Tweet |
文=石川光邦
七重に封印された謎の著作『ファウスト』とゲーテの秘密
骨身を削り自分の生涯をかけて書きつづけ完成させた超大作を、これまた自分の手で「七重の封印」を施してしまう−−これほど過激な宣伝で読者を挑発した書物があるだろうか。
しかも、七重の封印というと、どうしても聖書の「黙示録」を連想してしまう。この書物は、黙示録の現代版なのだろうか。それとも、聖書に対する、そして聖書の上に成り立つ、ユダヤ・キリスト教的文明に対する挑戦なのだろうか。あるいは−−。
さて、このだいそれた謎の書物とは『ファウスト』。作者はいうまでもない、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテである。
『ファウスト』はゲーテの死後、封印を解かれ公表された。しかし、その内容はあまりに深く難解であって、現在なお、七重の封印は解かれたとはいえない。
だが、そもそもゲーテとはいったい何者なのか。ふつうゲーテというと、「作家でワイマール公国の政治家、また自然科学の分野で変わった研究をした」くらいにしか知られていない。われわれはゲーテについての、ごく表面のどうでもいい部分だけしか知らされていないのだ。
ゲーテの正体を知るには、まずゲーテを教育した師を知らなくてはならない。1765年、16歳のゲーテはライプチヒ大学に入学したが、その3年後、精神も体もボロボロになりはてて帰郷した。
これは現代の大学でも同じようなものだが、大学の学問は知識を得るだけであって、宇宙や人間の本質を教え授けるものではない。決して人間を賢くするものではなかったからだ。また大学の教授連中にも師となるような人物はいなかった。
むしろ旅先で知りあった靴屋のほうがよっぽど師らしかった。ゲーテはこの靴屋を「実践の哲人、無自覚の賢人」と呼び、のちに戯曲『永遠のユダヤ人』の主人公にしたてあげている。
そんなわけでゲーテの学生生活は遊びほうだいの目茶苦茶。そうして19歳の7月のある夜、はげしい喀血のために、ついに倒れてしまった。彼はまるで難破した者のように故郷に帰ったが、年の暮れには一時危篤状態になるほどの、ひどいやつれ方であった。
だが、こんな破滅的な状態の中で、ゲーテは彼を救済してくれる2人の導師にめぐりあうことになる。
そのひとりは、母親の親友スザンナ・カタリーナ・フォン・クレッテンベルク。彼女は熱心な秘教的キリスト教の信仰者で、聖書を神秘主義的に解釈することをゲーテにたたきこんだ。彼女は『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の“美しき魂”のモデルとなっている。
もうひとりはゲーテの治療にあたったヨハン・フリードリッヒ・メッツ。ホメオパチーという秘方医学の研究家で、自家の秘薬で危篤のゲーテを救った人物である。彼はまた、錬金術師であった。
このメッツの指導により、ゲーテはパラケルススの錬金術書や、バラ十字の指導者とされるゲオルク・フォン・ウェリングの『魔術的カバラと神智学の書』の勉強に取り組み、また錬金術の実験に熱中した。
ウェリングの書にある象徴的な画は、のちに『ファウスト』では、ノストラダムス自筆の一巻にある“大宇宙のしるし”となった(囲みの「ファウスト抜粋」のBを参照のこと。以下→Bのように表す)。
またメッツは、その当時、赤ん坊殺しのスキャンダラスな事件でにぎわしたズザンナ・M・ブラントを牢獄内でいろいろと世話している。このときの話をゲーテは聞いていて、それが『ファウスト』の第1部終わりのグレートヒェンの赤ん坊殺しとなったのである。
ゲーテにはさらにもうひとり重要な導師がいる。21歳のときに出会ったヨハン・ゴットフリート・フォン・ヘルダー(1744〜1803年)である。このヘルダーによってゲーテの文学への目が開かれたことはよく知られている。だが、それだけではない。
ヘルダーはゲーテに、当時“北方の魔術師”と呼ばれた哲学者ヨハン・ゲオルク・ハーマン(1730〜1788年)の神秘的な思想を教えた。ハーマンは、理性の輝きの届かぬ闇の部分に注目し、また言葉が生命を持っていることを主張していた。
ヘルダーはさらに、宇宙において人類が生きる意味を教えた。ある原型的な力がこの宇宙の根底にひそみ、森羅万象を通じて自分を実現しようとしている。それは岩石や鉱物を貫き、さらに植物、そして動物へと貫き、昇りつめて最後に人間にまで至る力である。
人間は有機的な諸々の力の頂点に花咲く統合体であり、宇宙の自己組織化なのである。そして、さらに宇宙と人間が発展していくそのある特定の段階で、言葉が発生した。
この言葉こそ人類進化の鍵であり、原子力のような莫大な力を解放する鍵である。人類はこの力を源泉にして、自分自身を形づくり、歴史社会を発展させていく。この壮大なヘルダーの秘密教義が、若きゲーテを圧倒したのはいうまでもない。
ゲーテの出発点、それは神秘的キリスト教や錬金術、そして、秘教的宇宙進化論であった。ゲーテはオカルティストとして出発したといえよう。『若きヴェルテルの悩み』を書いた流行作家は、あくまで仮の姿でしかないのである。
影のネットワークとしてのフリーメイスン国家を夢想!
さて1775年、26歳になったゲーテに「生涯の変化」たる事件が起こる。ワイマール公国の皇太子カール・アウグスト公から招きがかかった。ゲーテはこれを“デモーニッシュなもの”のせいによると解釈した。
デーモンはふつうキリスト教的には悪魔であるとされている。しかしもともとは、神と人間の中間の超人的存在をいうものであった。ゲーテは晩年に、これを人間の中にひそんでいて人間の力ではどうにもならない神秘的な力であると告白している。
つまり、ゲーテは何者かにとりつかれていて、それに身をまかせるよりほかしかたがない、そんな神秘的な力に捕われていた。しかし、それは他人から見れば特権だが、当の本人にとっては重荷であり、あえぎながらそれと共存して生きていかなければならない。デモーニッシュなものとはそんな存在なのである。
翌年ゲーテはワイマール公国の顧問官として国家の政治を担当することになる。この面においても有能なゲーテは、たちまち国家のあらゆる行政面にタッチすることになった。
だが本当に重要なのは、政治的に活躍していくその裏面で形成されていく影のネットワークだ。その名称をフリーメイスン、ドイツ語ではフライマウラーである。
18世紀はフリーメイスン活動の最も充実した時代であった。プロイセン国フリードリヒ大王、そしてゲーテをスカウトしたアウグスト公はその有力な支持者であった。しかもゲーテが国政に参加したと同じ年、フリーメイスン結社中の最過激派とされる啓明結社が、バヴァリアのインゴルシュタットにおいて結成された。
設立者はインゴルシュタット大学の法学教授アダム・ヴァイスハウプトで、フリーメイスンは宗教的冥想よりも社会的実践を重んずるべきだという主張である。
万人が幸福で自由になるために、地位や名誉や富といった障害
から人間を解放すべきであるという。いわば上からの革命である。
結社は多くのフリーメイスン団員の熱烈な支持を受けた。しかし、このため激しい弾圧を受けることになり、陰謀や犯罪、そして世界転覆の野望など、さまざまな噂や中傷の的となり、10年間という短い期間で消滅した。驚くなかれ、アウグスト公やヘルダー、そしてゲーテも一時はその会員になったのである。ちなみにゲーテは、1780年6月に啓明結社系のアマーリア・ロッジに入団、その1年後には職人、そして1782年3月には親方と、とんとん拍子に昇進している。
ゲーテの友人ボーデの手引により啓明結社の指導者たちが亡命したのと相前後して、疲れはてたゲーテも政治活動を廃業するため、イタリアへ長い逃避の旅行をしている。ゲーテが国政にとりくんだ10年間、それはフリーメイスン国家の実験であったといえよう(→G)。
弾圧により、それは完全な敗北に終わった。そしてその後、ゲーテはその実験を作品を通して追求するようになる。そのフリーメイスン的なトーンは『ヴィルヘルム・マイスター』や『メールヒェン』『秘密』などの作品に濃く表現されている。
興味深いことに同じころ、ドイツのフリーメイスン系の知識人たちは、やはりゲーテと同じような文化活動に取り組んだ。たとえばG・E・レッシングは『エルンストと鷹』においてフリーメイスンの綱領を示した。
ヴォルフガング・アマーデウス・モーツァルト(1756〜1791年)の『魔笛』はあまりにも有名であろう。妻のコンスタンツェによると、モーツァルトはフリーメイスンに加入していたどころか、自分でも“洞窟”という結社を設立することまで考えていたという。
そのほか哲学者のフィヒテ、教育家のペスタロッチ、音楽家ハイドンなどがフリーメイスン団員であった。また、哲学者のヘーゲルやシェリングは心情的にフリーメイスンを支持していた。
まったく当時のドイツの文化はフリーメイスンで活性化していたといえよう。
予言者・ゲーテの目を開いた怪人カリオストロ伯との対決
ゲーテの時代のドイツはたくさんの小国に分かれ、貧しかった。しかしそれに反比例して、精神文化は異常なほど高度に発達していた。その中で育ち、その頂点に咲いた花がゲーテである。
だが、頂点に立つためには、その人だけの特別な資質というものがなければならない。ゲーテの場合、それは予言の能力である。
たとえば34歳のころのある夜、ゲーテは空を観察していて、突然、従僕に向かってこういった。
「ねえ、君、重大な瞬間だぞ! たった今、地震が起こっているか、それともこれからすぐ起こるかなんだ」
ゲーテはそれをすぐに宮廷に報告した。ゲーテの予言はいつでも的中したので、アウグスト公たちはそれを信頼していたのである。そして数週間後に報道が伝わってきた。ちょうどあの晩に、メッシーナの一部が大地震によって破壊されたというのである。
また、1789年にパリの民衆がバスチーユを襲いフランス革命が勃発し、1792年にプロイセン・オーストリア連合軍がフランスに出兵。ゲーテも同行したが、ヴァルミーの砲撃戦で敗北。その場でゲーテはこう予言している。
「今日ここから世界史の新しい時期が開始されるのです。そして、あなた方はその場に立ちあったのだといえましょう」
つまり、封建的な旧制度が崩壊し、新たな市民社会の秩序へと世界史が転換する。これは今日では常識となっているが、もちろん激動のさなかではそんなことがわかるわけがない。しかもゲーテはフランスに攻撃をかけている連合軍側の人間である。だが、ゲーテは後代の私たちが世界史を振り返るかのように、世界史の大転換をはっきりと知っていて、堂々とその宣言を下したのであった。
世界史の個々の事件ではなく、世界史あるいは人類の歴史の流れそのものを透視し、予言する。これまでどんな予言者も持つことのなかった高次の能力をゲーテが獲得したのは、カリオストロ伯との対決を通してであろう。そのいきさつについて少しふれておこう。
アレッサンドロ・カリオストロ伯ことジュゼッペ・バルサモ(1743〜1795年)は、1780年のストラスブルグに彗星のように現れ、あっという間にヨーロッパで最も有名になった。現在、希代の山師・詐偽師などといわれているが、それよりもむしろ、サンジェルマン伯的な古いタイプの最後のオカルティストであった。
彼はエジプト・フリーメイスンの“大コフタ”と名のり、奇跡の治療と錬金術・心霊術の実演で貴族の目を奪い、イギリスやフランスのフリーメイスンの指導者にのしあがってしまったのである。ゲーテもこの謎の人物に対して異常な興味を持った。1781年には骨相学者J・K・ラファーターがカリオストロ伯に直接会ったと聞いて、さっそく手紙でその人となりを問いあわせている。
そして「闇のなかを忍び歩くものの足跡を嗅ぎとっております」という返事を書いた。ゲーテはカリオストロ伯の見せる魔術には不信の念をいだいた。しかし、伯爵をとおして“地獄の力”が吹き出そうとしているのを感じた。伯爵が通りすぎるところ、そして通りすぎるだけで何かが起こるだろうと。
はたして1785年、有名な“首飾り事件”が起こる。500個ものダイヤをちりばめた首飾りが、フランス皇妃マリ・アントワネットの使いをかたる女詐偽師にまんまとかすめ取られてしまったのである。
しかも犯人のラ・モット伯夫人は、カリオストロ伯が裏で指示していたと自白したため、カリオストロ伯は無実が証明されるまでバスチーユに投げこまれることになり、大変なスキャンダル事件に発展したのである。
ゲーテはこの事件に深い啓示を受け、フランスの国家秩序が転覆することを予言した。そしてその4年後にフランス大革命が発生したのであった。
また、カリオストロ伯の正体についてもゲーテは調べている。首飾り事件の翌々年、イタリア旅行中のゲーテは、変装して、パレルモにあるジュゼッペ・バルサモの実家を調査した。そして、あの輝くカリオストロ伯と、社会最下層の犯罪常習者バルサモとが、まったくの同一人物であることをつきとめたのである。
こうした事実に刺激され、またカリオストロ伯を取り巻く怪しげなオカルトの本質を糾弾するため、ゲーテはある芝居の台本を書きはじめる。1791年に完成した喜劇『大コフタ』がそれである。
ちなみに、この同じ年、伯爵はローマで魔法集会禁止令を破ったかどで終身刑の判決を受け、4年後に獄死している。
さて、『大コフタ』の主人公ロストロ伯(もちろんカリオストロをもじったもの)は、もはや理想に満ちたオカルティストではない。「人間はすべてエゴイストである」と主張するさめ切った冷たい目の天才的オカルティストである。
そうしてオカルト熱狂の本質は、騙されたがる人たちと騙す人間との協力によって演じられる地獄の茶番劇だと訴えた。ゲーテは『大コフタ』によってオカルトを否定したのではない。古いオカルティズムをすっかり破壊して、新しいオカルティ
ズムをつくりだそうとしたのである。
そしてそれは、過去の自分を否定し、新しい自分を形成していく変身の作業でもあった。カリオストロ伯は牢獄の中で消え、いっぽうゲーテは生まれかわって『ファウスト』の完成へと進んでいく。
なお、ここでは省略するが、ゲーテにはもうひとつ重要な対決がある。それはニュートンの物理学との対決である。ゲーテはそこに近代科学にひそむ地獄の力を読みとった。そして、総合的直観による新しいオカルト・サイエンスを模索したのであった。
いっさいの秘密を封じこめ人類の生命を映しだす書物!
「測り知ることのできない書物」と、ゲーテは『ファウスト』について述べている。文学書とかオカルト書とかいうワクをはるかに超えており、つかみどころがないということだ。
『ファウスト』はまず聖書を超えるところから出発している。ひとつ「書斎の場」のシーンをのぞいてみよう。ファウスト博士は新約聖書のヨハネ福音書を書き改めようとしている。「はじめに言葉ありき」この文句が気にくわない。
そこで意味と改めてみた。しかしよく考えてみれば、それは「神から発し、すべてを動かし創りだすもの」ということだ。それならば力か。いや、行為だ、と決まったとたんに、悪魔メフィストフェレスが登場するのである。
とはいえ「はじめに行為ありき」という秘解は師ヘルダーから伝授されたもので、そこまではゲーテのオリジナルではない。重大なのは、そこで悪魔が登場するということだ。神と悪魔はじつはグルなのである。
そこで『ファウスト』のプロローグにおける神とメフィストの出会いが、じつにおぞましい劇的なものであることが判明する。しかもさらにおぞましいことに、神と悪魔は人間をおもちゃにして賭け事という危険な遊びにふけるのだ。
聖書の本質はそこにある、とゲーテの鋭い透視能力は告げている。しかもそれは、あいまいな形だが聖書にも記載されていることをゲーテは見逃さない。
それはヨハネの黙示録だろうか。いや、そうではない。ユダヤ教において近寄ってはならない書、最も危険な書とされている「ヨブ記」である。
ヨブは義人中の義人である。このヨブをめぐって、ヤハウェとサタンは賭をする(このサタンは黙示録のサタンのような神の敵ではなく、なんと天使のひとりになっている)。ヨブは本当に神を信仰しているだろうか、と。
そこで、ヤハウェはヨブを徹底的にいじめぬく。極悪非道で、じつに野蛮な苦痛を与えて、それでも神を祝福するかどうかを試すのである。
心理学者ユングは、ヤハウェをこう説明する。全智全能だが自分についての洞察力が欠け、自己反省がない。他人の評価によってしか自己の存在感を得られない人格なのだと。
しかし、ゲーテはそんなに甘くない。『ファウスト』のプロローグは、ヨブ記のエッセンスを抽出したものである。このプロローグは、『ファウスト』がどんな主題であり、どんな方向を示しているかを知らしめるものだ(→A)。
だが、ファウスト博士はヨブのようなお人好しの善人ではない。人間に与えられる幸福と苦痛のいっさいを、すすんで自ら体験し、限りなく自我を拡大していこうとする巨人である。そのためには悪魔とさえ手を結ぶ(→D)。
いや、その悪魔メフィストを契約によって召使いにしてしまうほどなのだ。その代償として死後の魂を渡す。しかしファウストにとっては、生きているあいだの魂を何者にも売り渡さないことが大事で、死後の魂などもとから信じていない。
だから『ファウスト』の第1部が断片的に発表されるごとに、全ドイツの若い知識人やフリーメイスンたちは、こぞって叫んだ。
この『ファウスト』が、いつの日か完成された姿で現れたときには、それは全世界史の精神を現すものとなるだろう。これは過去・現在・未来のいっさいをその中に包みこむ、人類の生命を映しだす真実の映像となるだろう。ファウストは人類の理想化された姿であり、ファウストこそ人類の代表者である、と。
そして、彼らは『ファウスト・断片』を“神聖悲劇”と呼んで熱狂的に支持した。
だから『ファウスト』の詩文の一行一行には、ゆうに何百冊もの書物の情報量が圧縮してつめこまれている。そして、のちの世に開発される新しい学問の種子となっていった。マルクス(→E)、フロイト(→C)、物理学者のハイゼンベルク(→B)ほか大勢の人々が、その恩恵を受けているのだ。
とはいえここではそんなことをいちいち説明している余裕はない。一足飛に『ファウスト』の大予言に入ることにしよう。
人類の破滅と救済の大予言はいまだ解かれてはいない!
人類の未来像は、生前には身辺の人以外には発表しなかった、そして完成したとたんに封印してしまった『ファウスト』第2部に色濃く出ている。
その終局の場面で老支配者ファウストは、“憂の霊”により盲目にされる。秘教的伝説によれば、盲目とは、肉体の目が克服され不可視の世界を視る目が開かれることを意味する。
はたしてファウストは、自分の国土開発事業により、人民が自由に生きる社会が実現されることを強く確信することになる(→G)。ああしかし、現実は鋭く反対に進行する。
反対闘争の老夫婦や若者は残酷にも殺され、あげくのはてに、国土開発事業は、いつの間にかピラミッドのように、自分の墓穴を掘る事業に変わってしまっている。
この場面が人類の未来を暗示している、というのが『ファウスト』解釈の定説となっている。そして『ファウスト』を愛読する多くの科学者たちは、これを人類の宇宙開発だと確信している。問題はこの宇宙開発が人類に何をもたらすかだ。素直に考えれば、スペース・コロニーは人類のかんおけとなる、ということになる。
人類は破滅する。しかもその原因は核戦争やエイズなどではなく、太古に神と悪魔が賭をしたからだ、というのがゲーテの大予言である。あわれにも現人類はその破滅を一日でも延ばすため、必死になってもがいているにすぎないのである。
しかし『ファウスト』は単なる大予言書ではない。物語はそこで終わらない。ゲーテはさらに、人類には破滅から発展への道があることを暗示する。ファウスト死後のメフィストを見てみよう。
『ファウスト』の主人公、それは、じつはファウストではなくメフィストである。よく読めばわかるように、ファウストの行為の多くは遊興や犯罪であり、ろくに努力らしい努力をしていない。努力していたのは、召使いのメフィストのほうである。
また、ゲーテの親友ソレーによると、老ゲーテはときどきメフィストそっくりの顔つきと言葉つきになると証言している。じつはゲーテはカリオストロ伯との対決で、自分のうちに伯爵以上の悪魔、すなわちメフィストを発見してがく然としたのであった。
メフィストはついに、天使たちの不思議な色気の攻撃により「まるでヨブのように」全身火ぶくれになる(→H)。そして、人類への贈り物のような捨てぜりふを残して、舞台から消えていく(→I)。
人類の救済は、そのせりふ
の解読にかかっているといえまいか−−。
『ファウスト』の抜粋
(F=ファウスト M=メフィスト)
A メフィスト 一丁お賭けになりますか あいつに裏切りをさせて お許しさえいただければね あいつを私めの得意の道へ引きこんでいいという−−
天主 あれが地上にある限り お前がどうしようと止めはしない 求め続けている限り 人間は迷うものだ
B 何とすべてのものがひとつの全体へと織りなされ 互が互のなかで交感し合い互のなかで生きつづけているだろう!(F/理論物理学者ハイゼンベルクが注目)
C 祖先から遺されたものは 自分の手で獲得し直してこそお前のものになる 利用せずにおくものはいたずらな重荷になるのみ(F/フロイトの精神分析学の原動力となる)
D 人類全体に定められたあらゆるものを 俺は自分のうちに味わいつくす 人間の善も悪もわが心で知り尽し 人類の歓喜も苦痛をもこの胸に積み重ね 自分のおのれをそのまま人類のおのれへと拡げ 遂には人類の破滅とともに俺もまた砕け散るのだ(F)
E 馬を六頭やとえる金さえ持てば その馬の力は私のものですぜ 六頭立の馬車を駆けさせる私めは、二十四本も足のある男という寸法です(M/マルクスの資本論の原動力となる)
F とにかく君に教えるがね。一切の理論は灰色で、緑なのは黄金なす生命の木だ(M/ゲーテの格言として有名だが)
G 俺はそうした人間たちの営みを目のあたりに見 自由な大地の上に自由な民とともに住みたい その瞬間にむかってなら言ってもよかろう 留まれ! お前はなんと美しいのだろう! と(F)
H どうしたことか 体中がまるでヨブのように 火ぶくれだらけになって 自分でもぞっとする だが俺は自分を底まで見極めて 自分と自分の種族とを信頼して 凱歌をあげるのだ 悪魔の高尚な部分は助かって 愛のたたりが皮の上に出た(M)
I 賢明で経験深いこの俺が 最後に演じた この馬鹿さ加減は 小さかない事になるのだて(M)
(世界文学全集19巻『ゲーテ』柴田翔訳・講談社刊を主に参照)