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(回答先: 森田実氏:2003.4.21 「日本再生の道」研究――『老子』を知れば道は開ける[14] 投稿者 あっしら 日時 2003 年 5 月 01 日 18:01:07)
老子的政治家像と二人の日本の政治家
「古(いにしえ)の善く士たる者は、微妙玄通、深くして識(し)るべからず」(老子)
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「善く士たる者」の「士」は、徳間書店本(『中国の思想Y/老子・列子』)では「君主を補佐する政治家、知識階級」、東方書店本(『老子訳注』)では「『道』がわかった人」の意。
冒頭の言葉は、徳間書店本によると、次のようになる――「昔の真にすぐれた人物は、微妙深遠で、測り知れない器量をそなえていた」。ここに老子的理想の政治家像が示されている。より具体的に言えば次のようになる(徳間書店本より要点を摘出する)。
「まず万事に慎重である。次に、消極的である。しかも、重厚である。物事に執着せぬ。飾り気がないこと。無心なこと。そして捉え所のないこと。これは実に底知れぬ深さを持つ人物である。『道』を体得した人は、完全になろうと努めずに、おのずと完全になる」。
老子の政治家像と儒教の政治家像が対比されることが多い。この点について福永光司氏(朝日新聞社本)は次のように解説している。
「仁義・礼儀という倫理的な規範を至上の価値としてそれに固く身を鎧(よろ)おうとするのは儒家であるが、仁義を大道の廃れたものとし、仁を断ち義を棄つる自然の道を強調するのは老荘(老子と荘子)であり、患難には相い死し、身を殺して仁を成し、義を見てせざるを勇無しとするのは儒家であるが、愛するに身を以てし、己れの生命をあらゆる価値規範に優先させるのは老荘である」。
福永氏の解釈は伝統的な見方を代表している。私の解釈は上記の福永氏の見方と似ているが、厳密に言えば少し違う。老子は儒教的「人為主義」を嫌い、「自然主義的な生き方」すなわち「自由で自然流、無理しない生き方」を主張した。儒教が規律とスピードを重視する都市型社会の政治家像を求めるのに対して、老子は自然と同化する農村社会の政治家像をより優れたものと考える。
ひるがえって最近の日本。二人の政治家が再評価されている。
一人は1960年の日米安保条約締結時の首相だった岸信介氏。たとえば2003年4月20日付け産経新聞(2面)は「『岸政治』再評価の動き/強引さ批判も『あるべき政治家の姿』」との見出しの記事を掲載した。
この記事のなかで岸氏の孫である安倍晋三氏(現・内閣官房副長官)はこう語っている――「今まで安保条約の否定的側面ばかりが強調されてきた。基地があって沖縄では若い兵隊がとんでもないことをする、と。ところが今、北朝鮮に対する抑止力は米軍の存在抜きにはない、ミサイル基地に対するのは三沢の米軍基地であり、若い米兵なんだと。これが安保条約の本質なんです。これで日本が守られるということに国民が目を開いたんです。かつて(岸政治には)ネガティブな評価だけがあったわけですが、そんなふうに評価していただける時代になったのかなって思っています」。
首相時代の岸信介氏の政治手法は強引で強権的だった。この生き方が、今の小泉純一郎氏に引き継がれているように私には見える。ちなみに、小泉氏は岸信介−福田赳夫−安倍晋太郎−三塚博−森喜朗の系譜に属している。
もう一人が1978〜1980年に首相を務めた大平正芳氏。熟慮に熟慮を重ねる哲人的な生き方、謙虚な性格とともに、長期的な視野を持っていたことが再評価のポイントになっている。大平首相が1980年6月に急死したために日の目を見なかったが、大平内閣は『文化の時代』『田園都市構想』『産業基盤の充実』『環太平洋構想』など将来日本の生き方についていくつかの優れた提言を残した。最近、これらのレポートを再評価する動きがある。
その一つ『田園都市構想』は、地方・地域社会を重視し、家庭を大切にする思想を基礎にしたもの。21世紀日本の生き方として、大平氏がめざしながら果たすことができなかったこの構想を生かそうという動きが、元大平派の地方議員の間に広がり始めている。
ポスト小泉の政治方向は「岸型」と「大平型」の選択になる可能性がある。対米依存主義と強権政治の岸流政治をとるか、それとも、米国とともにアジア諸国との関係を重視したバランスある国際関係のなかで地域と家庭を大切にする穏やかな中庸的な大平流政治を選ぶのか、が問われることになるだろう。私は大平流を支持する。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0554.HTML