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回答先: George Bush,Skull&Bones And New World Order.Paul Goldstein&Jeffrey Steinberg.April1991〜エノク出版A 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2000 年 5 月 25 日 18:29:11:
●入会式と秘密主義
「スカル・アンド・ポーンズ」 への入会の儀式は、タッピング(発掘)とも呼ばれ、これはエール大学の四年生十五人が選んだ十五人の三年生に対して挙行される。一九四〇年度版の規則によれば、その式次第は次の通りである。
まず入会予定者は棺桶に入れられ、結社のメンバーとしての再生を祝う祝い歌の中をホールの中央へと運び込まれる。
そこで、棺の中から出てきた新入会者には、シンボルマークの付いたガウンが弟せかけられる。またこの式典に先立って、入会者の名前を書き込んだ骨が、ホールに安置された礪牌の中に投げ込まれる。やがて入会者は全裸となって泥沼に飛び込む。
この人会式への呼び出しにあたっては、「スカル・アンド・ポーンズ」以外の秘密結社の代表をも含む十五人の四年生が、入会候補者の寮を訪れ、ドンドンとドアをノックする。それに応じて入会候補者がドアを開けると、代表が「君は『スカル・アンド・ボーンズ』を受け入れるか」と声高に叫ぶ。入会候補者がイエスと答えると、その場で黒のリボンに黒い濁鰭十字マークの封印の付いたメッセージに、秘密の第三二二号骨を添えて手渡される。そのメッセージには、いわゆる「入会の夜の儀式」の日時と場所が記されてある。また儀式に際して、金属類は一切身に付けてはならない旨の記載もある。
本部の納骨登の中に三二二号室という名の聖なる部屋があり、その納骨室の上部のアーチ型の壁面には、ドイツ語で「乞食と王、果していずれが賢者か、いずれが愚者か」との彫り込みがある。こういうところから「スカル・アンド・ボーンズ」の起源をドイツ系のフリーメーソン組織に求める議論が持ち上がるわけだが、現在ではこの議論に決着をつけるよりも、逆にこのミステリーを世界政略展開の武器として利用している節がうかがえる。現今の世界における政治戦略や情報活動がミステリーじみているだけにうなずける。
ミステリーじみた曖昧さは、事の正邪を問わず、真の意図を包む隠れ責となる。それと表裏一体を成すのが秘密主義であり、この二つをベースにして陰謀が成立する。入会の秘儀によって組織の一体感が高められる。外部に対する秘密主義の反面、メンバーの間では払生活に至るまで一切の秘密を禁止するという一体感である。
仲間同士の結び付きが強ければ強いほど、秘密主義にならざるを得ない。曖昧さと秘密主義に加えて、「スカル・アンド・ボーンズ」の第三の柱を成すものとして、「成年式」の理念がある。大方の 「スカル・アンド・ポーンズ」入会予定者は、まず「プレップ・スクール」に入る。「スカル・アンド・ボーンズ」を大学とすれば、その予備校にあたる制度である。ただしその入会資格は、アメリカの中でも由緒正しい名門の子弟にのみ与えられる。
●アメリカの戦士階級たち
この「プレップ・スクール」においては、知的啓蒙教育もさることながら、団体運動競技科目を重視した教育が行われる。フットボールや野球のチームのキャプテンとなったり、レガッタ・チームのコックスを務めたりする学生が皆の憧れの的となる。グループのリーダーとしてゲームのルールに則った行動を取ることこそ、「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーとして不可欠な資質なのである。アメリカでの一般的な言い方をすれば「社会戦士になるための訓練」を受けるわけだ。
この戦士としての能力如何が、「スカル・アンド・ボーンズ」への入会資格の決め手となる。上流社会でも指導的な地位を占める家系の出身である以上は、いささかも感情に押し流されることなく、一国の国民を戦争へと動員し得るだけの能力を備えていなければならない。アメリカ帝国の再現を期することこそが自分に与えられた歴史的な使命であると信じ、その使命達成のために全身全霊を傾倒して止まない資質こそ「スカル・アンド・ボーンズ」が求めるものである。その意味で「スカル・アンド・ボーンズ」はもはやニューイングランド地方の名家を中心とした秘密結社の枠を超え、かつての日本の武士階級にも似た一つの階級を形成している。この戦士階級こそ、力を背景としてアメリカの世界戦略を生み出す原動力となっている。
その戦略の根幹を成すのは、軍事力なき政治力はあり得ないという理念である。もちろん思想も重要だが、歴史を変えるためには軍事力の行使が不可欠だとする考えである。帝国の発展のためには軍事力の行使が不可欠だとするこの考えは、かつてのローマ帝国の衰退期を彷彿と
させるものがある。
当時ローマ帝国内部では崩壊が進行しているにもかかわらず、遠く離れた国境地帯では依然として外人の雇兵部隊が侵略を続行していた。辺境で反乱があれば、中央政府は鏡庄の軍隊を差し向けねばならなかった。特に、南部の辺境地帯では、このような内乱が絶え間なく起こっ
ていた。
一方、現代アメリカの戦士階級であるが、武力の行傾を通して自らの運命を切り開いていこうとする点では、日本の武士階級と似ているようにも見えるが、日本の武士道に匹敵するような道徳的な裏打ちはない。アメリカの戦士は、あくまでゲームのルールに従うと見せかけて、
実はスコアをごまかすのである。それどころか、戦術の曖昧さと秘密主義をベースに考えるならば、ゲームに勝つためには、敵のみならず味方までもだますのが被らのルールだと言える。レーガン、ブッシュ両政権時代にわたって、アメリカが友好国たる日本を折にふれ欺いたのもこのルールのせいである。
●人種的優越性
エール大学卒業生の間にこのような独特なゲームのルールが浸透し始めたのが十九世紀末頃であり、第一次世界大戦前にはその浸透が加速され、第二次世界大戦期に至って蔓延した。この独特なルールの適用が特に顕著だったのは、低開発国や植民地に対してであったが、これはイギリス型帝国主義の模倣に外ならない。
具体的適用例第二号として、一八九八年の対スペイン戦争がある。時の大統領ウイリアム・マッキンレーは、当初は反対していたが、ついには周囲の圧力に屈して出兵した。何やら今回の湾岸戦争のお手本のようなケースである。
その後もアメリカの戦士階級は、太平洋地域や南半球に住む黒色、褐色、黄色の肌をした人々に村し、情け容赦なくこのルールを適用し、自らの優位性を誇示した。西欧の文明を繁栄させるという自らの使命は、他民族の使命に勝るものであるという一種のロマン主義である。この手のロマン主義においては、神の掟は無視され、その代わりに自らをオリンピアの神々に見立て、自らの意志をもって神の摂理とする。かつてのイギリスが他国を植民地化するのは、単に経済的なメリットのためだけではなく、自分たちに劣る人種を文明開化させることが神の摂理だと考えたのと同様の考え方である。現代アメリカの戦士たちは、その毛並み、頭脳そして容姿の良さのゆえに一般のアメリカ国民に勝る優秀な階級であり、ましてやデカダンスに陥っているイギリス人などよりも上位にあると信じている。
というわけで、近年に至るまで「スカル・アンド・ボーンズ」は黒人、ユダヤ人などの少数民族の加入を許さなかった。申し訳程度の加入が許されるようになったのは、こ
こ三十年来のことである。
「雑種」と呼ばれる少数民族出身のメンバーは、現在でも組織の中核となることはできない。中核を占めるエリートは現在でもWASP、すなわちアングロ・サクソン系白人でしかもプロテスタントでなければならない。ローゼンバウムによれば、最近はエール大学内の同性愛者グループの中からも「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーに採用されたものがあるとのことだが、組織の体制は不変である。
●「スカル・アンド・ボーンズ」対ユダヤ
アメリカの世界政策と「スカル・アンド・ポーンズ」のつながりをご理解いただいたところで、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけてのアメリカの政策決定に深く関わり、ひいては二十一世紀の戦略形式にも影響を及ぼしている主要人物をなぞってみよう。
まずヘンリー・ルイス・スチムソンだが、この人物はエール大学在学中の一八八八年に結社に入り、その後セオドア・ルーズベルト、ウイリアム・ハワード・タフト(スカル・アンド・ボーンズ・メンバー)、ウッドロー・ウイルソン、カルビン・クーリッジ、ハーパート・フーバー、フランクリン・D・ルーズベルト、およびハリー・トルーマン、七人のアメリカ大統領に仕えた。その上ブッシュ大統領に対しても、深い影響力を与えている。スチムソンはルーズベルト、トルーマン両大統領の下で陸軍長官を務め、原爆開発の指揮監督をし、広島、長崎への原爆投下を主張した。ジョゼフ・グルー駐日大使の意向に沿って、京都への原爆を取り止めたのもスチムソンであり、また一九二九年から一九三三年にかけてのフーバー政権での国務長官当時のロンドン軍縮会議において、日本帝国海軍の規模と戦力を厳しく削減したアメリカ側代表団団長を務めた。さらに日本に真珠湾攻撃を仕掛けさせ、太平洋戦争の戦略の構図を描いたのもスチムソンとそのニューイングランド・エリートたちであった。
スチムソンの伝記を書いたイギリス人、ゴッドフリー・ホジソンによると、スチムソンにとって「スカル・アンド・ボーンズ」への入会は彼の「生涯最も重要な教育上の経験」であった。その生い立ちにおいてロックフエラーやロスチャイルドなどに劣るスチムソンとしては、「スカル・アンド・ボーンズ」への入会こそ、自らの「野望を実現するための土台であり、生まれつき闘争心の強いスチムソンとしては、野望のない人生など眼中になかった」と述べている。
妻のメーベル・ホワイトも「スカル・アンド・ボーンズ」に関係ある家の出であり、上流の戦士の倫理(武士道)に生まれつき馴染んでいた。自らも金融界の有力な家庭出身であるネルソン・オルドリッチの書いた「オールド・マネー」によると、上流階級は三つの試練を経て、上流の名に恥じない人物になれるとされていた。すなわち第一に、寄宿舎生活(前述のプレップ・スクール生活)の試練、第二に自然の中での試練(例えばアフリカのジャングルや、アフリカ西部での狩猟など)、そして第三に戦闘の試練である。スチムソンはこのいずれをも耐えぬいた。
仕事の上で理想とした人物は、セオドア・ルーズベルト大統領であった。ルーズベルト大統領は一九〇〇年に次のような手紙を書いている。「アメリカ国民は腰抜けでも、意気地なしでもない。大国にふさわしい、偉業を達成しようと常に考えている。アメリカが太平洋の超大国になることを私は望んでいる。」
アメリカの運命は太平洋にあるというルーズベルト大統領の持論が、以後のアメリカの世界政策の基本思想として取り入れられ、第一次世界大戦以降のスチムソンにその活躍の舞台を提供することになる。
●スチムソンとそのグループ
スチムソンは五十年ほど、公職に就いていた。いわゆる「戦士階級」の意識を浸透させることでの最大の貢献は、エール大学「閥」をつくり、陸軍省内で「スカル・アンド・ボーンズ」を結成したことである。このグループが第二次世界大戦前夜から戦後にかけての重要な戦略政策を事実上、練り上げたと言える。例えば軍事部門