現在地 HOME > 掲示板 > 議論12 > 136.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 「反省」と「冤罪」 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 17 日 15:57:31)
少し本論から外れますが、長らく疑問に思っていることがあります。いつかたこさんに、お伺いしたいと思っておりました。お答えいただけますでしょうか。
私の疑問は一般的なものですが、ここでは軍事革命(MRA)を例に取ります。
私はMRAを、ただ報道内容でしか知りませんが、現場兵士が、自律的に判断を行うことのできる為のネットワークと情報の共有の仕組みが備わっているらしいと聞いています。私は兵士になったつもりで、以下の命題を立てました。
「現場に届く情報が、ある者により故意に狭められて現場へと伝わった。現場では、その与えられた情報の中で最適な行動を選んだはずであったが、客観的には自滅へと至る判断となった。このとき、責任の在り処は何処か。」
素人考えでは、故意であること、除去されたデータが大切な情報であったこと、この2点を示さなければ、現場の責任であるとみなされると思いました。間違い無いでしょうか。
しかしこれらの要素の検出は困難であるばかりでなく、現場が疑問すら感じなかった場合は、問題視すらされません。除去された情報の質的な面での論争に至れば、白黒付きません。
現場の兵士は、上官が必要と感じれば、「自らの判断で」死地へと赴くことになり、命を散らします。私はあまりぞっとしないのです。
ここではMRAを例に取りましたが、元々は母親による児童虐待の問題から感じたことであって、なかなか一般的な問題であると考えます。他の板にありましたが、自信を持って子育てをすることが最も良い子育ての方法の様です。情報の遮断や、不自然な情報を故意に与えること、その悪意の未必性を、かなり厳しく追求する必要も感じてしまいます。
検定やら確率論などを思い出しながら、どのように解釈するのが妥当なのかと悩んでおります。法的に一般的な解釈がありましたら、是非お聞かせ下さい。