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(回答先: Re: 通貨、この未来からの贈り物 投稿者 南青山 日時 2003 年 3 月 23 日 03:47:25)
南青山様、はじめまして。
>岩井克人の本はきちんと読んでいないのですが、まさちゃんさんの引用を見る限り、
私のは引用ではありません。記憶に頼り、それもかなり自分が説明しやすいように表現ほか変更してありますので。
>貨幣システムが今日の人間社会と不可分である理由のすべてを言い当ててはいないように思えます。
言い訳ではないのですが、"理由のすべてを言い当"てるつもりなど毛頭なく、思い出話と話題提供が目的でした。
>『その後』でパン屋さんが欲しい物、例えば、製粉屋さんで小麦粉と交換してくれるからだ。
ごめんなさい、南青山さんを批判しようとか揚げ足を取るとかという意図はないことをお断りしてから、
胸を借りるつもりで、以下書きます。
>その中で、貨幣システムが特別の地位を占めている理由は、貨幣が交換可能性の最大値を実現しているからです。
>岩井風の説明でいえば、お金が通用する理由は、未来の交換可能性だけではなく、すべての交換可能性を保証するシステムの中で、
>貨幣システムが交換可能性の最大値を保証するから、ということになります。
オープンな領域内で、「最大値を実現」したり「最大値を保証したり」することは可能でしょうか?
数学的に、値域における最大値(最小値でも同じ)の存在を言うためには、定義域が有界(有限)である必要があったと思います。平たく言えば、範囲が限られてないのに、この値が最大(あついは最小)ということはいえない、ということです。
岩井の説明は、貨幣という機能がオープンな時間的領域()に依拠しているということです。南青山さんの主張は、その現実にはオープンであっても、人間はクローズされたものとして、
岩井説が主張するのは、貨幣が(中央銀行によって信用を付与された“贈り物”ではないだけでなく)、
共時的な構造によってもその機能を説明できず、通時的な構造(注)を持つという点にあると思っています。
(注)それも、過去方向(=これまで通用してきた)ではなく将来方向(これからも通用する)という方向性が刻印されています。
岩井の慧眼は、貨幣(あるいは交換という機能と言い換えてもよいかもしれない)は、一般の人が常識的に思い込んでいるように、現時点から(無限の?)将来へ向かって『進んで行く』のではなく、実は逆で、無限の将来から現時点へ向かって『やって来る』というある種の“倒錯的現実”を見抜いたのでしょう。
ただし、共時的な構造も、貨幣と現物の交換を繰り返すためには時間差が積み上がっていく必要があり、
結局は通時的な構造を伴います。時間空間システム内での運動と言い換えたほうが正確でしょうか。
つまり、岩井の“未来からの贈り物”という説明は、この時間空間内での(・・・→現物→貨幣→現物→・・・)という運動を時間の測地線に沿って記述した表現というわけです。
現時点・現地点という時空上の一点(注)で貨幣が通用しているのは、時間的に開かれた構造(延長観念)を人間が持ちうるからだと考えるのですが、いかがでしょうか?。
(注)わかり難い表現を使ってごめんなさい。ただ単に、その場その時ごとに交換は成立してますよね。
おそらく、“交換”という時間的に開かれた観念を持ち得ないから、動物は一旦手に入れた食物を手放しますまい(笑)。
>こんな話は、岩井克人の本では分析済みですかね。
どなたかの横レスという名のフォロー、期待します。
では、また。
#例によって、説明の順序とかメチャクチャになってしまいました。乱文乱筆多謝!です。