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紹介書籍:『帝国以後 − アメリカ・システムの崩壊 −』(エマニュエル・トッド著・石崎晴己訳・藤原書店・2500円)
戦後世界の覇権国家米国の覇権喪失を論証しようとしたものであり、諸個人をも規定する世界のゆくえを考える上で極めて有意義な書である。
ネグリ&ハートの『<帝国>』よりもリアリティに富み、<帝国>に先行もしくは<帝国>とは別の歴史過程を説明しているという点でもお勧めしたい。
著者であるエマニュエル・トッド氏は、1951年生まれ、パリ政治学院を卒業しケンブリッジ大学で歴史学博士を得ている。
当該書籍の内容から推察すると、ユダヤ系フランス人のようである。(祖父がオーストリアのユダヤ人で米国に移住したことやフランスに多くのユダヤ人親族がいることが明記されている)
1995年のシラク大統領誕生に際して理論的に貢献したともされているが、彼自身の思想的立場は、政治的には自由主義的民主制を尊重し、経済的には資本主義を合理的とみなしつつ新自由主義や自由貿易には異議を唱えるといった程度しかわからない。(イデオロギー的な解釈や裁断は避けて科学的に説明するという身構えのようである)
フランス人の文章としてはレトリックも少なく、米国人のそれを思わせるもので読みやすい。(訳された石崎晴己氏の尽力に負う部分も多であろう)
トッド氏は、基本的に、米国が帝国から略奪者に変容し、略奪者であり続けるために世界に脅威を与えることでその地位を失うことになると判断している。
(略奪とは、米国民が消費する財の多くを諸外国に依存し、そのために必要な資金までもを諸外国に依存している経済実態を指す)
またイデオロギー的にも、米国が普遍主義ではなく差異主義に拠っていることから、帝国の名に値しないと評価している。
(属領民もローマ市民として包摂したローマ帝国とは異なり、内なる黒人・ヒスパニック・アラブ人を敵対(非人間)視している米国の実態を指す。普遍主義・差異主義という識別はフランス人らしい)
さらに地理的にも、ユーラシアが世界の重心であり、米国はそこから遠く離れた周辺国という見方をしており、ブレジンスキー氏の「壮大なチェスボード」はそれを自覚した上のものだと受け止めている。そして、チェスが国技であるロシアを相手にチェスを指すのは愚かだと諌めてもいる。(笑)
トッド氏は、米国の覇権喪失過程で、略奪者となった米国への対抗軸としてユーラシア+日本の同盟が生まれる可能性を示唆している。軍事面でのロシア、経済面でのドイツ+日本という構図で、コールマン博士と類似的な国際関係の変化を予測している。
そして、このような対立構図をアテネ=米国とスパルタ=ロシアの関係に比定している。
(トッド氏の経済を除く日本に対する評価には過大な面も見られる)
トッド氏は、人口学や文化人類学の分析手法を用い、識字率・出産率(合計特殊出生率)・乳幼児死亡率・いとこ婚・人種間通婚・殺人発生率・自殺率などの比較を通じて国民性や地域性を描き出している。(このような観点での認識は希薄だったので、判断の是非は別として興味をそそられた)
書籍からいくつか引用する。
「エリート主義とポピュリズムが対決するこうした政治システムは、なんとも奇妙な「民主主義」だ。普通選挙は存続しているが、右と左のエリートが、不平等の縮小につながるようないかなる経済政策の方向転換をも禁じることで合意しているのである。それはますます突拍子もない世界となって行き、選挙の駆け引きは、メディア上での大仰な対決を繰り広げた末に、現状維持に行き着く。エリート間の友好関係は、上層に公認の協議が存在することの反映に他ならないが、そのため、普通選挙が危機の可能性を示唆する場合であっても、表面上の政治システムが崩壊することは阻止される。」(P.41)
「世界はしたがって、二重の逆転に直面している。先ず世界とアメリカ合衆国の間の経済的依存関係の逆転、そして民主主義の推進力が今後はユーラシアではプラス方向に向かい、アメリカではマイナス方向に向かうという逆転である。このようにずしりと重い社会的・歴史的過程を想定すれば、一見奇妙に見えるアメリカの行動も理解することができる。アメリカ合衆国の目標は民主主義的にして自由主義的な秩序を擁護することではなくなっている。その秩序は当のアメリカ自体において内実を失いつつあるのだ。様々な財と資本の供給が最重要課題となり、これからはアメリカ合衆国の基本的戦略目標は、世界の資源を政治的手段によって統御することとなる。」(P.44)
「二つの型の「帝国」の資質がアメリカには特に欠けている。その一つは、全世界の現在の搾取水準を維持するには、その軍事的・経済的強制力は不十分である、ということ。二つ目は、そのイデオロギー上の普遍主義は衰退しつつあり、平和と繁栄を保証すると同時に搾取するため、人々と諸国民を平等主義的に扱うことができなくなっている、という点である。」(P.117)
「ある程度の犠牲精神が要求される作戦は、それが可能であるときには必ず同盟国の徴募兵部隊に任された。<中略>作戦毎に部族の長と契約して金を支払うという、現在アフガニスタンでアメリカがやっている「流儀」は、それゆえ昔ながらの方法の、さらに悪質化した現代版にすぎない。この面ではアメリカはもはやローマにもアテネにも似ておらず、ガリア人傭兵やバレアス島の投石兵を雇っていたカルタゴに似ている。B52はさしずめ像の代わりということになろうが、生憎ハンニバルの役割を果たす者はだれもいない。<中略>最近、死者なき戦争という概念が、少なくともアメリカ合衆国の側で浮上して来たが、この概念こそは、非対称的対決へのもともと持っていた選好を最終的到達点にまで突き詰めたものに他ならない。それはアメリカ軍の伝統的な地上での無能さを許容し、公式化し、さらに助長することになる。」(P.123)
「アメリカ合衆国の経済的・軍事的・イデオロギー的手段には限りがあるため、アメリカは己の世界的役割を主張するには、小強国を虐待する以外の可能性がないのである。アメリカ外交の酔っ払いの千鳥足のような行動振りには、一つの論理が隠されている。すなわち現実のアメリカは軍事的小国以外のものと対決するには弱すぎる、ということである。すべての二流の役者たちを挑発すれば、アメリカは少なくとも世界の檜舞台での役割を主張することができる。」(P.185)
「有効な対空防御体制、さらには核抑止力を持たない国は、いかなる国といえども、空から飛来する恐怖に情け容赦なく曝されるということを、実際上、世界中に示唆した。しかし地上戦に突入することができないというアメリカ陸軍の能力不足のために、超大国の根本的無能力も改めて浮き彫りにされてしまったのである。」(アフガニスタン戦争に関する説明:P.188)
「アメリカ経済は、消費財の大量輸入がさらに増大していることからも分かるように、その実体的現実においては生産性が低いということを認めるならば、株式資本化は虚構の集塊であり、アメリカ合衆国へと向かう金は文字通り蜃気楼の中に吸い込まれるのだと、考えなくてはならない。摩訶不思議なやり口によって、周縁部の特権者たちが資本投資と考えた金の動きは、アメリカ人にとっては、世界中から購入される財の日常的消費のために用いられる通貨記号へと変貌してしまう。資本投資はしたがって、何らかの仕方で蒸発してしまうということになる。<中略>アメリカで倒産がある度に、それはヨーロッパや日本の銀行にとっては、資産の蒸発となって現れる。<中略>どのようにして、その程度の速さで、ヨーロッパ、日本、その他の国の投資家たちが身ぐるみ剥がれるかは、まだ分からないが、早晩身ぐるみ剥がれることは間違いない。最も考えられるのは、前代未聞の規模の証券パニックにつぢてドルの崩壊が起きるという連鎖反応で、その結果はアメリカ合衆国の「帝国」としての経済的地位に終止符を打つことになろう。」(P.143)
「アメリカの経済関係の新聞・雑誌は、この両国(引用者注:日本とドイツ)のシステムを「非現代的」で「閉鎖的」として、その改革を要求し続けているが、現実にはこれらのシステムの誤りとは、あまりにも生産性が高いということに過ぎない。世界的不景気の局面では、最も強力な工業的経済の方が常に、時代遅れの経済や生産性が低い経済より打撃を受ける。一九二九年の危機はアメリカ経済を直撃したが、それは当時アメリカの工業力が強大だったからである。」(P.250)
」
「アメリカ合衆国は、不平等革命、寡頭制への転換の全世界的旗頭になったのだ。そのような転換は世界のすべての社会の指導階層の気をそそっていると考えることが出来る。今後アメリカが提案するのは、もはや自由主義的民主制の保護ではない。すでに最も豊かで最も力がある者に、さらに多くの金と権力を提案するのである。<中略>「帝国への統合」という選択肢はヨーロッパの指導階層から見て、国民国家を葬り去り、帝国と婚姻を結ぶという、二重の心性的革命を前提とするであろう。つまり一方では自国の民の独立を守ることを断念する。しかし自分たち指導階層は、その見返りとして、アメリカ指導階層に完全な資格者として組み込まれる、というわけである。」(P.242)
「ゲームは、チェックメイトで終わらず、ステールメイト[手詰まり]で終わることになろう。つまり唯一つの強国の勝利で終わるのではなく、どの強国も支配権を握ることができないという状態で終わるだろう。」(P.270)
「われわれがこれ程まで、自分を凌駕する経済的・社会学的・歴史的な諸力によって引きずられていくのであれば、市民としても政治家としても、われわれは何を為すことが出来るのだろうか?先ず第一に、世界をあるがままに見るすべを身に付け、イデオロギーの、その時々の幻想の影響、メディアによって養われる「恒常的な偽の警報」(これはニーチェの言葉だ)の支配を脱すること。現実の力関係を感知するというのは、それだけでも大したことである。」(P.273)
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※ 関連参照書き込み
『「世界帝国」のごく簡単な姿』
( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/1132.html )
『「世界帝国」と帝国主義国家』
( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/1172.html )
『アジア問題の今後と「世界帝国」に向けた動き [アルファンドさんへ]』
( http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/1112.html )
『「近代」日本と今後の世界:国際金融家(寄生者)には読んで欲しくないが、知ってることだからいいだろう』
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/901.html
『「近代」は、アメリカ大陸の暴虐的収奪から始まり、覇権国家米国の没落で終焉する』
( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/468.html )
『【国際情勢を考える手掛かり】 {(近代産業主義 Vs. 近代金融主義) Vs. (イスラム近代派 Vs. イスラム利権派)}という対立図式 − 日本が立っている歴史的岐路 −』
( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/632.html )
『【国際情勢を見る手掛かり】 世界の対立構図は今後どのように変容するのか』
( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/638.html )
『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明::国際管理通貨制における外貨準備 《米国政府の対外債務返済能力》 〈その12〉』
( http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/128.html )
『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:産業経済主体の論理と金融経済主体の論理 《今後の世界動向を規定する対立》 〈その13〉』
(http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/147.html)
『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」とグローバリズム 《国民経済と経済主体の対立》 〈その14〉』
(http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/152.html)
『【デフレ問題再考 <その2>】 “強い国際企業”を抱える日本とドイツが「デフレ不況」に陥る経済論理 − 中国のデフレは19世紀型 − 』
( http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/1251.html )
『政治力&軍事力によって経済論理を超えることはできず、経済力なくして覇権(政治力&軍事力)を維持することはできない』
( http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/323.html )
『そろそろ目を覚まそう:日本経済を含む世界経済は、「対テロ戦争」と並行するかたちで意図的に破壊されていく!』
( http://www.asyura.com/0304/hasan24/msg/145.html )
『共産圏も「パックス・アメリカーナ」の手のひらの上 − 米国的「戦後世界」解釈からの脱却を − [Mr.Xさんへ]』
( http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/350.html )