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(回答先: 「三種の神器」についての北畠親房以来の致命的に危険な謬論を超克しなければならない。 [週刊日本新聞] 投稿者 乃依 日時 2003 年 8 月 29 日 18:33:18)
苗代清太郎編「苗代清七回想伝」(昭和五年刊)
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
平成15年08月29日(金) 23時14分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)八月二十九日(金)
(第六百八十四回)
○苗代清太郎国学の調査研究を進めて行くと、その第一前提として、
苗代清太郎(明治三十七年 − 昭和五十八年)の伝記的知識が必須
となる。
○ところが、「萬象の根元」(昭和三十一年)以降の戦後の著作には、
明治三十七年大阪府生れ
それから
茨木中学校卒業、
國學院大学卒業(昭和二年)、
とあるのみで、その中味は何も分らない。
○大阪府(今の)箕面(みのう)市に生まれて、國學院大学を卒業する
までのことを知りたい。
○と念じて居たところ、
このほど、
昭和五年、苗代清太郎編
苗代清七回想伝
と言う、ガリ版(謄写版)印刷の貴重な文書を閲覧する機会を得た。
○苗代清七、とは、苗代清太郎先生の父上。
○この清七回想録で興味深いところは、日露戦争当時の状況である。
○日本軍が満州の陸戦で勝ち、日本海海戦で大勝すると、新聞の論調
にも煽り立てられて、
日本国民は、
ウラルまで取れ、
少なくともバイカル湖以東のシベリアを日本が取ることは自明、
そして、ロシアから数十億の賠償金を取れ、
と言った気分であったと言う。
○従って、ロシアとの講和条約の条件が公表されたときに、
日本国民は、ただただ、呆然とした、
と、清七回想録には述べられて居る。
○この「条件」とは、
(1)南樺太を日本領に。
(2)賠償金はなし。
(3)朝鮮独立の保障。
(4)旅順大連港は日本管理。
(5)満州についてはロシアが若干、後退する。
と言ったものである。
○苗代清七の長男、清太郎が出生したのは、まさにこの日露戦争の時代
である。
○それにしても、当時の日本の新聞、そして新聞の論調を形成する日本
のインテリ階級の軽佻浮薄なること、お話しにならない。
○しかし、ここでは、この件は省略する。
○日本の西洋かぶれインテリは西洋帝国主義の毒に、骨の髄まで、犯さ
れて居る。
○この時代に生まれた苗代清太郎が、どのように学び、生長して行くか、
いかなる思いで、國學院大学に進学することにしたのか。
○興味のあるところである。
○更に、続報する。
(了)