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昭和二十年八月十五日の日本の降伏のあと、日本の国体が護持されたのが、それともそうでないのか。[週刊日本新聞]〜平泉澄以下のペテン的皇国史観派
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/578.html
投稿者 乃依 日時 2003 年 8 月 28 日 00:10:13:YTmYN2QYOSlOI

昭和二十年八月十五日の日本の降伏のあと、日本の国体が護持されたのが、それともそうでないのか。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/

投稿 平成15年08月27日23時43分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)八月二十七日(水)
(第六百八十二回)

○月刊「猶太(ユダヤ)研究」(国際政経学会、昭和一六年 − 十九年)
 を読んで行くと、実に、的確に、国際政経学会の先輩たちは大局の情勢
 を把握して居られたことが分る。

○そこでは、
 大東亜戦争は、神国日本と、悪魔的ユダヤとの戦いである、
 ユダヤ米英の日本に対する戦争の目的は、神国日本の国体の破壊である、
 と、明言されて居る。

○にも拘わらず、国際政経学会のこの正しい路線と思想は、当時の日本
 政府、陸海軍には、全く、受け入れられて居ない。
 財界に至っては、言うだけ野暮、と言うものであろう。

○だからこそ、昭和二十年に入ると、日本政府は、ソ連共産政権に対して、
 対米英講和の口を利いてもらうように、大まじめで、奔走するなどと
 言う、阿呆らしいていたらくをさらしたのである。

○昭和二十年八月十五日(十四日)、日本政府は、
 「国体護持の条件付き」で、ポツダム宣言を受諾し、米英に対して降伏
 する旨、敵国に通告した。

○この「国体護持の条件」については、陸軍が強硬にに主張したことは、
 良く知られて居る。

○つまり、当時の日本政府は、日本が戦争して居る、当の相手、米英両国
 の対日戦争の主要目的(日本の国体の破壊)を、この期に及んでも、理解
 して居ないのである。

○それだけではない。
 「日本の国体」なるものの内容が問題である。

○「国体明徴運動」は、一見、昭和初年、「五.十五事件」以来、日本
 全国を制圧したかに見える。

○しかし、そこでの「国体」の内容は何だったのか。

○その内容を規定した人物は、
 「皇国史観」の主役、平泉澄東京帝大教授(国史学)である。

○「国際政経学会」の立場と、この平泉澄的皇国史観は氷泥、相容れない。

○しかし、この件は、ここでは省略する。

○また、「国際政経学会」とは、全く無関係ではあったものの、大正昭和
 前期、日本神道界の巨人と言われた、
 今泉定助先生、
 この今泉神道学もまた、平泉澄の皇国史観とは全く別物である。

○平泉澄は、「天皇絶対」を呼号した。

○そしてこの平泉澄は、
 岩倉、木戸(桂)、伊藤以下の逆賊による、孝明天皇弑逆事件について
 は全くの知らぬ顔の半兵衛。

○要するに、孝明天皇弑逆を、事実上、容認するのである。

○孝明天皇弑逆を肯定して置きながら「天皇絶対」とは、よく、口が
 曲がらない。

○偽善とペテンのこりかたまり。

○それが、平泉以下の皇国史観の正体である。

○つまり、問題の本筋、根本に於て、すべてがおかしい、すべてが狂って
 居る、のである。

○平泉澄以下のペテン的皇国史観派を居る。今ここで、明確に弾劾せよ。

 (了)

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