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ポケモンパニックの次の日、こんなものが届いた。
「ある情報機関報告書内の参考内容文から抜粋」
writing by Mr.Hashimoto
画像メディアの脳への影響に関する研究報告
―テレビ映像の大脳生理学的アプローチ
一.テレビと脳波
テレビが脳に悪影響を及ぼすかもしれない、ということが人々の関心を集め
たのは広告業の現場からの「告発」としてかかれたジェリー・マンダーの著作
が一つの契機となっている(Mander,1977=1985)。その中でマンダーは、自分の
経験や医学関係者へのインタビュー、数少ない先行研究に基づいて、テレビが
受動的な心的態度を作り出し催眠効果をもつことを力説した。とくに神経生理
学的影響に触れた章でマンダーが主に依拠した研究はオーストラリア国立大学
生涯教育センターのエメリー夫妻によるものである。マンダーによればエメ
リー夫妻が報告した概要とは「人は反復される光の刺激(点滅する光や点のパ
ターン)に対して習慣化され、流れてくる情報の処理を停止させる。とくに論
理、理性的コミュニケーションと分析、感覚と記憶の統合の場である左脳の三
九野(一般的統合領域)は低レベルの活動を継続する。一方、右脳はテレビイ
メージを無批判で受容し続ける。その結果、テレビ視聴中は、認識、記憶、分
析などの思考に基づく学習はほとんどおこなわれず、一種の睡眠教育が演じら
れる」というものである(なお、筆者はエメリー夫妻の報告書を入手できなか
った)。ところがこのエメリー夫妻もテレビ視聴中の脳活動を自分たちで確か
めたわけではなく、脳波の緩慢化の部分ではクリュグマンの実験結果一つに依
拠している。クリュグマンの研究の概要とは「番組の種類にかかわらずテレビ
を見続けた場合、脳波は緩慢化を始め、α波とθ波が優勢になり、しだいにこ
の両波が惰性的なパターンを示す。α波は瞑想時に生じる脳波であるから、テ
レビ視聴中は非常に受動的な状態に陥っていることになる。一方、読書時の場
合は、このような反応は生じず、能動性を維持し続ける」というものである
(詳細は後述)。なお、マンダーは、別の科学的実証例として、子供一〇名に
好きな番組を見させた際、全視聴時間中α波が優勢になったというマルホラン
ドの研究(Mulholland、1974)の知見も付加している。
こうした説をさらに広めたのがムーディーの啓蒙書"Growing up on Televis
ion"(Moody,1980=1982)であった。ムーディは、ハーバード大学の心理学者ジ
ェラルド・レサーの命名によるという「ゾンビー・チャイルド」というキャッ
チフレーズを効果的に使用して、テレビの脳への悪影響をアメリカのインテリ
層に広く認識させるのに成功した。
ここで問題になっているα波とは、安静時に優勢になる波形パターンであ
り、ヨガの瞑想時などにもあらわれる。α波自体はけっしてよくない状態の脳
波というわけではなく、血圧の低下、コレステロール分泌の抑制を伴うことも
あり、意識的にα波を高めれば思考力・集中力が強化されるという俗説もある
(現に「α波CD」が売られ、「α波開発セミナー」なども実施されてい
る)。通常α波は不安定で、新たな視覚刺激が与えられたり、注意を何かに集
中することにより容易にβ波に移行する(α抑制)。そのためα波と認知活
動・注意力は負の相関をもつとみなされる。
テレビと脳波、とくにCM視聴と脳活動の関連に注意を向けた先駆者はエメ
リー夫妻が取り上げたクリュグマンである。彼は早くも一九六五年にPOQ誌
上にCM受容の際の脳の受動性について述べ、七一年には実際に実験を実施し
た(Krugman,1965,1971)。彼は、被験者(一人)に個室内で雑誌を読ませた後
テレビCMを見せ、その間の脳波を測定した。その結果、読書時にはβ波が優
勢であったが、テレビ視聴時にはθ波とα波が多く、β波の出現は希であっ
た。また、CMが反復されるたびにβ波は消失した。彼が積極的な認知活動の
指標とみなすβ波が視聴時に消えたことから、テレビは自我関与度の低いメデ
ィアであると論じた。同時に彼は、テレビCMが右脳優位の刺激であろうとも
示唆している。しかし、彼の「実験」はたった一人の被験者に短時間のテレビ
を見せた結果だけに基づいており、しかも実験中、深い睡眠期にあらわれるは
ずのδ波も観察されたとほのめかしているところから、一部で実験の信頼性に
疑問がもたれている。テレビCM処理の右脳の優位性については、その後ハン
セン(Hansen,1981)が問題を消費行動一般に広げ敷衍した。ただし、新たな実
験結果が呈示されているわけではない。
もちろん、テレビがα波の発生を誘発し、また情報が右脳で優先的に処理さ
れるという見解に対する批判も多い。大脳生理の専門家には、そもそもテレビ
番組のような複雑でヴァリエーションに富む刺激と脳波パターンの一般的関係
を論じることに否定的な意見が多かった。また、CM受容の脳の片側優位性に
ついても、(脳梁が切断されていない)健常者で明確な傾向があらわれにくい
ことも指摘された。
一九七〇年代の終わりから八〇年代にかけて、テレビ映像と脳波についての
研究は、テレビの脳活動への影響、ということよりも、製作現場や広告主の関
心もあって、どのようなCMが脳を活性化するかに焦点が移行していく。実
際、この種の研究の発表の場としては、マーケティングや広告研究の雑誌が中
心となった。たとえば次のような研究がある。
ワインシュタインら(Appel et al,1979,Weinstein et al.1980)は、記憶に残
りやすいCMとそうでないCMがそれぞれ発生させる脳波の違いと脳半球の優
位性をみた。まず、記憶再生テストにより、再生率の高いCMと低いCMに分
けた(これによって一〇の商品について実験刺激CMを二対づつ用意する)。
別の被験者に計二〇のCMを三度繰り返して視聴させ、その間の脳波を測定し
た。その結果、@何も映していない画面を視ているときより、CMを視ている
ときの方がα波は少ない(この場合、α波の少なさを関心の指標としてい
る)、ACM視聴中、右半球にややα波が多くみられたが、統計的には半球の
優位性は見いだされなかった(これは彼らの仮説と異なった)、B思い出しや
すいCMはα波が少なかった(仮説通り)、等のことが見いだされた。さら
に、第二の実験では、通常のテレビ番組に挿入したCMと、雑誌の中の広告と
をそれぞれ視たり読んだりしている間の脳波を調べた(今回はβ波の発生を関
心の指標としてる)。その結果、@テレビCMを視ているときより、雑誌広告
を眺めているときの方がβ波が多い、A左半球のβ波の発生は、雑誌広告を眺
めているときの方が多かったが、実験中コンスタントにその現象がみられたわ
けではない、B思い出しやすい雑誌広告の方が、そうでない広告よりも多くの
β波を発生させた(想起の容易度については別のテストで測定済み)、しか
し、テレビCMについては、思いだしやすさによる差異は見いだされなかった
(この結果は、仮説に反する)、等のことが見いだされた。結局、彼らの実験
は、活字広告の方がテレビCMに比べ、脳が積極的に活動する可能性を示唆し
たものの、テレビCM視聴中の半球の優位性については統計的に差異を見いだ
せず、また、テレビCMの記憶への残りやすさと、視聴時の脳の活動との関係
についても、結果をあいまいなままの形で残した。
また、ロスチャイルドら(Rothschild et al.1986)は二六名の被験者に対し
て一八のCMを挿入した一時間のテレビ番組を見せ脳波を調べる実験を行な
い、その知見の一つとして、一つのCMの視聴中でもα波の生起には起伏があ
ることを見いだした(図1参照)。すなわち、一般にCMの開始時にはα抑制
が起り(注意が向けられる)、秒の経過とともにα波は増えるが、シーンの変
化、言語的メッセージの挿入、突然の動き、明度の激増などの要因でもそのと
きどきにおいてα抑制が生じる。
結局、CMについては、訴求性や商品自体に対する関心、親しみ等のCM自
体の特性だけでなく、CMの中でのシーンの変化によっても中心的な脳波の特
性が変化することが明らかにされたわけであり、一般論としてCMと脳活動と
の関係を論じても無意味なことがわかる。まして、CM以上に内容が多岐に渡
るテレビ番組では、両者の一定の関係など見いだしようがなかろう。
なお、刺激にテレビ番組を用いて、テレビ視聴中にはα波が中心的に発生す
るという説を否定した実験があるので紹介しておこう。ミラー(Miller,1985)
は五六人の被験者に五種類のテレビ番組(ショーグン、メアリー・テイラー・
ショーなど)のいずれかを見せ、α波の出現や半球の優勢性について調べた。
その結果、@五六人のうち、α波優位になったのは六人に過ぎず残りはβ波優
位であった。また、時間の経過とともにα波が増加するという傾向も見られな
かった、Aα波、β波いずれについても、番組視聴中、左右のいずれかの半球
でとくに優位性は見いだせなかった。この結果だけからみれば、テレビ情報は
右脳で優先的に処理されるという説は否定される。
この種の結果は、番組の内容はもちろん、被験者の嗜好や実験状況からくる
緊張度などによっても左右される。PETを用いた脳活動状況の実験で、同じ
刺激に対して同一人物でも日時が異なればかなり違った結果がでるのと同様で
ある。したがって、ミラーの実験結果を結論とすることはできない。事実一方
で、テレビCMの視聴が脳波の緩慢化をもたらすことを明らかに、グリュクマ
ンの説を追証した研究も存在する(Rugg and Dickens,1982)。また、テレビ映
像の内容というより、ブラウン管の点滅継続効果そのものが催眠効果をもたら
すという説もある(Brazelton,1972)。ただ一つ、番組がつまらなければ眠気を
誘い、おもしろければ脳は活発に活動するだろうということだけは、実験をま
つまでもなく言えよう。
二.ビデオゲームとてんかん
テレビやビデオゲームの画像が、脳の機能障害を直接的に誘発することがあ
りうるのだろうか。
一九九三年一月九日付英国紙『サン』は、"Nintendo Killed My Son!"の大見
出しで、任天堂ファミコンで遊んだ後、てんかん発作を起こし死亡した少年に
ついて報道した(ただし、この記事自体は六、七日付の『デイリーメイル』紙
記事のパクリである)。日本の新聞各紙は翌日ほぼ一斉にこのニュースを取り
上げ、その後「テレビゲームで遊ぶとてんかんになる」と一部で大騒ぎになっ
たのは周知のとおりである。
ずっと以前に、テレビもてんかんに結びつけられたことがある。一九七〇
年、イギリスの医学雑誌『ランセット(The Lancet)』は、テレビ視聴中にてん
かん発作を起こす患者が増加しているという報告例を紹介している。ビデオ
ゲームとの関係を示唆したてんかん症例の報告も『ランセット』が最初で、八
一年にはインベーダーゲームで遊んでいる途中にてんかん発作を起こした例を
報告し「スペース・インベーダーてんかん(Space invader epilisy)」との命
名がなされた。その後しばらく年に数例、ビデオゲームによって誘発された可
能性のあるてんかん発作の症例が散発的に英米の医学誌に報告されている。八
〇年後半は影をひそめていたが、九〇年、再び『ニューイングランド・ジャー
ナル・オブ・メディシン』に「ニンテンドーてんかん」の症例が報告された。
九一年には米ミシガン州で、てんかん発作の責任をめぐってニンテンドー・オ
ブ・アメリカに対する訴訟が起こされた。九二年八月からは任天堂は欧米向け
ゲーム機に「てんかんの気質がある人は医師に相談を」という警告表示を始め
ている。
日本でも既に一九八七年に「てんかん学会」で発作症例が報告されている。し
かし、朝日新聞が八九年三月に「テレビゲームてんかんという新しいタイプの
てんかん」の記事を載せたのを除けば、九三年に英国が大騒ぎするまでこの問
題はまともに取り上げられなかった。英米の新聞記事報道の真偽はさておき、
影響の大きさを考えれば、海外で大きく報道されてはじめて記事にするという
日本のマスコミのいつもながらの姿勢には問題があろう。
さて、そのビデオゲームとてんかんの因果性については、現在、少なくとも
日本の医学界ではほぼ一致した見解がある。すなわち、テレビないしビデオ
ゲームが直接的にてんかんの原因になることはない。ただし、光過敏性てんか
ん患者の一部(約二〇%)に、ビデオゲームへの接触がきっかけとなって発作
を起こす患者がいる、というものである。発作症状の誘因としては、画面のち
らつき、図形の変化といった光の感受性の異常、画面上の物体を追う眼球の動
きなどが考えられる(三宅,1993)。光過敏性てんかんは、カメラのフラッシ
ュ、ダンスホールのライト、陽光下の水面、木漏れ日などによっても誘発され
るというほどで、ビデオゲームが非常に危険なことは容易に想像されるから警
告表示は当然のこととして、もちろんこれをビデオゲームの悪影響と呼ぶには
あたらない。ちなみに、九三年九月一七日、ミシガン州マコーム郡循環裁判所
の陪審員六名は、全員一致で「ゲーム機の安全性に問題があった」とする原告
のクレームを退けた(ただし、この他にもまだ複数のてんかん訴訟が係争中で
ある)。
三.テレビ画像と言語能力の発達
乳児は想像以上に早くからテレビに慣れ親しみ、実際、長い時間テレビ画面
に接している。八一年にNHKが行なった調査(NHK放送世論調査所,1981)
では、〇歳(四カ月以上)で一時間四分、一歳で二時間二四分、二歳で三時間
もテレビを視聴していた。八一年といえばVTRの普及がまだ三%にも満たな
い時期である。現在、VCRの普及率が九〇%近くにまで達していることを考
えれば、乳児のテレビ画像接触時間はさらに増加しているに違いない。一般に
乳幼児はアニメや幼児向け番組など特定の番組にしか関心を示さないが、ビデ
オ録画することによって、彼らの興味を長時間テレビモニター上につなぎ止め
ておくことができるからである。また同調査が、乳児のテレビ視聴の様子を
「全く無関心」「音だけに関心」「画面だけに関心」「内容も理解」「習慣的
視聴」の五段階で母親に質問したところ、一歳までは「画面だけに関心」が七
割近くを占めるのに対し、「音だけに関心」は一〇%程度に過ぎなかった。つ
まり、乳児は、大人にひけをとらぬほどの時間、おもに画像だけに興味を示し
ながらテレビを見ていることになる。これがもし真実だとすれば、このことは
脳の言語に関する神経回路網の発達に非常に大きな意味をもっている。
乳児は出生した段階で既に、単なる機械音と言語音を区別している。モルフ
ィーズら(Molfese et al.1975)は、生後一週間から一〇カ月の乳児および四歳
から一一歳までの子供を対象に、単語音、意味を担わない音節音および機械音
に対する聴覚誘発電位の左右差を調べた。聴覚誘発電位とは、音刺激に対する
大脳皮質の電位変化を頭皮上から測定したものである。その結果、乳児におい
ても、機械音に対しては右半球で反応が大きく、音節音、単語音に対しては左
半球で反応が大きいこと、しかも子供や成人に比べて、左右差がかなり大きい
ことが見いだされた。このことは、新生児の段階で言語機能の(脳半球)側性
化が認められることの他に、人間の言語音を弁別していることを示している。
左右差が成人より大きいことは脳梁の未発達によるが、このことは言語音への
特異的な反応を強化し、言語の短期間での習得に貢献している。また、単に言
語音を区別しているだけでなく、人間の肉声、とくに女性の声の高さに優先的
に反応することも確認されている(DeCasper and Fiffer,1980)。
いっぽうで、音声刺激と視覚刺激が機械装置から同時に呈示されたばあい、
乳児は視覚刺激の方を優先的に反応する(Hayes and Birnbaum)。実際、先のN
HKの調査結果によれば、一歳未満の乳児は、テレビを見ても「画像だけに関
心」を示すのである。その理由の一つとして、機器に相互行為性が見られない
ことがあげられるかもしれない。つまり、新生児は人の語りかけに同期して手
足を動かせる(Condon and Sander,1974)。語りかけた大人の方も無意識に頷き
等の動作で反応する(体動の引き込み現象)。乳児はその過程を通して、自分
が人声を聞き取ったことを「確認」するのである。ところが、当然ながらテレ
ビやビデオなどの機器は体動の引き込み現象を生じない。したがって、画像メ
ディアの言語音に対しては、人声に対する反応の優先性は働きにくくなること
になる。もし仮に乳児において、テレビやビデオへの接触が、人間との接触を
大幅に上回るような状況が生じたとすれば、本来プログラミングされていた、
言語に関する神経基盤の成熟が阻害されてしまうことになる。その場合、画像
処理のための神経組織が、言語野の発達を「侵略」しながら特異的に発達する
可能性も考えられる。
実際、テレビばかり見ているだけでは言語はけっして発達しない。聾唖の親
をもち、隔離児童のような環境で育てられた健聴児の例では、親が意識的にテ
レビに接触させていたにもかかわらず言語の発達は見られなかった。また、地
域によってヨーロッパでは隣国のテレビ放送を幼少期から見て育つにもかかわ
らず(たとえば、ドイツ語放送に日常的に接するオランダの子ども)、自然に
その外国語を習得するということはない。このような状況でバイリンガルにな
る、という場合には、必ずまわりにその外国語を話せる人間がいて、ときおり
直接にその外国語で語りかけているのである。
四.受動的視聴と皮質連合野
テレビだけ見続けていて第一言語を習得することはないと述べたが、もし
仮に、生まれてからテレビばかり見せ続けられたとすれば正常に視覚系は発達
するのだろうか?物は見えるとしても、距離感や奥行き感覚に異常は生じない
のだろうか?―もちろんこのような疑問に直接答えるような研究は存在しな
い。しかし、その答えに近い知見を次の実験に見いだすことができる。
ネコの視覚の臨界期は生後から4カ月以内といわれ、その間ずっと暗室内で
育て続ければ視覚は正常に発達しない。臨界期内であれば、適正な視覚刺激を
与えると視覚は回復する。ヘルドら(Held and Hein,1963)は、八週間から一二
週間ずっと暗室で飼育し続けた八組の仔ネコを一日三時間に限って図2のよう
な特殊な実験装置状況下に置いた。仔ネコは能動群(図中A)と受動群(同
P)に分けられ、能動群は自分の四肢の運動と連動して円形舞台が回転し、視
覚環境が変化する。一方、受動群は、箱に乗せられているので、自分の四肢の
動きと無関係に視覚環境が変化する。この装置内に置かれる時間と視覚環境
は、両群まったく同じである。実験の結果、能動群においては、視覚と関連す
る行動にとくに異常は見られなかったが、受動群のネコには異常がみられた。
たとえば、両側の谷の深さに差のある崖状の台(実際は透明なガラス板が谷の
途中に張ってある)にネコを置くと、能動ネコはほぼ一〇〇%浅い谷に着地す
るのであるが、受動ネコの着地はランダムで、深い谷を回避するという傾向が
見られなかった。また、抱き抱えてテーブルに近づけても、受動ネコはその上
に前肢を置こうとしなかった。この場合、脳のどこに機能異常が生じたかは明
らかにされていない。しかし、受動ネコの様々な反応特性の分析から、皮質連
合野の機能発達に異常が見られるのではないかと推察されている。逆にいえ
ば、大脳皮質連合野の機能の発達には能動的運動が必要なことが示唆される
(津本,1986)。ヒトの乳児で大脳皮質連合野の統制による行動の再体制化が活
性化するのは生後四カ月といわれており、また一方で、視覚の臨界期は同じく
四カ月ごろに始まる(注3参照)。乳児がテレビの画像に興味を示し始めるの
もちょうどこの時期である。赤ちゃんがおもしろがっているから手間が省けて
いい、とビデオを子守がわりにしておくことがいかに危険であるかがこの実験
から暗示されよう。
画像とは直接関係はないが、長時間ずっとすわってテレビ画面を眺めている
というような行動パターンが、乳児期においては脳の発達を阻害することを示
唆する研究もある。クレッチら(Krech et al.1960,Rosenzweig et al,1972)
は、ラットを刺激の乏しい環境条件と刺激の豊かな環境条件に分けて離乳後八
〇日間飼育する実験で、豊かな環境下のラットの方が大脳皮質重量が有意に重
いことを見いだした(図3参照)。重量の増加は、皮質ニューロンの樹状突起
の発達によるものであり、シナプスの増加も確認されている。この場合、「刺
激の豊かな環境」とは玩具が備わり仲間がいることを意味しているが、行動的
には自発的な運動量に大きな差が見いだされている。なお、この効果は月齢が
低いほど大きい傾向が見られるが、明確な臨界期はない。人間の場合、環境を
構成する要素はもっと複雑なので、ラット実験の知見を単純に援用することは
できないが、少なくとも、能動的運動を伴わないテレビ類への過剰接触が、乳
児期の皮質ニューロンの発達にけっしてプラスにならないことは確かであろ
う。もちろん、テレビ番組の内容面での知的刺激という要素は考慮する必要が
あるが、それらに十分好奇心をそそられるほどの知的発達段階に達する以前に
テレビモニターの前で漫然と時間を過ごすことは脳の発育にとってためになる
ものではなかろう。
五.画像メディアの影響に関する大脳生理学的研究の今後の課題
今から約二〇年前、冒頭で紹介したマンダーは、UCLA生医学研究所内の
脳情報サービス(BIS)を訪れ、脳神経科学文献のデータベース(五〇万
件)から、テレビと医学・生理学的症例とを関連づける論文を検索した。その
結果、テレビに関する神経生理学・医学的研究の論文は、テレビてんかん関す
るもの二〇件、テレビと睡眠に関するもの二件、テレビが原因で頭痛が起こる
というもの一件、その他数件という状況で、テレビが脳の活動や脳の発達にど
のような影響を及ぼすかといった、マンダーにとって大きな関心のある問題を
扱った論文は見いだせなかった。その後の大脳生理学の発展は著しく、一方
で、検索もずっと容易に大量のものが可能となった。たとえば、今ではパソコ
ン通信を通してリアルタイムで米国の医学関係雑誌を検索し、本文まで取り出
すことができる。実際、私はテレビ、ビデオ、ビデオゲーム等のキータームで
検索を試みたが、ひっかかったのは八割がてんかん関係、あとは視力障害、腱
鞘炎等で、ほとんどがビデオゲームによる器官障害に関するものであった。ま
た、脳神経科学関係の文献でも直接「テレビ/画像メディアの影響」のような
テーマを扱ったものは、この論文で引用したようなものを除いて見いだし得な
かった。いってしまえば、現在、「画像メディアの脳への影響に関する大脳生
理学的アプローチによる研究」などは皆無に等しいのである。もちろんこれ
は、そのような研究が重要でないことをけっして意味しない。重要であるから
こそ、多くのマス・コミュニケーション研究者やこの方面に関心をいだくジ
ャーナリストが引き続いて文献を調べ、また、研究者たちにインタビューを試
みているのである。にもかかわらず、直接、疑問に答えうるような研究論文に
乏しいのは、やはり対象の複雑さによるのであろう。画像メディアは映像や
音、言語など様々なチャネルからの情報の集合であり、しかも複雑多様なメッ
セージを伝えている。「内容」を差し置いて、「形式」が脳にどのような影響
を及ぼすかだけを研究しても無意味に近い。自然科学という領域で学術論文と
して形になりうるのは、せいぜい、てんかんとの因果性のように、テレビの物
理的特性が、ある部位の機能障害を引き起こして明瞭な病状を引き起こす可能
性のある場合か受像器から発される放射能の影響のようなものに限られてしま
う。
「テレビが乳児の脳の発達に及ぼす影響」というようなテーマに対しても、
直接的な研究論文はほとんどないが、その重要性が認識されていないわけでは
ない。それが証拠に、本稿でも引用したヘルドとハインの実験やクレッチらの
実験は、脳と発達について述べた脳神経科学関係のテキストには必ずといって
いいほど紹介されており、その一部のものにはテレビによってもたらされた新
たな情報環境への危惧が述べられている。にもかかわらず、それらの研究が発
表された一九六〇年と六三年以降、この種の研究はほとんどなされていない。
自然科学で三〇年以上前の研究の成果がその後の追検証の紹介もなく幅を利か
せているのは異例である。
この種の研究領域では、その他に多動症児童(hyperactive child)の問題も
関連してこよう。これは、七五年、『ジャーナル・オブ・コミュニケーショ
ン』誌でロチェスターし精神衛生センター小児部長のワーナー・ハルパーンが
最初に提起たものである(Halpern,1975)。病院につれてこられる三歳未満の多
動症児童の大多数がセサミストリートを見ていたことから、その種の番組の画
像技法(ズームの多様やシーンの激しい動き)が、子ども達の神経システムに
対して刺激過剰状態をもたらし、そこからくるストレスが落ちつきのない行動
として発散されているのではないか、と彼は疑問を呈した。子どもにはあらか
じめプログラミングされた発達準備の階梯があり、一部のテレビ番組からの過
剰な刺激の入力は、ステップを上がる段取りとペースを崩してしまうとも述べ
ている。しかし、その後、多動症児童とテレビとの因果性の有無を検証した医
学界からの研究論文は少なくとも私には探し出すことができなかった。
また、CMや子ども番組でよく使われる突然のズームアップやパン、閃光な
どは、本来、環境の急変を意味する視覚情報であり、人間は無意識に回避行動
をとるよう仕組まれているが、実際には回避行動が無駄になるため、その経験
の積み重ねが視覚系と運動系の自然な反射構造をゆがませたり、距離感を狂わ
せるという説もある。生まれたときには既にテレビが情報環境の中心であった
世代が、とくに距離感に異常があるとか、実際に大きなものが近づいてきても
逃げなかったとかいうことはあまり聞かないから(ドッジボールが飛んできて
もうまく避けられない子が多くなったという新聞記事はあったが)、現実の問
題としてテレビはほとんど影響をもたなかったのであろう。実際、たかだか二
〇インチ前後の平面画像では、本来的な距離感や接近認識を狂わすほどの迫真
性はもっていないに違いない。しかし、今後、HDTVや3Dテレビなど、デ
ジタル映像のコンピュータ制御を駆使したよりリアルな画像メディアが主流に
なり、いわるゆヴァーチャルリアリティなるものがおもちゃの域から脱したと
して、乳児期においてそれらに過剰に接した場合、あるいは幼児期にゲームの
形を借りてその世界に浸りきった場合、接触者の知覚能力に変化が生じないと
は言い切れまい。検査技術・測定機器の発展もあって脳神経科学の発展は近年
とくに著しく、ほんの五年前には予想もできなかった脳活動のしくみが解きあ
かされつつある。テレビは現在でも我々の情報環境の中で圧倒的優勢を誇って
いるが、マルチメディアのお題目のもとに今後ますます画像メディアの優位性
は増すはずである。そうしたメディアへの過剰な接触が、本当に精神活動に何
の悪影響も及ぼさないのか、あるいは、子どもの脳の発達に変容をもたらさな
いものか、脳神経科学の研究者の本格的な取り組みが渇望される。
注釈
脳波パターンは覚醒水準と対応して変化する。覚醒時、注意を払っていると
きや緊張しているときには、一四〜三〇ヘルツのβ波、安静時には八〜一三ヘ
ルツのα波が現れる。うとうとし始めるとα波は四〜七ヘルツのθ(シータ)
波に移行する。深い眠りのときには三ヘルツ以下のδ(デルタ)波が生じる。
α波はこの他、瞑想にふけっているとき(とくにヨガ修行者)や逆説睡眠時に
も発生する。
マンダーによるマルホランドの研究の紹介は正確ではない。マルホランド
は、集中力訓練に関連した研究目的のため児童を2群に分け、一つの群はα波
の発生を防ぐ目的でテレビをつけっぱなしにし、他の一群は逆にα波を発生さ
せるために音声のみを聞かせ続けた。その結果、テレビ視聴群にあってもα波
が間欠的に生じたことを付加的に報告しているにすぎず、テレビをみれば必ず
α波が発生すると述べているわけではない。
仔ネコを用いた片眼遮蔽実験によれば、遮蔽の影響は生後四、五週に最も
生じやすく四カ月以降はほとんど生じない(Hubel and Wiesel,1970)。すなわ
ちネコの視覚の場合、臨界期は四週から四カ月ということになる。ヒトの場合
については、片眼の視性刺激遮断弱視のケースを多数集めた分析から、四カ月
から一歳以内が最も片眼遮蔽の影響を受けやすく、四歳頃まで臨界期内である
という(河野他,1981)。
受動ネコは、目の前に物が迫ってきたときに反射的に前肢を出す動作はで
きるが、眼で見たある特定のところに前肢を出す動作ができなかった。後者の
視覚誘導による反応は、視覚野と皮質連合野の領域が関連していると推察され
ている。この皮質連合野は空間認知に関与し、視覚情報に基づく行動を制御す
る。
別の研究では、視力発達の臨界期内において、皮質視覚野の発達には十分
な眼球運動が必要なことが明らかにされてる(Freeman and Bond 1979)。テレ
ビ画像への接触では十分な眼球運動は生じない。
参照文献 (※下線部は印刷時イタリックに)
Appel,V.,Weinstein,S. and Weinsten,C.(1979) Brain activity and recall of TV advertising,Journal of Advertising Research 19,7-15.
Brazelton,B.(1972) How to Tame the TV Monster,Redbook,April,1972.
Condon,W.S. and Sander,L.(1974) Neonate movement is syncronized with adult speech,Science,183,99-101.
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