(回答先: 国後の宿泊施設工事、落札業者が大手にほぼ丸投げ 投稿者 一般人 日時 2002 年 2 月 22 日 08:06:36)
宗男の右腕“ラスプーチン佐藤”の正体 外務省の3人の”宝”の1人だった
鈴木宗男衆院議員による外務省介入疑惑で鈴木氏と密接な関係が指摘され、その存在がクローズアップされた佐藤優国際情報局主任分析官(42)=写真左。22日付で外交資料館課長補佐に飛ばされたが、外務官僚をして「鈴木先生の了解がないと彼の人事には触れない」と答弁せしめる特別な存在だった。ノンキャリアながら、鈴木氏の海外出張に19回も同行した“ラスプーチン佐藤”の評判は−。
「彼と付き合いのある連中は『ラスプーチン佐藤』と呼んでいます。佐藤氏が鈴木氏と親密で、非常に近い存在なのは事実ですから」。外務省関係者は2人の関係についてこう話す。
ラスプーチンはロマノフ王朝時代のロシアに現れた怪僧で、皇帝ニコライ2世の皇后アレクサンドラに重用され宮廷入り。神秘的な占いや呪術を用い、宮廷内の人事にも影響力を持ち、淫蕩な生活を送って、反発した貴族に暗殺された“君側(くんそく)の奸(かん)”だ。
先の関係者は「君側の奸かどうかはともかく、鈴木氏の力を背景に日本の対露外交のカギを握っていることを意味していた」。
佐藤氏は昭和60年、同志社大学大学院で神学を修了後、ノンキャリアの専門職として入省。学生時代にマスターしたロシア語が堪能で、駐ソ連大使館や駐ロシア大使館などロシア畑が長い。神学専攻からの一連の経歴が、『ラスプーチン』の異名のモトになったとする説もある。
鈴木氏と知り合ったのは約10年前のモスクワ大使館勤務時代という。以来、鈴木氏の佐藤氏への信頼は先の参考人招致で「一級の外交官」と評するほど絶大で、平成8年から今年1月までに総理特使、官房副長官の肩書で海外出張した37回のうち、実に19回も佐藤氏を同行。「こんなお抱え秘書みたいな外交官は聞いたこともない」(同省OB)と、その存在は省内でも目立つものだった。
その特別ぶりを印象づけたのは、10年に新設された課長補佐級の「主任分析官」への抜擢だ。当時、佐藤氏は38歳だった。
「どんなに仕事ができてもノンキャリアの場合、部下がつく課長補佐級の地位になるのは50歳前後。あまりに早すぎ、彼の能力以外、つまり鈴木氏の“力”が働いたと噂が流れました。何しろ、田中真紀子外相時代の昨年6月、省改革案で『任期は原則最長3年』とされたのに、彼だけは異動にならなかった。彼のために鈴木氏が作らせたポストといわれても反論できません」(外務省関係者)
一方、別の関係者は「佐藤氏がモスクワ時代に築いた政治家、軍、果てはマフィアまでのパイプというのは世界レベル。彼はロシア語ばかりでなく、アゼルバイジャン語やアルメニア語も話す。世界的な情報機関のCIAやモサドなども彼の情報を評価するほどです」と、その実力を評価。
続けて、「今の報道のされ方だと、運転手とか秘書とか、鈴木氏のパシリみたいだけど、実際は佐藤氏が鈴木氏を政策的にオルグったっていうのが正しい」と説明する。
ロシア人気質を熟知し、“四島一括返還”に現実味がないと考えている佐藤氏が、“二島段階返還”を説いて、鈴木氏がこれに乗ったともされる。 ジャーナリストの歳川隆雄氏も「人間性とか鈴木氏との癒着とかはさて置き、佐藤氏は外務省が世界に誇る“3人の宝”の1人で、しかもダントツに優秀と聞いています」と話す。
こうした実力を背景に、佐藤氏はモスクワに研修で派遣されるノンキャリの専門職を取り込み、『佐藤グループ』の形成にも熱心だったという。
外務省若手は「鈴木氏の力を借りて人事に大きな影響力を持っていましたから、アンタッチャブルな存在でした。子飼いの部下の中には、佐藤氏と“一体”として、大使館ナンバー2の公使からも一目置かれている若手がいます。キャリア組はおもしろくなかったでしょう」と話す。
結局、“宗男ブーイング”に連座させられる形で、閑職に異動させられることになったが、ロシア側への佐藤氏の食い込みは、相当だったようだ。日夜を分かたぬ仕事ぶりのせいか、佐藤氏は離婚し、いまでは独身だという。
外務省OBのひとりは、「現在モスクワにいて、大手を振るっていた『佐藤グループ』の若手は、反佐藤一派による“粛正人事”に戦々恐々としていることでしょう」と、外務省を舞台にした役人茶番劇の第2幕を予言していた。
ZAKZAK 2002/02/26
http://www.zakzak.co.jp/top/t-2002_02/3t2002022601.html