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回答先: オーストリアの右翼と保守、連立政権樹立で合意(朝日) 投稿者 F.P.宣伝省@親衛隊国家保安本部 日時 2000 年 2 月 02 日 12:34:56:
▼オーストリア自由党 国民は「違和感」小さく(産経)
自由党は、戦後結成された右翼的色彩の強い政治組織「独立連盟」と、元来はリベラル政党だった自由党が合同して一九五五年に発足した。幹部の多くが独立連盟出身だったことから、党の性格もいきおい連盟に規定されることになった。
一九八三年から八六年まで社会党(現社民党)との連立政権に初参加、三つの大臣ポストを占めた。八三年当時は、「政権に入る手段として、右翼的な本音を表に出すことを控えた」(手塚甫・北里大教授)ため、発言等で今回のような国際問題にはならなかった。
政権を担った経験があるとはいえ、それまでの得票率は一けた台。社会党、国民党に次ぐ第三党とは名ばかりの弱小政党だった。
それが飛躍するきっかけになったのは八六年のハイダー氏党首就任だった。「巧みな話術で、減税や雇用政策充実など聞こえのいい政策を口にし、若年層や労働者層の間に急速に支持を広げた」(在ウィーンの外交筋)。九〇年総選挙では得票率一〇%台、九四年選挙では二〇%台に乗せた。
ところで、自由党は本当に「極右」政党なのか。外交筋は「これまでの政策面だけで判断すれば、極右とは言い難い」と述べる。さらに、「ハイダー氏の過去の言動や、父親がナチス党員だったことから、外国や反対政党からは極右のレッテルをはられてきたが、国民の受け止め方は、必ずしもそうではない。十三年続いた社民党・国民党の大連立政権に国民は飽きており、それを打破してほしいという期待も担っている」ともしている。
自由党の連立政権入りを強く非難する外国と、それに戸惑いながらも政権入りを支持するオーストリア国民。そこにはハイダー党首率いる「自由党」への評価の違いが明確にあるといえる。
(浅井正智)