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回答先: 魔術師ゲーテとファウスト大予言!(『ムー』87年4月号) 投稿者 SP' 日時 2000 年 6 月 01 日 09:14:54:
『オカルト』(坂下昇著、講談社現代新書)より抜粋。
カバルと正統ユダヤ主義
カバル誕生にちなむ,面白いエピソードが正統ユダヤ史に残っている。
バビロン捕囚からようやく解放され,イスラエルの地に戻ったユダヤ人らは,民族存亡の危機に立たされていた。古典ヘブライ語は死滅し,イスラエル神殿はバビロンのために跡形もなく破壊され(紀元前586年),のちのディアスポーラ直前の,ローマ軍による神殿破壊に比較して,こちらを「フールブム・バイエス・リシュン」と称する。なお「フールブム」とはcatastropheに相当する大惨事の意である。
こうして信仰の火は消され,まさしく危急存亡のときである。ここで沸々と文芸復興の熱気が起こる。あの怪奇な幻想に満ちた預言の書,『エゼキエル書』ほかはこうして書かれた。そして,信仰の教義,法制,社会規範等は整備され,学術の殿堂も建てられた。
教義,法制の任に当たったのが,有名な「ラビ」(rabbi,大いなる人の意)らである。ラビの集まる殿堂を「サンヘドリン」(sanhedrin)といった。
さて,ラビたちの頭痛のタネは,巷間伝承たるカバルの横行である。このような異端邪説をそのまま放置しては,正統ユダヤ主義は蚕食され,災害の度は測りがたいということで,ラビとなるための資格として,カバルの秘儀を究めることが義務づけられた。
なお,のちにキリストを裁き,死罪に処すユダヤの長老,司祭もこのrabbiである(『マタイ伝』〔23:7〕)。
そんな次第で,本来カバルの払拭は,正統ユダヤ主義,つまりトーラーのモーセ的解釈のワク内では自家撞着か同義語反復に終わることがらであり,不可能なミッションだった。
さて,英語でcabal,ヘブライ語でKabbalahと読めるKBLの子音だけの言葉は,「前面にあるもの」「受け入れたもの」の意である。英語世界でも現代語の「伝統」に相当する語であることはルネッサンス時代からわかっていたようだ。
とかく日本ではカバラーと古典ヘブライみたいに表記しないと呪術的ニュアンスがないといった,まちがった趣味があるらしい。もともと,日本のそうした観念は順序があべこべで,初期『タルムード』ではcabalとは「聖典」の意として受取られていたし,カバルの体系が立ち,流行するようになってからも「文化遺産としての聖典」という受取り方は今も昔も変わらない。
なかんずく,cabalが英語に入ってからは,cabalという綴字で統一されてきた。そこへ不幸にも同一綴字とのダブル・イメージができあがり,cabalにいよいよ不吉,妖術めいた両義性を与える結果となった。(p33-35)
どういう偶然だったか,王政復古になって,王を補佐するための枢密院委員会がひそかに構成され,政治の全権を集中した。その委員の名が,クリフォード(Clifford),アーリントン(Arlington),バッキンガム(Buckingham),アシュレイ(Ashley),ローダーデイル(Lauderdale)だったから,それぞれの頭文字をとってcabalといった。不吉な「陰謀家」というこの語の意味はこうして生まれた。いや,生まれさせられた。カバルの文字はいよいよ秘法性と詐欺の衣を獲得することになる。
従って,この時を境にして,この語に対する時代錯誤による偏見はごくふつうになり,例えば,稀代の諷刺詩人『ガリバー旅行記』のスウィフトが「薔薇の十字団」なる秘密結社を最悪のカバルだといったとき,すでにこの語の両義性は極限に達していた。
18世紀英語では,cabalはもっぱら「黒い陰謀」(スモーレット)だった。
アメリカの初期植民者はもちろん,19世紀のカバル・リバイバル(ポー,ホーソン,メルヴィル,ウィッティア)が起こったときでも,この秘密結社のイメージは払拭されず,いや,いよいよニグリファイされ,超自然の魔性と秘密結社の標章めく暗号性は付加されていった。(p167-168)
コンパスとカバル
コンパスは錬金術師,フリーメイソン,薔薇の十字団などのサインとしてよく知られており,これが近世の科学精神のシンボルだと考えるのが普通だが,しかし,これすらも旧約的,少なくともキリスト教的神話に拠っていたのである。「すなわち,神いまだ地を……つくりたまわず……かれ天をつくり,海の面に蒼穹を張りたまい……また地の基を定めたまえり」『箴言』〔8・28・29〕。カバルではこの蒼穹をコンパスと読む。rekiehは「ひろげる,ひろがる」ものをすべていうので。事実,彫金師もrekiehである。(p166)
恐怖を伴わないサタン観
人生の悪で最後の,そして最大のものは「死」であろう。人間の死はアダムとイヴがサタンに誘惑されて禁断の実を食らった原罪によって起こった。この楽園喪失が人間を「煉獄」または「あがない」へと向かわせたと説くダンテやミルトンは別として,死は生きた人間にとって最も恐ろしいアイデアであろう。だから,死と魔界が短絡的に結びつけられる。つまり,彼らの地獄は現世にある。
カバルの魔王らの住み家は,しかしながら,山のかなたなのである。だからピューリタンの地獄(Hell)やカソリックの煉獄(Purgatory)に相当する冥府はカバルにはない。
Gehenna(ヒノムの谷=地獄)はたしかにあるが,これはかつてモロクという異端の鬼がいたエルサレムの近くのHinnomの谷のことであって,やはり地上的現世的である。「光り輝く」パラダイスのエデンの園が地上のものだったのと同列である。地下世界のSheol(地獄,冥土)は旧約にもあるけれど,そこは暗い死後の場所ではあるが,ギリシア・ローマ神話にいうHades, Avernus, Dis, Erebus, Styx, Tartarusの恐怖は誘わない。そして,ミルトンが説くような,サタンがこれら地獄の鬼の首魁として君臨し,死と悪の影を色濃く人類の上に落としているといったような原罪的伝承はカバルにはない。
彼らが歴史の必然に抗議し,神の義に対し悲痛な叫びをあげるにしても,それはエホバに向けてであって,その代理者といわれるサタンなんかに対してではない。実存は彼ら自身をサタンにするからである。
以上のように,旧約の世界では,中世以降をおおう黒い影のような悪魔学(Demonology),なかんずくミルトンのサタンやマーローの『ファウスト博士』に代表されるルネッサンス英国のそれ,に比べてどこか徹底さを欠く。
あらがいがたい闇の暗さのような,その一方では絢爛豪華な悪魔学の意味するものは何か? それを知るためには,われわれは「オカルト哲学」まで待たねばならないが,それがカバルに根ざしていたことは,今から結論づけておいていいと思われる。(p68-69)