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↓に対する応答です。
イラクという人はいませんから不信感を抱く主体を問題にする必要があります。
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/228.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 4 月 17 日 02:25:44:
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イラクの主体にスペクトラムがあるということはわかります。
あっしらさんの書き込みに応答し、その観察とVenikの観察との間の齟齬をもうすこし
検討してみたいのです。
私が注目すべきだと思うのは、戦況をつぶさに観察していたVenikが、イラク軍の撤退は南から順番に、整然と行われた、と見ている点です。それは自然発生的に戦闘放棄した、という様子ではなかった。軍の司令部の指示のもとに、計画的に行われたということを示唆しています。
また、共和国防衛軍の捕虜が「指令があったので戦場を放棄した」という証言もあった。だから、退却という場面における主体はフセイン政権であったのでしょう。この点であっしらさんの見方とVenikの見方とは一致しているように思います。
さて、とすると問題になるのは、戦争直前のフセイン政権は、アメリカとこの大規模な取引を行うことができるような関係にあったのだろうか、という点です。
これを単なる陰謀論で終わらせないためには、この点を集中して検証しなくてはいけないと思います。すなわち、Venikはそんな関係はありえなかった、極端にいえば、フセインがそんなに米国を信頼することはありえない、と感じていて、あっしらさんはありえた、と感じている。いずれの立場でも根拠がない、という点は同様です。
あっしらさんの「フセインお仲間説」の根拠を、今一度、拾いなおしてみましょう。
1、 数年前、フセイン大統領の“お仲間説”を三菱系総合商社の人にぶつけたら、「彼はフリーメイソンに入っているんだって」と当然のような顔をされてしまいました。(http://www.asyura.com/sora/war9/msg/457.html)
2、 米英侵略者と戦うことがムスリムの義務でありそのなかで死ぬことは天国が約束される殉教であると国民に強く訴えた大統領が、「敵前逃亡」したのである。これだけでも、精神が崩壊した人間であり、裏切り者であり、背教者であると断定できる。(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/865.html)
3、 (↑の次の段落)このような推論については、どうしてわざわざ察知されるような行動をとったのかという疑問が提示されるかもしれない。(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/865.html)
それについては、“悪魔崇拝者”は、「アホどもは、こんなに見せてやっているのに気がつかないバカばかりだ。それじゃあ、いいようにいたぶられても仕方がない」とあざ笑うことでたまらない快感を得られるからだと思っている。
そして、人々が殺し合うという戦争を映像で見せつけられている渦中で、一つ一つの出来事を冷静に見ている奴なんかいないさと高を括ってもいるのだろう。(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/865.html)
4、 親フセインの北部ではほとんど戦闘が行われず、反フセインの南部シーア派地域では激戦だった。(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/868.html)
5、 バクダットの防御がほとんど行われなかった。(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/865.html)
6、 「バクダットのサダム国際空港奪回作戦」にあたり、サハフ氏はアラブ義勇兵を米軍側に売った。(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/865.html)
7、 フセイン氏が最高権力者になっていなければ、79年に起きた「イラン・イスラム革命」がイラクに波及ることを防止する名目で行なわれた「対イラン(イラン−イラク)戦争」はなかった(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/888.html)
8、 それまで(註 フセインが最高権力者になるまで)親ソ連志向であったイラク(バース党)政権が、米国寄りに転換した (http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/888.html)
9、 1991年の湾岸戦争で停戦合意後に虐殺は南部(註 すなわち反フセインの地域)で起きた(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/888.html、http://asyura.com/0304/war32/msg/228.html )
10、 本来本格的な戦闘があるはずだった北部戦線の米軍の布陣が装備・人員ともにあまりに手薄だった。(http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/963.html)
1はまさに具体的な根拠になるかもしれません。しかし2から10は状況証拠です。うち、4と10は不自然な戦争であるが、合意による作為が背後にあれば説明が可能、という点です。これはピースゲームさんも指摘していた点です。
(ピースゲームさん http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/953.html)
これら2から10のどの点にしても取引を成立させるような関係があったかどうかの決定的な判断基準にはなりません。取引がないとしても説明づけられることが可能だからです。
たとえば、イスラムー米とその子分フセイン、という二極の図式ではなく三極、イスラムーフセインー米という形で説明することです。お互いに敵対している三すくみの状態です。イスラムがフセインと米の対立にまきこまれて南部国民やアラブ義勇兵が犠牲になった、という説明ではどうでしょう。
アメリカはとりあえず南部からバクダットまでを抑えてから、本丸の北部を叩こうと、トルコの抵抗にあってから決断し、戦争を開始した。バクダット陥落の演出はすでに脚本があって、とにかくもバクダットを抑えることで、北部を「テロリスト」にしようとした。実際に戦争をはじめると、アメリカは想定していない規模の思わぬ南部国民の頑強な抵抗に遭遇した。特に南部国民を「反フセインの牙城」と考えていたアメリカには意外な事態だった。
すなわちここでアメリカは初めて三極の構造を認識した。北部はもともと、戦う気がなかった。これはフセインの支配下だったから。米軍が攻めて来たら、フセインは逃亡しようと考えていた。
アメリカは事前にこのフセインの逃亡方針を察知していた可能性もある。ラムズフェルドの電撃作戦はこのフセインは腰砕けである、という情報があったからこそ、はじめてその無謀ともいえる、少ない兵力で戦争を開始したのかもしれない。フセインとイラクを固有の主体とアメリカはみていたので、南部の抵抗は米軍にとって想定外だった。思わぬ損害をうけた。
フセインはなにを考えていたか?当然のことだが、イラクの主体がフセインとイスラム、という対立した二極であることを常に意識していた。南部の頑強な抵抗も明確にイメージしていた。
フセインは敵前逃亡したが、そもそもそのような人間だったのである。イスラムを裏切った、という感覚もなかったであろう。本来二極だったのだから。かくしてフセインは闇に潜行した。あの最後のバクダットでの姿は、フセインの最後の感傷だったのかもしれない。
私はあっしらさんを論破しようとおもっているのではないことをお忘れなく。
検証を試みる、ということです。