
主要参考文献(最近、文系の本読まないので古いよ)
ヤクザ―ニッポン的犯罪地下帝国と右翼
ディビット E.カプラン (著), アレック・デュプロ (著), 松井 道男 (翻訳)
「国会タイムズ」の「笹川良一特集号」(これは変な出版社なので、簡単には入手できないかもしれません)。
「二人の首領」落合信彦 集英社文庫