(回答先: Re: 政府はデフレ解消を願っているが政策はデフレを進めるものばかり 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 23 日 23:12:21)
>しかし、経済総体の傾向である不況やデフレは、基本的に需
>要と供給の問題であり、風が吹けば桶屋が儲かるの話よりも
>ずっと簡単です。近代資本制経済は、そのような単純化を推 >し進めてきたのです。
「経済総体」と言いますが、それは個人や個々の企業という
レベルから諸階層とか産業部門・分野といったレベルをへて一
次産業、二次産業という極めてマクロな類別にいたるまで、さ
まざまなレベルで多様性と分離性の強い諸カテゴリー・諸個体
の集合なのです。
もちろん地域による差異もあります。そうした中でいろいろ
な経済現象は他の諸々の社会現象も含めてお互いに複雑に絡み
合い影響を与え合って、一つの国民経済における現実を形成し
ているのです。
だから不景気とかデフレというものを事実に即して包括的・
客観的にとらえることは統計分析一つをとっても骨の折れるこ
とだと思います。その原因を説明するとなったら本当は国民心
理・慣習とか社会の風潮・歴史、国際関係などまで考慮に入れ
ねばなりません。
景気とはとりあえずは社会総売買量(GDP)の大きさのこ
とです。デフレーションとは商品の売買量の減少などによって
貨幣に対する商品価値が低下していくことです。
それらを「需要<供給」の問題と割り切ってしまうことには
疑問を感じるし、なぜ「需要<供給」なのかは複雑でありうる
し、そもそも需要とか供給といったものをどう定義するかも問
題だと思います。欲しいけど買えない場合需要があるというべ
きなのかないというべきなのか。
わたしも「経済学」はいかがわしいと思っています。だから
私は経済学の用語や公式・モデルにとらわれた経済論議は嫌い
です。しかしそれでも現実の国民経済を全体として安易に判断
するのは危険だと思うので、経済の「部分」に着目して間違い
のない命題を立てそれに見合った「政策」を実行していくのが
責任ある政府にふさわしいと思っているのです。
安易な全体的判断による実験的経済政策は犯罪的だとも言え
ます。だから私はレーニンも毛沢東も小泉も竹中も、いずれも
政策実行者としては程度の差こそあれ危険だと思っているのです。