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(回答先: Re: 通貨、この未来からの贈り物 投稿者 まさちゃん 日時 2003 年 3 月 23 日 14:35:06)
(誤)岩井の説明は、貨幣という機能がオープンな時間的領域()に依拠しているということです。南青山さんの主張は、その現実にはオープンであっても、人間はクローズされたものとして、
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(正)岩井の説明は、貨幣という機能がオープンな時間的領域に依拠しているということです。したがって、“『すべての』・・・システム”を数え上げることは不可能と思われますがいかがでしょう?
「これで全てだ!」と言い切ったそばから(まだ考えていない(=数え上げていない)新しいシステムが残ってないのかい??)という囁きが頭のどこかから聞こえてくるはずです。
ただし、南青山さんの主張は、現実にはオープンであっても、人間はクローズされたものと仮定して“現実的に対処する(=日々生きていく)”ということと理解しました。
話が飛んで恐縮ですが、貨幣に唯一共通するのは退蔵可能性(=不朽性)だと思っています。
(貨幣が利子が取れたり取れなかったりは、貨幣に共通の性質でなく、文化や宗教や時代に依存することは、この議論板に集う人には常識の範疇でしょう。)。
円形の石、貝殻、金属、紙、電子メディア・・・いろいろと貨幣の素材は変わってきましたが、
共通するのは、退蔵できるという点です。
トマトを貨幣に選んだら、おそらく急いで交換しないと腐ってしまいますから、大変でしょうね(笑)。(注)
(注)貨幣のこの退蔵性のおかげで、本来なら一瞬一瞬消え去っていくはずのサービスも“財”として扱うことができ、自分が仕事として行ったサービスを量に換算して、さらに蓄積できるようになりました。
これは、話し言葉(瞬時性)だけの世界から、書き言葉(退蔵性、記録性)が発明された世界への変遷に似ているようです。
言語(学)と貨幣(学)は似ていることは、岩井や柄谷他の指摘にもあります。
個人的にも、言語と貨幣の並行性について学びたいと考えています。
その点、保存の利く穀物、特に日本における米(コメ)などが通貨的な利用のされ方をしたのには納得がいきます。
江戸時代大大名を「100万石の大名」などと評するように、(現在、金持ちを「億万長者」なと退蔵している貨幣で表現するように)「一億両の大名」的な表現ではなく、
石高であらわしたのは、もちろんそれが当時の生産力の豊かさを正確にあらわす正確さを持ちえていたのと同時に、
コメが貨幣同様の通貨的表象機能を有していた証だったからと勝手に想像しています。