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(回答先: 今一度日本の平和と国際貢献について考えよう 投稿者 きれいな自然を 日時 2003 年 3 月 21 日 20:41:19)
>報道でイラクの空爆で一般市民の負傷者が病院で治療を受けるのを見て胸が痛んだ。
>……
>青臭いといわれるかもしれないが、今一度日本にできる国際貢献と平和について考えてみようではありませんか。
こういう自然な人間としての感じ方を忘れないことが大事だと思います。
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>クリーン エネルギーの技術を開発途上国に提供することでそれらの国々が今後発展途上で不必要に公害を発生させて地球の自然の寿命を削るのを防ぐことが出来る。これがあれば地球上の資源争いの緩和に役立つ。
「成長のない時代」というのが「地球の自然の寿命を削るのを防ぐ」ための、現時点でのたけ(tk)の結論です。
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>日本の存在価値と国際貢献は現状では脱石油と脱原発の推進であると考える。
これは技術の話なのか、国内政治の話なのか、国際政治の話か、石油資源の枯渇で予想される経済危機の話なのかで、答えが変わってきます。
石油資源の枯渇はいずれ確実にやってくる→経済危機になる→経済危機を防ぐために国際的な対応が必要になる→日本が提案し、推進してくべき方策を検討する。必要な技術を開発する。という思考方法で思案中です。
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>イラク侵攻のような戦争は石油への過度の依存によって起こっているのだから、脱石油脱原子力のエネルギー開発を行いエネルギーの対外依存度を落とすこと。
クリーンエネルギーのコストが石油エネルギーのコストよりも下がれば、戦争の要因の一つは減らせますね。
ただし、これは戦争の要因の一つでしかないので、これによって戦争がなくなるわけではないのが残念。
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>国際財閥や大国の利権による圧力があってクリーンエネルギーの開発や普及が妨害されているという現実はある。
クリーンエネルギーが普及しない理由はいろいろありそうです。少なくとも投資家たちは、クリーンエネルギーが儲かると思えばそこに投資するようになるでしょう。
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>このようなクリーンエネルギーの普及を行えば、石油や原子力による国家間の争いのカヤの外にいても不安はない。
クリーンエネルギーのコストが石油よりも安くなれば、普及します。しかし、高いままだと、日本一国で普及するというのは難しいかも。
エネルギー安保の観点から政策的にクリーンエネルギーの開発・普及を行う必要があるという提案ですね。
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>日本は島国であるがゆえに長い間孤立してはいたが、同時に侵略も受けにくかったので混血民族でありながら国内統一の熾烈な内戦もなく、国の防衛という意識が江戸幕末まで希薄であった。
>日本は人類が理想としている調和、共存そして平和を幾分かでも体現できた歴史があったことを忘れてはなら ない。そしてそのことによって世界にどのように貢献できるかを考える義務があると思う。
昔の日本の鎖国状態と、現在の地球の鎖星状態(宇宙船地球号)とを対比させてイメージすると、何か良い案が出てくるかもしれません。
「調和、共存そして平和を幾分かでも体現できた歴史」というのはいつの時代を想定していますか?
たけ(tk)は江戸自体の300年の平和をイメージして宇宙船地球号の将来を考えたりしています。
このアナロジーだと、アメリカのイラク攻撃は、秀吉の小田原攻め(楽勝)、九戸の乱(苦戦、※1)かな? などと思ってしまいます。この予想はうれしくない。逆にアメリカの方がそうそうに覇権を失ってしまうという予想もあります。
もう一つのイメージとしては、出雲・大和あたりのイメージです。ここでは、日本列島内部での他民族支配が行われた後に、実質的には他民族国家であるにもかかわらず、宗教的に統一され、同一民族(という自覚)になってしまう不思議な現象が生じています。これを理解するキーは、征服者が被征服者の神を祭る、という面白い方法です。
それとは別に江戸時代の庶民生活のエコロジー感覚は参考になりそうです。江戸の町のふん尿が近郊農業の肥料として使われるというシステムなど。
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>はっきりいって日本人ほど自衛意識が希薄な国民も他にはないだろうと思う。これは理想を言えば人間としては純粋であり恥ずべきことではない。もちろん現実の世界では子供のように脳天気ともいえるが、人類の理想としては全世界が調和、共存そして平和であることだ。そういう意味では日本人が幾分かでもその理想を経験できたことは誇りに思っても良いのではないか。
誇るべきことだと思います。
孤立的世界でずっとうまくやってきたという経験は、これからの宇宙船地球号の方針決定に役に立つのではないかと考えております。
それをどうやって具体化していくか、賛同者を増やしていくかが課題ですね。
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※1:九戸の乱
http://cgi2.nhk.or.jp/pr/bangumi/omoban/o0314.shtml
「北の武将 九戸政実」 − 秀吉に弓を引いた男 −
天正18年、豊臣秀吉は20万の兵で小田原城を取り囲み、北条氏を降伏に追い込んだ。これをもって天下統一がなった、と歴史は語る。しかしこの翌年、秀吉が小田原城攻めに匹敵する軍勢を東北地方の小さな城に差し向けたことは、ほとんど知られていない。
「九戸の乱」……現在の岩手県二戸市にあった九戸城に九戸政実以下、5000の兵が立てこもった籠城戦である。九戸城を攻めるために秀吉が出 した兵は10倍以上の65000。さらに後方には関白・秀次が率いる10万を配備 した。天下を取った秀吉がそれほどの兵を繰り出した九戸政実とはどんな武 将だったのか? そして、そもそも九戸の乱が歴史の闇に隠されてきたのは なぜなのか?
http://www.iwanichi.co.jp/iwanichi01/news/mizu/12gatu/news-mizu_06.htm
NHK、歴史番組「南部・九戸政実 の乱−秀吉に刃向かった男」
九戸政実は、戦国時代に現在の岩手・青森に勢力を広げた南部氏の 一族、九戸南部の家系に属し、南部家中において勇猛かつ軍略に優 れた武将として、強力な軍団「九戸党」を率い、領地拡大に貢献した。 その後本家との対立を深め「九戸政実の乱」を起こし、南部氏からの救 援要請を受けた豊臣秀次ら豊臣軍十万の兵にわずか五千の兵力で猛 然と抵抗したものの、天正十九年(一五八六年)に捕えられ、斬首。これにより、秀吉の天下平定が完了した。