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(回答先: 昭和二十年八月十五日の日本の降伏のあと、日本の国体が護持されたのが、それともそうでないのか。[週刊日本新聞]〜平泉澄以下のペテン的皇国史観派 投稿者 乃依 日時 2003 年 8 月 28 日 00:10:13)
「三種の神器」についての北畠親房以来の致命的に危険な謬論を超克しなければならない。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
平成15年08月29日(金) 07時49分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)八月二十八日(木)
(第六百八十三回)
○「文藝春秋」平成十五年九月号、四百六十六頁以下。
立花隆
「東條が心酔した平泉澄(さとし)の皇国史観 − 私の東大論(49)」
○ここに、平泉澄(さとし)が、北畠親房の「神皇正統記」を国史の
典拠とした経緯が書かれて居る。
○北畠親房は、南北朝時代、南朝こそ正統の皇室であることを論証する
ために、三種の神器(鏡、玉、剣)を持ち出した。
○つまり、三種の神器を保持して居る南朝天皇にこそ、正統の皇位あり、
と言う。
○もう一つの論拠、天孫降臨の神勅については、ここでは省略する。
○三種の神器についての北畠親房の説は根本的におかしい。
○しかし、その誤謬である理由を完膚なきまでに論証した人は、
苗代清太郎である。
○苗代著では、
古事記神代巻、天孫降臨の段。
かがみ
つるぎ
たま
○いずれも、もともと、漢字で表現された、モノの名として、出てくるの
ではない、と言う。
○この三つのことばは、家族共同体、民族共同体、国家共同体を作り上げ
て行くための、基礎となる思想と論理を表現したことたまである、とする。
○そして、その思想と論理をモノに託して、
漢字の
鏡、剣、玉、
とする。
○古いやまとことばのことたまは、庶民の中では、ずっと後代になっても、
大切に保存された。
しかし、漢文にかぶれたインテリ権力者は、早くから、やまとことばを
忘れた。
○従って、やまとことばで書いてある古事記の内容を、彼らは理解する
ことが出来ない。
○南北朝時代の北畠親房には、やまとことばは皆目分らない。
要するに、既に、日本人ではなくなって居る。
○北畠親房は、中国かぶれした、非日本人である。
○こう言う阿呆な人物の本を、国史の最大の典拠とは、笑止千万。
○更に、北畠親房の「神皇正統記」の精神を継承する、「大日本史」。
○これが、実は、中国の一番悪いところにかぶれたニセモノ日本史、以外
の何物でもない。
○中国の一番悪いところとは何を意味するか。
これはここでは省略する。
(了)