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Re: 私もブッシュ−フセイン合作説の証拠を検証しました
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/1030.html
投稿者 F 日時 2003 年 4 月 17 日 22:34:57:IVJACidRB5fhY

(回答先: 私もブッシュ−フセイン合作説の証拠を検証しました 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 4 月 17 日 14:41:24)

すみちゃんの
「ブッシュ−フセイン合作説の証拠を検証する」に返答します。

くりかえしになりますが、私は合作説(フセインお仲間説)とは又別の、三極対立説を立ててみました。
この仮説では、フセイン ー 一般国民(イスラム) - アメリカ(ブッシュ)という三すくみの敵対関係を仮定しています。フセインとブッシュの間に闇の結託はなかった、とする場合です。フセインはこのことを事前によく理解していた。一方、米軍は、イラク一般国民はアメリカの味方になる、と信じ込んでいた。二極の幻想、「敵の敵は味方」というハリウッド的な幻想に基づく単純な世界観です。米軍は三極の事実を南部での猛烈な抵抗に遭って初めて気がついた。

これが昨日の文の最後でしたが、今日は一歩進みますが、事態をもうすこし複雑にします。ブッシュとフセインの間の取引の仮定と同様に、私もある仮定を補助線として導入しましょう。共和国防衛軍に勝海舟のような指導的な人間を想定します。この勝海舟的人物(共和国防衛軍のトップに近い階級でありながら反骨の一般には変人の部類に入る人間で、その幅広い人格と度量から兵士全般に信頼されている人間)をここではKと仮にします。フセイン政権のうちにいて人格ゆえに出世は遅いものの、しかしフセインもその人間性ゆえにある程度認めざるを得ない、そんな人間です。荒唐無稽と思われるかもしれませんが、ブッシューフセインの裏取引の存在の可能性と同様の仮定、と考えてください。そんな誠意ある人物はどこにでもいるものだからです。

私が突然このようなことを思いついた理由はCNNである場面を見てからです。「バクダット陥落」の翌日か、翌々日かに、共和国防衛軍の工兵隊の小さなユニットを引き連れた白髪の恰幅のいい初老の士官がCNNのインタビューを受けていました。CNNはこの海千山千、という風貌の士官からなんとかしてフセインの悪口を言わせようとする。しかし士官は黙ってしまいます。この士官は制服を脱いで、ワイシャツ姿です。若い工兵達もおなじように無地のワイシャツを着ている。この士官がCNNにつかまったのは、米軍と交渉しに来たからです。まだ米兵に殺される可能性が十分あった「バクダット陥落」直後に、士官は、部下達を安全に通行させることや、なにか仕事がないかを聞きに、生命の危険を冒して米軍を訪れた。遠くの方で、ピックアップトラックに分乗した若い工兵達が、不安げに自分のボスが米軍と交渉している姿を見守る姿がズームで映し出される。私はそれを見て、イラクの社会が、家父長制の義で繋がっていることを直感的に感じた。そこで私はもっと政権の中枢近くにいたKを想像したのです。

フセインにたいする北部国民の感情は複雑だったようです。独裁制であったが、教育や厚生などの面ではアラブでも特別進んでいた。昨日ここにアップした山本美香さんの日誌の語るところでは、バクダット市民(おそらく中流階級のスンニ派でしょう)は「おとうさんのように怖い人」とフセインを形容をしていました。いると殴られたり怒鳴られたりする。しかしいざいなくなるとやくざが居座る。そして今居座っているのはやくざです。フセインを恨みつつもどこかで信頼している。旧来の家父長制度の父そのものの姿が見えてきます。

しかし同時にフセインはそうしたイラクの伝統的なシステムから少し外れた、織田信長のような人間だったようにも思える。それでも北部国民の捉え方は「おとうさん」発言から見て、家父長制度的な理解であり、「無茶をするドメスティックバイオレンスな父」といった存在だったように思えます。なにかというと家族を殴るが、それなりに家族を守り外でも突っ張る、しかしそれゆえに街のやくざの組長ににらまれてしまった父なのです。かつてこの父は、この組長の兄弟分だったかもしれないが、今は手を切って逆恨みされている。一方でKはイラクの伝統的な父の像を体現している。ちなみに私はイラクの生活・家族・社会制について住んだことがないので全く知りません。

そして、アメリカとの緊張感が高まったフセインが取引をしたのはKとである、と考えるのです。米による侵略と、その後の占領が不可避な状況で二者がどんな取引をしたかというと、米軍が攻めて来たら、ある程度南部でシーア派と米軍を戦わせたあとにフセインはイラクのどこかに潜伏し、Kはそれを裏で支援しつづける、ということです(これはフセインにとっての利益です)。一方で、戦争の損害は最小限にとどめるということ(これはKの願いを遂げるのでKの利益です)も取り決めた。また、このことはフセインにとっても逃亡後のことを考えると必要だった。フセインは共和国防衛軍の人間にも実は嫌われうとまれていたはずです。Kに対するほどの信はなかったでしょう。戦争を軽度のものに抑え、共和国防衛軍の人間の損失を最小にすることで、少なくとも「最後の最後までイラクを滅ぼした」と思われ、四面楚歌になる要素を減らすことができる。イラクにおける潜伏後の安全性は高まるかもしれません。

さて、以上のような妄想をふくらませたあとに、もう一度事実にもどってみましょう。

私もブッシュ−フセイン合作説の証拠を検証しました
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/1018.html
投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 4 月 17 日 14:41:24:xnvpUXgHxuDw6

>私も両者が良好な取引関係にあったと思っています。
>ただし、それはイラン−イラク戦争開始前からずっときわめて
>良好かつ親密な関係にあったという個人的関係、そして中東
>への楔として重宝されてきたという歴史の流れを概観しての結
>論です。 残念ながら状況証拠です(私の力では検証は難し
>いですね)。一般世間では、フセインは湾岸戦争で裏切られて
>以来、ブッシュ親子と仇敵関係にあるという理解がされています
>ね。
     
>フセインは、イラン−イラク(代理)戦争を長年にわたって戦い抜
>いてきました。 自分ほどの忠犬はいないと信じていたはずです。
>クウェートぐらいはご褒美として頂いてもいいだろうと盲信
>していたわけですね。
>ところがそれは罠でした。罠にかけたのはブッシュでした。
>これほどひどい罠にかけられたフセインが、再びブッシュと(旧友)ラ
>ムズフェルドを信用して自分と親族との命を預けるのかという疑問
>は一般的には残るでしょうね。 さらなる検証が必要でしょう。

以上の部分は、ブッシュとフセインの間の関係は一度は裏切られたものの、長い間親密であった、ということから、今回の戦争に関しても取引をした蓋然性が高い(>「歴史的流れを概観しての結論」)、ということだと私は理解しました。私はそのことを自分で検討したわけではありませんが、ここでは合意します。しかし人間の関係はご存知のようにいつどのように変わるかわからない。今回はどうであったのか、ということに焦点を絞って検討しなくてはいけない。昔やくざと付き合っていたという経歴は、今つきあっているかどうかということとは関係がない、とします。

そこでまず次の三つの古い「事実」を捨てることにしましょう。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - -
● 7、 フセイン氏が最高権力者になっていなければ、79年に起きた「イラン・イスラム革命」がイラクに波及することを防止する名目で行なわれた「対イラン(イラン−イラク)戦争」はなかった
● 8、 それまで(註 フセインが最高権力者になるまで)親ソ連志向であったイラク(バース党)政権が、米国寄りに転換した)

>これらは湾岸戦争前であれば強力な証拠だったと考えます。 
>これ以上の証拠は不要でしょう。 フセインが飼い犬だったこと
>に異を唱える人はいないでしょうね。しかし、湾岸戦争後には
>関係が悪化したという世間一般の認識には、直接は答えられません。

● 9、 1991年の湾岸戦争で停戦合意後に虐殺は南部(註 すなわち反フセインの地域)で起きた

>は、ブッシュ−フセインの和解を示唆しています。 しかし、信頼
>関係の再構築の証拠とまではいえないんじゃないでしょうか。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - -

● >南部戦線は激戦であり、補給路にある程度打撃を与えたが、北部では戦う気がなかったのは事実のようです。 フセイン指揮下の軍隊は、政府からの命令に従って降伏投降したことも明らかに思えます。 指揮命令系統が生きていたことも明らかに思えます。

>ここから導かれる結論は、要するに「フセインまたはその代理人が
>降伏しました」ということです。「単なる爆死等による戦線制御不能」
>という仮説は、整然とした投降降伏とは合致しそうにないからです。

三極対立説に矛盾する内容ではありません。フセイン(Kも含んでいる)と対立する南部イスラム国民と米国との戦闘は、フセイン一統にとって漁夫の利でしかない。その後、共和国防衛軍はフセイン一統の指示に従って退却したのです。この退却の合図はフセインがテレビに登場することだった。それはフセインが逃亡する、という符丁でもあった。米軍の激しい攻撃がよそうされるので、連絡系統が破壊されることを予測していたのでしょう。この場合、テレビを通じた符丁が最も信頼できる。

>フセイン政権に降伏意思が存在したとすると、以下の可能性が存在します。
>  (1)降伏意思が米国へと伝達された。
>  (2)降伏意思が米国へと伝達されていない。
>
>(2)は常識的に考えにくいといえます。
>少なくとも実際の軍隊の投降時期までには伝達されたと考えるのが自然です。
>次に問題になるのは、降伏意思の米国への伝達時期です。

私はこれを判断不可能だ、とします。常識や自然かどうかだけでは判断できません。私はそこから一歩下がって、「米国はいずれ降伏することを知っていた」としたいと思います。これは状況証拠です。なお、これも三極対立説と矛盾しません。

>まず、正規外交ルートで降伏が伝達されたという話
>は私は知りません。 そもそもフセイン以下主要閣僚
>は公式には生死不明ですね。すると、降伏意思が
>米国に内々に伝達されたということになります。

私は伝達されたかどうか判断できないので、「米国は知っていた」ということだけにとどめます。

>それでは、戦況から降伏時期を決定できるかどうかと言うと、
>開戦前の可能性が高いとはいえるが、開戦後の可能性を
>否定できる段階まではいたっていないという感想を持ちました。 
>順次検討します。

私は降伏の時期よりも、いつ米軍は知ったのか、という点をここで問題にします。先にいうと、開戦前からしっていた、ということです。繰り返しになりますが、これは三極対立説と矛盾しません。

● 証拠(2)米英侵略者と戦うことがムスリムの義務でありそのなかで死ぬことは天国が約束される殉教であると国民に強く訴えた大統領が、「敵前逃亡」したのである。

● 証拠(3)悪魔崇拝者であること

>降伏時期が開戦前という解釈と最も適合する
>精神構造です(これは私見と同じです)。しかし、
>開戦後に敵前逃亡したという解釈を排除してはいません。

この二点はフセインの人物批評です。ちょうど私が上で織田信長にアナロジーを求めたように。
しかし、こうした人格が行動の因果関係(すなわち運命)を決定することはない、と私は思います。傾向を判断することはできますが、論証にはならない。

● 4、 親フセインの北部ではほとんど戦闘が行われず、反フセインの南部シーア派地域では激戦だった。

● 5、 バクダットの防御がほとんど行われなかった。

>開戦後に降伏したという解釈を排除するところまではいきません。
>降伏したという事実を示しているに過ぎません。

フセインとKの取引を考えれば、この戦闘の地域差や、バクダットの無防備な開城を説明できます。ただし、米軍は三極対立説に基づけば、開戦当初、南部の根強い抵抗を考えていなかった。フセインは当然予想していた。そこで、いつフセインは自分の姿をテレビに映すか(逃亡の合図、軍の退却)戦局の報告やテレビを見ながらずっと待っていたのでしょう。

● 6、 「バクダットのサダム国際空港奪回作戦」にあたり、サハフ氏はアラブ義勇兵を米軍側に売った。

>この時点で降伏意思が米国に伝達されていたことを示唆する
>証拠です。 ただし開戦前までさかのぼるという証拠にはなりません。

これは私の場合、「米国はあらかじめいずれイラクが降伏することを知っていた」ということの傍証になると思っています。これも状況証拠です。米軍はある日を境に、イラク軍が退却をはじめたのに気がついた。あらかじめ降伏する、という確実な情報を得ていたにも関わらず、思わぬ抵抗を南部で受けて、司令官はじりじりとその退却の開始を待ち焦がれていたのでしょう。そしてある日、降伏のフェーズが始まったことを認識した。これは米軍独自の判断です。でなければ、空港を占拠した次の日に、ミサイル攻撃になる可能性のあるバクダット近郊の空港に大型運送機C−17を着陸させないでしょう。米軍がそこまでフセインとその一味を信頼していると考えることができるでしょうか?「CNNを見ていてバクダット中心部進撃がひらめいた」という、いかにもうそくさくドラマチックな司令官のコメントも、当然演出されたものです。

● 10、 本来本格的な戦闘があるはずだった北部戦線の米軍の布陣が装備・人員ともにあまりに手薄だった。

>開戦時にフセイン政権に降伏意思があったという証拠になります。
>開戦時に米国に降伏意思が伝達されていたという証拠になるか
>どうかは微妙です(米国側もイラク軍の戦闘意欲に乏しい布陣は
>開戦時によく分かっていたはずです。 従って、「事実上の合作」だっ
>たとは言えるような気がします)。 実際に合作していたかどうかまで
>は断定はできません。

南部で投入した軍が少数で、苦戦したこともあわせて考えましょう。神浦さんが開戦のかなり前から言っていたのは、「北(トルコ側)から兵力を展開できなければ、開戦しない」という点でした。戦略上、これは常識なのだということです。しかし非常識にも南部だけから、それも米軍司令部があらかじめ計画した兵力よりもかなり低い状態で、態勢が整わないまま戦争になだれこんだ。これはあらかじめイラクが降伏することをアメリカがしっていた、ということです。南部の抵抗は予想していなかったので、兵站が伸び、いくつもの街を奪うこともできず最初の週が過ぎた。北部だけが米国の読みに当たっていた。「事実上の合作」ではあるが、三極対立としても矛盾はしません。以上のことを考慮すれば

>(ネオコン側の作戦行動について)
>米軍は少人数でバグダッドへと突進しました。 
>戦術的には、補給線が手薄な状況で突進するのは不合理です。
>こうした不合理な戦術がとられた理由を順次検証します。

この理由は明白です。
イラクがいずれ降伏することをなんらかの形で知っている一方、これは二極の戦争である、
という単純な図式をアメリカが信じたからです。結果として不合理になった。

>(1) 政治的タイムリミットが迫っていた。
>早く戦争を終わらせたいという戦略的要求です。 一定の理由にはなるが、
>戦術的無理を超えて突進するまでの理由はなりません。

>(2) 炎暑の到来前に結着を付けたかった。
>だからと言って突進するという理由にはなりません。

>(3) ネオコンは馬鹿だった。
>戦略的に圧倒的に有利な状況において、わざわざ無理な作戦行動を
>とるほど馬鹿であると考えることは難しいですね(私が間違っているのかなあ)。
>本当に無謀な作戦行動をとったが、空爆等が効いて結果オーライになったと
>いう可能性は、100%否定はできません。 しかし、一般的には考えにくいですね。

>(4) フセイン政権側の抵抗が小さいか、あるいは存在しないことを知っていた。
>これが最も合理的な解釈です。
>ただし、次の可能性が考えられます。
>  (a) 降伏意思が伝達されていた。
>  (b) フセイン政権内に戦闘意欲がないことを諜報によって知っていた。


(4)についてですが、どちらかは判断をつけることは不可能ですが、だから(b)諜報によって知っていた、を採用してもよい。そんなわけで、

>全体として、合作説が最も戦況と適合し、
>かつ矛盾の少ない解釈であると評価できます。

これには疑問を感じます。飛躍していませんか?

>同時に、フセイン政権の戦闘意欲がないことが
>米国側に伝わっていて、開戦後に降伏したという解釈も、
>戦況分析に基づくと排除できないと思います。

賛成です。したがって、三極対立説でも十分妥当で矛盾の少ない解釈が可能です。

>(私見について一言)
>私見では、戦略的側面から合作説に到達しています。
>フセイン政権側の軍事警察機構および国民の情報と、
>フセイン側部族の生命財産の確保とを交換したという説です。

残念ながら、これはまだ憶測です。フセイン側部族がどこかで安寧をむさぼっている、(米国の庇護の元)ということのなんらかの証拠が必要です。

>この説にたつと,ほぼ必然的に合作説に行き着いてしまいます。
>こんな取引を開戦後に行うはずがないからです。
>また、この説によれば、フセイン政権とブッシュ−ネオコンとの間に
>信頼関係を想定する必要はないように思われます。
>一種の商取引として完結しているからです。
>両者ともに、相手の持ち物を喉から手が出るほどに欲しかったはずだからです。

三極対立説の場合、取引の相手として共和国防衛軍の人格者Kを仮定しました。
この場合には商取引ではありませんが、双方が命を永らえる戦略としての取引です。
アメリカの侵略を、イラクにとっての災難として考え、この災難による災難を最も小さくする
手段がフセインとKにとって、今回の取引だった。

>フセイン政権側の軍事警察機構および国民の情報と、
>フセイン側部族の生命財産の確保とを交換したいと申
>し出たのはたぶんネオコン側でしょう。 フセイン政権側は
>この申し出に乗るしか、親戚郎党を助ける方法がありません。

私はフセインはイラクに潜むのが一番安全だと思っています。それは一番最初に書きましたが、フセインがイラクでは「ヤクザでダメなお父さん」だからです。不良の父がやくざの組長から逃げて隠れていたら、助けるのは家族だけでしょう。これまでの米国との付き合いから、米国を信頼できないことはわかりきっているはずです。例えばブッシュが失脚したらフセインはどうなるかわからない。そんな危ない橋をフセインは渡るでしょうか?

>(合作説の今後の検証について)
>合作説が正しいとすると、「バグダッド裁判」において、
>フセイン親族郎党高官が裁かれないだろうという見通しが立ちます。
>主要メンバーは生死不明のまま処理されるはずです。

「バクダット裁判」では裁かれるかもしれません。しかし実際に見つからなければ、処理しようがない。したがって裁判の行方は合作説の検証にはなりません。米国は取るものは取った、と確信しているので、これ以上フセインを探し出す理由はありません。


以上、三極対立仮説と比較しながら合作説と比較してみました。
明らかになったのは、仮説をさまざまに立てることはできる、といことではないでしょうか。
私は一方的に、三極対立説をプッシュする、という立場ではないことを了解してください。

散在する複数の点を線でむすびつけることは、星座を思い描くように
さまざまな方法があると思います。

真実を知るには我々にはより確かな情報を見つけ、洗い出すことが必要だ、
ということなのです。

戦術面の分析に関して言えば、なぜ共和国防衛軍が退却したのか、
誰がどのように指令を出したのか、
そして、開戦時に米軍はどのような情報を握っていたのか、
ということが鍵です。

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