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(回答先: Re: 金の価値と世界通貨 投稿者 あっしら 日時 2002 年 5 月 31 日 18:23:59)
江戸時代の日本では、大坂は銀本位制であり江戸は金本位制でした。そこで金と銀を交換する需要が起きてきて、鴻池両替店が生まれ、後に三和銀行となり現在はUFJとなりました。ヨーロッパの歴史を見てもローマ帝国は銀本位制ではなかったかと思います。
さて希少度、加工の容易さにおいて銀は金に決して劣ることはありませんでした。ですが銀本位制は消滅しました。日本に関して言えば、幕府にとってかわった薩長が大坂の自由な商業風土を嫌い、東京を中心とした中央集権制度を確立したかったがゆえに金本位制を採用したと理解しています。つまり金が選ばれたのは大坂を衰弱させ経済的主権を中央政府がにぎるためでした。
近代の歴史において金は産出国が限られており、そうした国が闇カルテルをつくり金の産出量、流通を管理することで資産としての金の下ささえをしました。端的に言えば英国と南アフリカによる管理です。
確かに現在、金の相場はその規模や取引量などにおいて銀やプラチナ、コバルトなどを圧倒していますがそれは別に金が通貨の裏づけに最適だからではないと考えます。英国と南アフリカのマーケティングが非常に上手だっただけです。
さてニクソンがドルを金と切り離してからずいぶん経ちました。人々はすでに裏づけのない通貨を当たり前に思っています。クレジットカードも買い物ができるわけですから、準通貨でしょう。ところがクレジットカードにあるのは磁気信号で、VISAなどがそれに保証をつけているわけです。決して磁気信号に価値があるわけではありません。要するに人々にこのプラスチックカードは価値があるんだよと信じ込ませればよいわけです。
さて本題に入ります。世界通貨が金の裏付けによって発行されること自体は十分可能だと思いますが、人々がそれを受け入れるかどうかは別でしょう。世界秩序の崩壊というすさまじい混乱の後で、世界政府がこの通貨は金の裏づけがあるから安心だよといって人々が信じるかどうかです。
あらためて価値とは何かを考えてみると、決してものに価値があるわけではありません。ピカソの絵画は見る人がそこに価値を見出すから価値があるのです。つまり本来価値とは、個人ひとりひとりの心の中にあるものであり、それは美であり自由であり食物でありさまざまです。自分がそこに価値があると思えば価値があるのです。ですが同時に社会により与えられた価値観というものがあり、その究極的な姿が通貨でしょう。つまり通貨の価値は押し付けられた価値であり、われわれが誰かにより”信じ込まされている”のです。
世界秩序が崩壊するならこれは絶好の機会です。自由、平等、公平という価値に裏付けられた通貨を作ればよいのです。もっともどうやって自由や平等を定量化して通貨の裏付けにするかは非常に難しいと思いますが。
長くなりましたが言いたいのは、価値は見る人の心の中にあるのであり、物それ自体には価値はありません。それは誰かがそうした価値観を植え付けることに成功しただけです。
少し青くさい議論になり経済学論理とはなじまないかもしれませんがいかがでしょうか?