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(回答先: 征服者が被征服者の神を祭る 投稿者 たけ(tk) 日時 2003 年 3 月 22 日 16:41:51)
自分でもいささかきれい事すぎると思って投稿したのですが、真面目に読んでくださってコメントをいただけるので有難く思います。
私がクリーンエネルギーと書いたのはご指摘の通り「太陽」「風」「水」力を利用した発電です。しかし当然なことですが石油を材料とした部品がないとこれらのものは成立しませんから石油の利用はゼロにするのは不可能でしょうね。例えば燃料電池にしたって最初に電気分解に利用する発電が必要だと理解していますから石油依存度は下がっても依存ゼロにはなりません。
平和な時代の体現とは仰るとおり私は江戸時代をイメージしていました。現代社会の人権という観点で江戸時代をみれば当然ながら失格なのですが、200年間戦争がなかったという実績は文化の興隆に大きく貢献しています。私が岡山県津山市の洋学資料館に行ったときに驚いたのは、オランダ経由で来た書物に書いてあった物理学の概念をきちんと翻訳するだけの理解力のある人材と
学問の積み重ねが19世紀の初めの日本にすでにあったことです。つまりそれだけ学問も進むくらい落ち着いて平和であったということがいいたいわけです。
明治維新(時期としては大政奉還というべきでしょうか)が始まって20年くらいで各分野の学者を輩出できたのは江戸期の積み重ねがあったからだと思います。
江戸時代には義務教育がなかったにもかかわらず、日本はおそらく文盲の比率が世界で五指に入るほどに低かったそうです。鎖国時代であるので外国との競争や面子を意識していたとも思えないので(藩同士の競争意識はあったでしょうが)、文盲を減らしたのではありません。農民や職人の子弟に読み書きを教えるボランティアのようなご隠居があちこちに居て、ほとんど無償で読み書き算盤を教えた、と読んだことがあります。
江戸の町を見る限りは、ゴミや糞尿の処理は結構リサイクルが進んでいたようです。江戸町人のウンコも江戸周辺にすむお百姓さんたちにとっては江戸に野菜を供給するための大切な肥料だったので、野菜などと引き換えに有償で汲み取りをしていたと聞いています。今ではウンコは捨てる側がお金を払わねばなりませんが。
人糞を肥料に使わなくなった現代の野菜は有機栽培でビタミン豊富であってもミネラル分が30年前の十分の一くらいに落ちているそうです。ミネラルが欠乏するとビタミンの吸収を妨げるそうです。だから折角の有機野菜もビタミンが摂取できなくなってしまう。しかしし尿を水洗にしないと私が子供のころのように、ぼっとん便所に落ちる被害も頻発します。(これは結構笑い事ではないのです。同級生が肥溜めに落ちたのを助けたことがあるが大変でした。)
ただ江戸時代は鎖国ということで「閉鎖」という印象がイメージを悪くしているのは事実ですね。実際に吉田松陰のように出国しようとしただけで死罪になった人も多々あったわけですし、開国するか否かで攘夷とかいって暗殺もから。けれども江戸以前にも鎖国を制度化はしなかったものの、平安時代に国風文化ができたころには事実上鎖国を志向していました。
パソコンやエアコン、携帯電話と自動車が存在する状態で江戸時代のようなリサイクル社会が実現できるか否かは難問山積みではありますが、数多くの研究者が挑戦しているので心強くはあります。このまま自然破壊を続ければ、それだけが理由で人類が滅亡してもおかしくないわけです。これでは自分がした屁で窒息死するような(下品な表現でごめんなさい)おろかなことではあります。