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(回答先: Re: 『無徴税課税国家』という新しい仕組みについて 投稿者 馬場英治 日時 2003 年 8 月 10 日 03:29:12)
馬場英治さん、はじめまして、横レスで失礼します。
「共同的資本主義」の提起と関連する論考に注目しています。経済学が素人の私も、主にあっしら氏の過去スレッドを参照することによって、馬場氏が提示されている「共同的資本主義」を総論的には大方で捉えることができたのではと思っていますが、各論ではまだまだ不理解な部分を多く残していると自覚しています。
ところが、図らずも氏の趣旨に反して政体論に接近しつつもあり、それに便乗させていただこうと、勝手と感じながら想いつくままに感想と質問を呈示させていただきますが、可能な限りで結構ですので回答をいただけますならば、幸甚の至りです。
>ps:この小話から連想されることは,もし,一国的に共同的資本主義を実現しようとするなら,それはほとんど出エジプトの困難を国民に求めるものになるだろうということです.私たちはその前にまず私たちのモーゼを見つけなくてはならないのでしょうか?
『各自が内なるモーゼに目覚めるべき』と、瞬時に応答している自分がありました。少なくなくとも馬場氏ご自身は、我々日本人や人類が予定調和的に過ぎ越しの祝いのときを迎えることができるなどとは考えてはおられないでしょう。
たとえ「共同的資本主義」が包括的・普遍的な施策・理念たり得ても、どこの政府が可視的な利害関係の調整を他所にそのようなスキームを施行しようとするでしょうか。また、どこの国が本気で宗教や民族性を超えて他国と連繋しそのようなグランド・デザインを描こうとするでしょうか。
政府や国家の変容を待つまでもなくモーゼに託された組織論を覚醒せる個が自ら援用することにおいて、「共同的資本主義」は各個的に現実化していくことになると推察し、それこそが人類自らが勝ち取るべき平安なる過ぎ越しの祝いをもたらすと展望しています。
>あっしらさんは同時に,この提起を実現するためには,「経済活動の起動因」つまり,価値観の転換が必要であることを指摘されました.私もそのことを原則的に認めます.
では、どのような価値観への転換を想定されているのでしょうか。私などは氏の投稿の初出から「共同的資本主義」は「リバタリアン社会主義」の経済政策と殆ど同じベクトルにあるのではないかと捉え、マルチテュードがアナキズム化されたクラスターこそ、そのDriving forceとなり得るとの想念を膨らましていました。
今後は、「共同的資本主義」を可能にする政体は何かということについても論及していただければ、さらにenlighteningなものになるでありましょう。さもなければ一部のディレッタントを満足させるに終わるかも知れませんし、それには惜しい論考であると思います。
>すみちゃんとあっしらさんの議論を比較すると,すみちゃんの論理はより悲観的な立場からのものではないかという気がします.あっしらさんは自由貨幣経済のもとでの物価調整つまり,貨幣価値の維持(これはそのまま経済母体の死活に関わります)が徴税という制度なしに可能であると見ておられます.すみちゃんはむしろかなりの重税が必要になる可能性すらあると見ておられるようですが,私の立場はおそらくその中間あたりかと思います.
近代経済システムの中で金利圧力が市場経済を活性化させる駆動力となって経済成長を助長して来たという神話を簡単には払拭できないでいる点では、私も決して楽観論者ではありません。またそれ故に、運命を自ら選び取ることと同義である変革のためのDriving forceを中にも外にも見定めるまでには、かなり慎重な態度をとらざるを得ない状況にあります。
しかしながら、被支配層が支配層を支えているという構図があるのにも拘わらず、間接的・直接的は問わず現実には支配層による支配の仕掛けやネット・ワークは強化されつつあり、被支配層の生存ゲームの領域が狭まっている現況があります。だからこそ、「共同的資本主義」や「微温主義」は被支配層が失地回復(奴隷状態からの解放)していくためにも、課題とすべき喫緊な問題であると認識しています。そして、支配層サイドに操られることのない「共同的資本主義」社会の実現化のためには、価値転換は固より同時並行的に市民の政治性を飛躍的に高めていく必要があるでしょうし、50年先、100年先の未来像を描いてそこに向うことが根幹の要諦であると考えています。
以上、実に大雑把な投げ掛けで恐縮ですが、座興半ばと心得られての回答を歓迎いたします。