現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用2 > 1102.html ★阿修羅♪ |
|
一年ぶりに十日間ほど日本に帰っていました。この間ずっと強烈な違和感がつきまとい続けていました。
日本の街並みと日本人の表情に深みが全く感じられないのです。ノッペリとした日本の街並みと日本人の表情。何が日本をこのようにしてしまったのか、ずっと考え続けていました。
日本人の生活様式はほぼ画一化されてしまいました。知識や情報や衣食住がほぼ画一化されています。これらは種類も豊富に市場に出回り、一見差異があるように見えます。しかし、これらの差異は消費社会を機能させてゆくための戦略的な差異に過ぎないのです。
高度消費社会によって、日本人の思考形態や認識形態はほぼ画一化されてしまったようです。これが、深い思考の営みが感じられないノッペリとした表情に表れているのでしょう。
社会全体の認識形態は街並みの景観を決定づけます。画一化された日本人の認識形態がノッペリとした街並みの景観を作り上げたのでしょう。
かといって、私は西欧の古い街並みを称賛するわけではありません。そこにはまた別種のおぞましさが潜んでいるからです。観光客が賞賛する西欧の古い街並みのおぞましさについてはいつか稿を改めて投稿したいと思います。
ここまで書いて旅の疲れで寝てしまい、そして夢を見ました。日本人の多くの知人友人が仕事を辞めてゆくのです。明日からの生活に困るはずですが、不思議にも彼らは嬉々としていました。
何故このような夢を見たのでしょうか?日本の高度消費社会を推進するエンジンである企業社会が日本人を抑圧しているがゆえに、仕事を辞めた知人友人は嬉々としていたのではないか、と解釈しています。
さて、思考を奪われた日本人はこれからどこへ行こうとしているのでしょうか?