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(回答先: Re: あっしらさんへ質問 投稿者 如往 日時 2003 年 6 月 07 日 16:33:44)
横レスの横レスにて失礼いたします。
如往さんの問いかけには人間性や苦悩みたいなものが感じられるが、この答えにはそのようなものが感じられないし、私のような単純な人間には、単なる言葉の遊びみたいにしか読めず、何を言いたいのか良くわからない。(ひとつひとつの言葉の意味、キチッとした内容が読みとれない。)
「個としてのヒト」とは何?
生物としてのヒトという意味ならば、如往さんのが指摘するように、「それ自体の存在意義を問うことはできません」。ヒト=単なる生物と考えるということであれば、悩めるアルファンドさんへの答えにはならないと思う。
「個としてのヒトを世界に投げ出した主体」とは何?
「神でも生物学的摂理でもかまわないと思っています」と言いながら、その主体に目的を求めるのは理解ができない。そもそも生物学的摂理に目的や意志というものがあるのだろうか?神の摂理という言葉あるが。
「「存在目的」は、世界−内−存在としての個が選び取り行うものでしかなく、存在論的な意味での目的はないことになります。」は意味不明。また、存在論とはどのような論なのでしょう?そもそも存在目的は措定できないと言いながら、何故このように個が選び取り行うものと言えるのか不明。
「生物学的「存在理由」も、個々が選び取る対象でしかありません。」とは、個としてのヒト(?)が、何から何を選び取るのでしょうか?
「「世界内存在」としての絶対的実存」とは何?個としてのヒトとどう違うのか?
「その論理的理由を認識すること」とは何?世界と関係しながら自己の在り方変えていくという条件が脅かされているという現実を感得しなさいということはわかるが、それに続く「その論理的理由を認識すること」とは条件、現実、存在そのもの、存在目的・・・・・何なんだろう。
投企は企投が正しいのではないか?
論旨は、自分が望みもしないのにこの世に生を受けたのだから、自分の存在を考えることなんか馬鹿らしいよ、ということなの?
いや〜、凡人には全くわかりませんな。失礼、しつれい。