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(回答先: Re: 主体の問題 米の認識するイラクの主体とフセインにとってのイラクの主体の差が不自然な戦争を結果した(という仮説) 投稿者 F 日時 2003 年 4 月 17 日 05:34:13)
ブッシュ−フセイン合作説の証拠を検証する
私見はもう述べましたので、今回は私もFさんに加わって疑問を呈することにします(今回は、私見から離れて検証に加わるということです)。
(戦争直前のフセイン政権は、アメリカとこの大規模な取引を行うことができるような関係にあったのだろうか)
Fさんの疑問です。
私も両者が良好な取引関係にあったと思っています。
ただし、それはイラン−イラク戦争開始前からずっときわめて良好かつ親密な関係にあったという個人的関係、そして中東への楔として重宝されてきたという歴史の流れを概観しての結論です。 残念ながら状況証拠です(私の力では検証は難しいですね)。
一般世間では、フセインは湾岸戦争で裏切られて以来、ブッシュ親子と仇敵関係にあるという理解がされていますね。
フセインは、イラン−イラク(代理)戦争を長年にわたって戦い抜いてきました。 自分ほどの忠犬はいないと信じていたはずです。
クウェートぐらいはご褒美として頂いてもいいだろうと盲信していたわけですね。
ところがそれは罠でした。罠にかけたのはブッシュでした。
これほどひどい罠にかけられたフセインが、再びブッシュと(旧友)ラムズフェルドを信用して自分と親族との命を預けるのかという疑問は一般的には残るでしょうね。 さらなる検証が必要でしょう。
(7、 フセイン氏が最高権力者になっていなければ、79年に起きた「イラン・イスラム革命」がイラクに波及することを防止する名目で行なわれた「対イラン(イラン−イラク)戦争」はなかった)
(8、 それまで(註 フセインが最高権力者になるまで)親ソ連志向であったイラク(バース党)政権が、米国寄りに転換した)
これらは湾岸戦争前であれば強力な証拠だったと考えます。 これ以上の証拠は不要でしょう。 フセインが飼い犬だったことに異を唱える人はいないでしょうね。
しかし、湾岸戦争後には関係が悪化したという世間一般の認識には、直接は答えられません。
(9、 1991年の湾岸戦争で停戦合意後に虐殺は南部(註 すなわち反フセインの地域)で起きた)は、ブッシュ−フセインの和解を示唆しています。 しかし、信頼関係の再構築の証拠とまではいえないんじゃないでしょうか。
(戦況を検討する)
私は戦況についての分析を基本的に避けてきました。
しかし、戦況についてはある程度明らかになってきたという感じもするので、この場で少し検討してみます。
南部戦線は激戦であり、補給路にある程度打撃を与えたが、北部では戦う気がなかったのは事実のようです。 フセイン指揮下の軍隊は、政府からの命令に従って降伏投降したことも明らかに思えます。 指揮命令系統が生きていたことも明らかに思えます。
ここから導かれる結論は、要するに「フセインまたはその代理人が降伏しました」ということです。
「単なる爆死等による戦線制御不能」という仮説は、整然とした投降降伏とは合致しそうにないからです。
フセイン政権に降伏意思が存在したとすると、以下の可能性が存在します。
(1)降伏意思が米国へと伝達された。
(2)降伏意思が米国へと伝達されていない。
(2)は常識的に考えにくいといえます。
少なくとも実際の軍隊の投降時期までには伝達されたと考えるのが自然です。
次に問題になるのは、降伏意思の米国への伝達時期です。
まず、正規外交ルートで降伏が伝達されたという話は私は知りません。 そもそもフセイン以下主要閣僚は公式には生死不明ですね。
すると、降伏意思が米国に内々に伝達されたということになります。
それでは、戦況から降伏時期を決定できるかどうかと言うと、開戦前の可能性が高いとはいえるが、開戦後の可能性を否定できる段階まではいたっていないという感想を持ちました。 順次検討します。
(証拠(2))米英侵略者と戦うことがムスリムの義務でありそのなかで死ぬことは天国が約束される殉教であると国民に強く訴えた大統領が、「敵前逃亡」したのである。)
(証拠(3)悪魔崇拝者であること)
降伏時期が開戦前という解釈と最も適合する精神構造です(これは私見と同じです)。
しかし、開戦後に敵前逃亡したという解釈を排除してはいません。
(4、 親フセインの北部ではほとんど戦闘が行われず、反フセインの南部シーア派地域では激戦だった。)
(5、 バクダットの防御がほとんど行われなかった。)
開戦後に降伏したという解釈を排除するところまではいきません。 降伏したという事実を示しているに過ぎません。
(6、 「バクダットのサダム国際空港奪回作戦」にあたり、サハフ氏はアラブ義勇兵を米軍側に売った。)
この時点で降伏意思が米国に伝達されていたことを示唆する証拠です。 ただし開戦前までさかのぼるという証拠にはなりません。
(10、 本来本格的な戦闘があるはずだった北部戦線の米軍の布陣が装備・人員ともにあまりに手薄だった。)
開戦時にフセイン政権に降伏意思があったという証拠になります。
開戦時に米国に降伏意思が伝達されていたという証拠になるかどうかは微妙です(米国側もイラク軍の戦闘意欲に乏しい布陣は開戦時によく分かっていたはずです。 従って、「事実上の合作」だったとは言えるような気がします)。 実際に合作していたかどうかまでは断定はできません。
(ネオコン側の作戦行動について)
米軍は少人数でバグダッドへと突進しました。
戦術的には、補給線が手薄な状況で突進するのは不合理です。 こうした不合理な戦術がとられた理由を順次検証します。
(1) 政治的タイムリミットが迫っていた。
早く戦争を終わらせたいという戦略的要求です。 一定の理由にはなるが、戦術的無理を超えて突進するまでの理由はなりません。
(2) 炎暑の到来前に結着を付けたかった。
だからと言って突進するという理由にはなりません。
(3) ネオコンは馬鹿だった。
戦略的に圧倒的に有利な状況において、わざわざ無理な作戦行動をとるほど馬鹿であると考えることは難しいですね(私が間違っているのかなあ)。 本当に無謀な作戦行動をとったが、空爆等が効いて結果オーライになったという可能性は、100%否定はできません。 しかし、一般的には考えにくいですね。
(4) フセイン政権側の抵抗が小さいか、あるいは存在しないことを知っていた。
これが最も合理的な解釈です。
ただし、次の可能性が考えられます。
(a) 降伏意思が伝達されていた。
(b) フセイン政権内に戦闘意欲がないことを諜報によって知っていた。
全体として、合作説が最も戦況と適合し、かつ矛盾の少ない解釈であると評価できます。
同時に、フセイン政権の戦闘意欲がないことが米国側に伝わっていて、開戦後に降伏したという解釈も、戦況分析に基づくと排除できないと思います。
(私見について一言)
私見では、戦略的側面から合作説に到達しています。
フセイン政権側の軍事警察機構および国民の情報と、フセイン側部族の生命財産の確保とを交換したという説です。
この説にたつと,ほぼ必然的に合作説に行き着いてしまいます。 こんな取引を開戦後に行うはずがないからです。
また、この説によれば、フセイン政権とブッシュ−ネオコンとの間に信頼関係を想定する必要はないように思われます。
一種の商取引として完結しているからです。
両者ともに、相手の持ち物を喉から手が出るほどに欲しかったはずだからです。
フセイン政権側の軍事警察機構および国民の情報と、フセイン側部族の生命財産の確保とを交換したいと申し出たのはたぶんネオコン側でしょう。 フセイン政権側はこの申し出に乗るしか、親戚郎党を助ける方法がありません。
(合作説の今後の検証について)
合作説が正しいとすると、「バグダッド裁判」において、フセイン親族郎党高官が裁かれないだろうという見通しが立ちます。
主要メンバーは生死不明のまま処理されるはずです。
以上で宿題おわりっと。