(回答先: 私も不良債権処理を急ぐのは反対 投稿者 書記長。 日時 2002 年 2 月 24 日 21:33:33)
>「経済総体」と言いますが、それは個人や個々の企業という
>レベルから諸階層とか産業部門・分野といったレベルをへて一
>次産業、二次産業という極めてマクロな類別にいたるまで、さ
>まざまなレベルで多様性と分離性の強い諸カテゴリー・諸個体
>の集合なのです。
> もちろん地域による差異もあります。そうした中でいろいろ
>な経済現象は他の諸々の社会現象も含めてお互いに複雑に絡み
>合い影響を与え合って、一つの国民経済における現実を形成し
>ているのです。
目に見える現実の経済的動きは、「書記長」さんが言われている通りだと思っています。
> だから不景気とかデフレというものを事実に即して包括的・
>客観的にとらえることは統計分析一つをとっても骨の折れるこ
>とだと思います。その原因を説明するとなったら本当は国民心
>理・慣習とか社会の風潮・歴史、国際関係などまで考慮に入れ
>ねばなりません。
統計分析は手法が確立しているので、データを集める手間だけだと思いますが、分析結果をどう考えどう役立てるかかは歪められた経済学のせいでたいへんだと思われているようです。
「国民心理・慣習とか社会の風潮・歴史、国際関係などまで考慮に入れ」なくてもいいように徐々にしてきたのが、近代資本制の発展であり、近代的価値観の浸透なのです。
それは、「お金がなければ生存自体ができない」→「お金が得るためには、労働力を売るか生産した商品を売るしかない」→「よりお金を得ればより快適で楽しい日々がおくれる」→「より多くお金を得ることは正義である」と言ったものです。
> 景気とはとりあえずは社会総売買量(GDP)の大きさのこ
>とです。デフレーションとは商品の売買量の減少などによって
>貨幣に対する商品価値が低下していくことです。
> それらを「需要<供給」の問題と割り切ってしまうことには
>疑問を感じるし、なぜ「需要<供給」なのかは複雑でありうる
>し、そもそも需要とか供給といったものをどう定義するかも問
>題だと思います。欲しいけど買えない場合需要があるというべ
>きなのかないというべきなのか。
GDPは、ある経済社会が生み出した付加価値の総量です。つまり、新たに生産されたものから既に付加価値として算入されている部分を差し引いたものの総和です。
そして、景気は、GDPの大きさではなく、大きくなっていくという動態的なものです。日本のGDPは今なお米国に次いでとてつもなく大きなものですが、深刻な不況が長期にわたって続いています。
以下のレスについては、「書記長」さんが疑念を持たれたくらいですから、多くの人が疑念を持たれている重要問題と考え、「空耳17」にアップさせていただきます。
「書記長」さんのレスが、とてもいい刺激になり、おかげで今一度冷静に考えることができました。
『【経済学者のトンデモ理論】 デフレの論理と「資産デフレ」罪悪説の問題点』
http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/216.html
『【経済学者のトンデモ理論】 「資産デフレ」の問題点と「不良債権」罪悪説 (別タイトルの続き)』
http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/217.html
この二つをご参照していただければ幸いです。