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(回答先: Re: サル山の 殺し止めえぬ ヒトや、あわれ 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 3 月 22 日 15:26:00)
>>征服者が被征服者の神を祭る、という面白い方法です。
>これはどこでどのように行われていたのか、教えていただけるでしょうか。
身近なところでは、神社の本殿の脇に小さな社が並んでいるのを見たことがあると思います(名称失念)。これらは、被征服者たる地元の人々の神であると考えることができます。
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http://www.melma.com/mag/61/m00048261/a00000075.html
日本の古代神話には大きく分けて二つの系譜がありま
した。一つはアマテラスを主神とする伊勢神宮の系統。
もう一つはスサノオとオオクニヌシを主神とする出雲神
社の系統。
アマテラスの側は勝者を祀ることを主に行い、スサノ
オ/オオクニヌシの方は敗者の魂を慰めることを専らと
してきた。
そして、江戸期までの日本人のものの考えかたでは、
後者の方が重視された。
なぜならば、それまでの日本人は、社会を安定させる
ために大事なのは勝者を讃えることではなく、敗者の恨
みを慰め、怒りを鎮め、報復の連鎖を断ち切ることだと
信じていたからです。
勝者を讃えるのは次の戦に備えることであり、敗者を
祀るのは次の戦を避けることだとすれば、日本人は基本
的に平和主義者であったことになる。
実際、敗者の怨恨は日本人の思想においてなかなか大
きな役割を果たしています。菅原道真も、平将門も恨み
を抱いて死んだ。だから、そのたたりを恐れて、道真と
将門についてはいくつもの神社が造られた。
敗者の怨恨を慰める思想は御霊(ごりょう)信仰と呼
ばれます。
……
沖縄に「平和の礎(いしじ)」という施設があります
(いしじは、いしずえの沖縄語読みです)。
南に海を望む丘の上の広い公園に、長い石の碑が連な
り、そこに人の名が刻んである。
半端な数ではありません。234,183名(これは
1995年に碑が序幕された時の数字で、その後も毎年
追加しているので、今はもっと増えています)。
沖縄戦で死んだ人々の名をすべて記すというのがこの
碑の姿勢です。日本の兵士、アメリカの兵士、また日本
軍に徴用されていた朝鮮や台湾の人の名もあります。
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