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回答先: ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち(長文その2) 投稿者 SP' 日時 1999 年 7 月 04 日 07:58:24:
[[[イルミナティとグラントリアン ]]]
先にふれたように、フリーメーソンリーは大別して、英米系と大陸系に二分される。ドイツでは、インゴルシュタット大学の教員アダム・ヴァイスハウプトによって一七七六年にイルミナティという秘密結社(「啓明結社」とも「光明会」とも訳される。澁澤龍彦は著書『秘密結社の手帖』の中で「バヴァリア幻想教団」と呼んでいる)が創設された。この結社はイギリス系のフリーメーソンリーとは違って、超越的存在(神)を認めず、君主制を打倒し、急進的に共和制の政権を樹立しようとする純然たる政治的秘密結社であった。このイルミナティをフリーメーソンリーの一つとみなす論者は少なくないが、メンバーが重複していただけで、別の結社であると考えるのが適切なようである。
「バヴァリア幻想教団とフリーメーソンとを混同する歴史家もいるが、両者はまったく別のものである。ただ、フリーメーソンの非政治主義にあきたらず、メーソンの中から幻想教団へ加入した者も、大勢いたらしい」と、澁澤龍彦も前掲書の中で述べている。結局、このイルミナティは一七八五年に、バヴァリア選挙侯カール・テオドールによって禁止令が出され、九〇年にはほぼ消滅したと言われている。
今日においてなお歴史的評価が難しいのは、イギリスの次にグランド・ロッジが成立したフランスのメーソンリーであろう。世界史の転回に深く、しかも劇的に関わったという点では、フランスのメーソン達は、本家イギリスのメーソンをしのぐ。オルレアン公フィリップ、ヴォルテール、ミラボー、ロベスピエール、ラファイエット、モンテスキュー、ディドロ等々、フランス革命の名だたる立て役者が、フリーメーソンであったことはまぎれもない史実である。
ここで注意を要するのは、一七七一年に(七三年という説もある)フランス・グランド・ロッジから独立する形で創設されたグラントリアン(大東社)である。日本において公刊されているフリーメーソンリーの研究書は、ほとんどが、このグラントリアンと、イギリスに誕生した「正統」フリーメーソンリーとを並列するか、あるいは曖昧に混同して記述している。しかし、イギリス系はすでに述べてきたように、教会と王権の支配を相対化したものの、「至高存在」と王制を否定しはしなかった。
それに対し、グラントリアンは実際、急進的な啓蒙主義の影響を受けて、「至高存在」に対する尊崇を排し、無神論的な政治結社になってゆく。明らかに両者は、ある時期から別の思想を奉じる別種の団体となっていったのである。
もっとも、英米系と大陸系メーソンリーが混同されがちなのは、仕方がないところもある。本家のイギリス系メーソンリーが、グラントリアンに対する承認を取り消し、絶縁を宣告したのは、フランス革命勃発から約八十年後の一八六八年のことである。言いかえるならば、イギリス系の「正統」フリーメーソンリーは、一世紀近くもの間、グラントリアンを「承認」し続けてきたわけである(その後、フランス・グランド・ロッジとグラントリアンが再統合して一九一四年にグランド・ロッジ・ナツィオナルが創設され、イギリス系メーソンリーとの間に承認関係が復活した)。一時絶縁したとはいえ、歴史的にこの無神論的政治結社と「まったく無関係」とは言い切れないだろう。
[[[アメリカはメーソンがつくった ]]]
一一ドイツのイルミナティやフランスのグラントリアンについては、本当にまったくご存じないのですか?
クライプ 聞いたことはありますけど、歴史的なことはよくわかりません。
とにかくまず強調したいのは、各国のグランド・ロッジは独立しているということです。もともとはイギリスから始まりましたから、ドイツやフランスに入った当初は、とてもイギリス的でした。しかし、それぞれの国や地域のグランド・ロッジは独立してゆき、なかにはイギリスのフリーメーソンリーとは違う思想をもった組織をつくり出す場合もある。ここで重要なことは、相互承認の原則なんです。相互承認が成り立てば、双方のグランド・ロッジの間に友好関係が生まれるわけですが、原則が一致しない場合は、互いに承認しません。
問題は、世界中の正統なフリーメーソンリーのグランド・ロッジが承認していないにもかかわらず、勝手に「私達は、フリーメーソンリーのグランド・ロッジなんだ」と名乗っている団体がいることです。私達はこういう団体に対して、「承認しない」という以上の「制裁」を加えることができません。そうした団体がフリーメーソンリーと名乗るのをやめさせる強制力は、私達にはないのです。でも、外部の人から見たら、どの団体もすべてフリーメーソンリーと見えるでしょう。ここが頭の痛い点です。
片桐 繰り返しになりますが、団体としてのフリーメーソンリーと、個人としてのフリーメーソンは別だということを忘れないでください。フランス革命に数多くのメーソンが関係したとしても、革命期には多くの市民が、それぞれの立場で革命に参加したでしょうから、その中にメーソン会員がいても不思議ではない。個人として、自分の政治的な信条に従って行動することはひとつも悪くありません。組織としてのフリーメーソンリーはそのことに全然介入しません。個人の自由意志を尊重しますから。
同じことは、米国初代大統領のジョージ・ワシントンにも言えることです。ワシントンがフリーメーソンだということはよく知られていますし、彼の部下も多くはフリーメーソンでした。彼らが独立戦争を戦ったのは、まぎれもない史実です。しかし、革命の敵軍である英国軍にも、フリーメーソンのメンバーが大勢いたのです。そういう記録がちゃんと残っています。英国軍側のフリーメーソンは祖国に対する忠誠から戦い、アメリカ側のフリーメーソンは、独立を求めるのは正しいと信じて戦ったんでしょう。それでいいんです。そこには全然矛盾がない。
クライプ メーソンの間ですごく人気のあるエピソードがあります。第二次世界大戦中、メーソンのメンバーは三つめのボタンに赤いリボンをつけて戦場へ赴いた。ナチスの兵隊とアメリカの兵隊が、互いに撃とうとして照準を定めた時、そのリボンが見えた場合、引き金をひくのをやめるということがあったそうです。また、アメリカの南北戦争のさ中に、昼間は敵味方に分かれて戦争をしていて、夜になると同じロッジで出会ったりしたという話もあります。昼は戦争していても、夜は「ブラザー」としてつきあうわけです。そういう逸話が数多く残っています。自分の帰属する国家に忠誠を誓い、自分の政治信条に従って行動している時も、心のどこかで友愛の精神を忘れずにいる、それがメーソンなんです。
片桐 マッカーサーもメーソンでしたが、彼にも面白いエピソードが残されています。
一一マッカーサーはグランド・マスターだったのですか?
片桐 いやいや、そんなに偉くない。ぺーぺーです(笑)。だけどまあ、オナラブル・メンバーです。横浜に、スコットランド系の「東方の星」というロッジがあるんですが、そこの名誉会員に叙されていました。
マッカーサーは、朝鮮戦争中に旧・満州地方
を原爆攻撃しようとしたんです。中国軍の人海戦術におされ、米軍はひどく苦戦していました。挽回するには、後方基地である中国の東北地方に原爆を落とすしかないと考え、ワシントンに上申したのですが、トルーマン大統領は大反対した。結局二人は、太平洋上のウエーキ島で会談したのです。しかし大統領がいくら説得しても、マッカーサーが折れないので、とうとう最後には大統領は「サノバビッチ!(クソったれ!)」と言い放ったそうですよ(笑)。それでマッカーサーを解雇しちゃったんです。ところが、このトルーマンも有名なメーソンです。もし仮に二人が激論を交わしたその日、近くにロッジがあって、二人がここでも会っていたとしたら、会見の席では「プレジデント」「ジェネラル」とお互いを呼んでいた二人が、今度は「ブラザー」と呼びあうことになったでしょう。
だから、メーソンであるということと、ビジネス上の利害や職務や政治的立場はまったく別問題なんです。関係ないんです。
[[[日本だけの陰謀史観 ]]]
一一わかりました。話をオウムのことに戻しましょう。クライプさんは、オウム真理教の事件については、ご存じですよね。
クライプ もちろん。ニュースで聞いて知っています。
一一彼らは、妄想であるにせよ、何者かと戦っているつもりなのです。問題は、彼らが戦っている相手なのですが、それは、時に日本の政府だったり、ライバルの宗教団体であったりもするのですが、それ以上に「ユダヤ=フリーメーソンに支配されている世界」そのものなのです。自動小銃を大量に密造したり、サリンを製造したりしたのは、信じがたいことですが、どうやら本気で世界を相手に戦争を仕掛けるつもりだったらしい。彼らのこうした世界観や行動を知って、メーソンリーの一員であるあなたは、どうお考えですか?
クライプ 今までの歴史において、たびたびメーソンリーは攻撃を受けています。そういう時には、私は弱気になって、自分がメンバーであることに、がっかりしたり、後悔を覚えたりします。確かに今までフリーメーソンリーは歴史において、誤解されるような行動をとったこともあったでしょう。しかし、総じていえば、プラスになることをしただろうと思っています。
今回のオウムの事件について言えば、思想以前の問題として、地下鉄でサリンをバラまき、無差別に人を殺すなんてことは許されてよいわけがない。ほとんどの日本人がこのテロ行為を許さないでしょう。オウム真理教は、とんでもない悪事をしでかした。ということは、そういう、テロ集団であるオウム真理教が攻撃を加えているフリーメーソンリーは、逆に日本の多くの人に肯定的に理解される可能性が出てきたんじゃないでしょうか。
一一今、オウムが悪くて、フリーメーソンリーが正しいと、善悪の対比でおっしゃいましたが、こういう考え方をする人もいます。「オウムは弱かったが、フリーメーソンリーは強かった」(爆笑)。
クライプ (笑いながら)おっしゃる通り、そう考える人もいるかもしれません。しかし私には、それはあまり重要ではありません。私が一番大事だと思うのは、人々が考えることであり、そのきっかけができたことだと思います。フリーメーソンリーに対する偏見という点では、オウムだけが特別な考え方の持ち主だとは、私は思いません。彼らは偏見を前面に押し出しましたが、そこまでしなくても多くの日本人がオウムと同様の、間違った情報にもとづく偏見を抱いています。
具体的な例を幾つかあげましょう。
私がある日、銀座でタクシーを拾った時のこと。ドライバーに、飯倉にあるフリーメーソンリーのグランド・ロッジまで行ってくださいと言ったら、「あそこはユダヤ人ばかりが行く所でしょう?」と、怪訝そうな表情で言われました。日本では、メーソンとユダヤ人が共謀関係にあるというデマが、ごく大衆的なレベルでも浸透している。これは少々、ショックでした。
また、別の日のこと。主婦が作っている英会話クラブに呼ばれて、何か話をしてくれと頼まれた時に、コンパスの絵を描いてフリーメーソンのことを話そうとしたら、「あなた、そんなこと話して大丈夫なんですか?」と驚かれた。危険な秘密を突然、打ち明けられたと思ったらしい(苦笑)。さらには、メーソンだと自分で名乗るなんて恥ずかしくないのかとなじられたりもしました。たぶん、その人は、メーソンリーを犯罪組織か何かと思い込んでいたんでしょう。
一般の人だけではなく、知識があるはずのジャーナリストも偏見を抱いています。TBSのリポーターの方がインタビューにいらした時、私は浜松町の日本宇宙有人システムで働いていますから、私のオフィスでお話ししましょうと言ったんです。そうしたら彼はびっくりして、「いいんですか? あなたがメーソンだということが、皆にわかっちゃいますよ」って(笑)。私がメーソンであることは秘密でも何でもないのに。私の同僚は皆、知っているし、理解してくれていますよ。
こうした珍妙な現象は、アメリカとかフィリピンではまず、みられません。韓国や台湾、香港やシンガポールでも、こんな偏見はありません。フリーメーソンリーが、陰謀団とか、オカルト団体であるとかという悪口を言われるのは、先進国では日本だけです。
[[[天皇陛下を名誉グランド・マスターに ]]]
一一日本において、フリーメーソンリーに対する偏見が根強いのは、なぜだと思われますか?
クライプ 色々な原因が考えられるでしょうが、私の考えではやはり、ナチスの影響が一番大きいと思います。第二次世界大戦中、ナチスは様々なデマ宣伝を行ないました。フリーメーソンリーに対する悪意ある中傷もその一つです。人種差別政策をとっていたナチスは、ユダヤ人を抑圧してましたから、ユダヤ人とフリーメーソンを重ね合わせて、間違った考えを輸出したわけです。当時は、日本とドイツは同盟関係にありましたから、ナチスから送られたデマ情報の影響を強く受けてしまった。ナチスの影響を、戦後五十年たった今も、日本は完全に払拭できていない。それが偏見の最大の原因であると思います。
つけ加えて言いますと、フリーメーソンリーを敵対視したのはファシズム勢力だけではない。共産主義勢力もそうでした。現在でも中国や北朝鮮では、活動を禁じられています。逆に、旧ソ連や東欧諸国では、民主化されてから以後、かつて存在したロッジが復活し始めました。ポーランドやチェコでも活動が再開されましたし、モスクワにも今は二つのロッジがオープンしています。要するにフリーメーソンリーの活動を禁じる国というのは、イデオロギーの左右を問わず、全体主義国家ばかりなのです。
片桐 日本でフリーメーソンリーに対する偏見が残っているのは、何といってもフリーメーソンリーが社会に根づいていないからでしょうね。日本人の会員はわずか三百人しかいませんから。なぜ根づかなかったか。それには歴史的理由が三つあります。
まず第一の理由は、フリーメーソンリーが世界中に勢力を拡大し始めた一七世紀に、日本が鎖国してしまったことです。徳川幕府は数次にわたって鎖国令を発布してい
ますが、最後の鎖国令は一六三九年。いよいよ思索的メーソンが本格的に胎動を始めたのが、同じ一七世紀半ばです。ですから、ほぼ同時期に、片方は世界史の舞台の上に昇り、片方は舞台を降りてしまった。これが第一の原因です。
第二の原因は、明治維新の後、一八八七年(明治二十年)に出された保安条例です。この条例のために、警官の立会いがないと集会が開けないことになってしまった。これは明治新政府が主として、板垣退助などによる自由民権運動の広がりを怖れ、阻止するためにとった措置だったのですが、メーソンのロッジ内での集会も、保安条例にひっかかってしまう。
ちなみに、日本で最初のロッジである「横浜ロッジ」が開設されたのは、幕末の最末期の一八六六年(慶応二年)です。明治維新の翌年の六九年には二番目の「オテントサマ・ロッジ」が開設されました。すでにメーソンは日本国内で活動をスタートしていたわけです。このままでは困るので、八八年(明治二十一年)の二月に外務大臣に就任した大隈重信に、ストーンさんという地区グランド・マスターが会いに行きました。話を聞いた大隈重信は、「わかった。フリーメーソンリーはこの保安条例の対象にしない。ただし、日本人を入れては困る」と条件つきで許可を与えました。この「紳士協定」のために、とりあえず第二次世界大戦が勃発するまでは、駐留外国人のための団体としてロッジを存続することができましたが、日本人にとっては無縁の存在になってしまいました。
そして第三番目の原因が、クライプさんの言われたナチスの影響です。ナチスの思想は「ゲルマン人でなければ人に非ず」ですから、宗教、人種を問わず、平等を唱えるフリーメーソンリーとは絶対に相入れないのです。同盟国のナチス・ドイツの影響によって、戦中は、日本政府はフリーメーソンリーを弾圧し、ロッジは閉鎖に追い込まれました。戦後になってロッジが再開され、日本人の入会もようやく自由になったのです。
クライプ 日本の方々にぜひ知っていただきたいことは、メーソンであるということは、米国などでは社会的なステータスが非常に高いと評価されることです。そのために、大勢の有識者、有力者が入ってくる。
一例をあげましょう。今から十年ほど前、米国のある雑誌が、全米トップ企業五百社のトップビジネスマン一万五千人を対象にして、アンケートをとったのです。その結果、有効回答のうちの大半、約一万人がメーソン会員であると判明しました。この話をすると、反メーソン論者にまたもや、「ほら、やっぱりメーソンはビジネス界を支配している」と言われてしまうかもしれないので、気をつけないといけないのですけど一一。
アメリカだけじゃなく、ヨーロッパでも、メーソンのステータスは高い。英国ではロイヤル・ファミリーが入会するのは伝統となっています。エリザベス女王は女性ですから駄目なんですが、そのかわり、ケント公が現在の英国グランド・マスターに就任されている。スウェーデンなんかは、皇太子が入っています。ベルギーもそう。日本でも天皇陛下がメンバーだったら、偏見がなくなり、もっともっと簡単にメンバーを集めることができるでしょう。もし、天皇陛下に入っていただければ、私は名誉グランド・マスターにしてさしあげたい(笑)。
[[[戦後憲法とメーソンリーの思想 ]]]
一一なぜヨーロッパ各国の王族がフリーメーソンリーに入会するのか、私にはやはり不思議でならない。三十三ある階級を上っていって、上の方へいくと初めてフリーメーソンリーの思想がわかる儀式があるという話を、あるメーソン会員の方から聞いたことがあります。その儀式とは、バチカンの法王の帽子とヨーロッパの王様の王冠を模した帽子を踏みつぶすことだという。これは事実でしょうか。また、この儀式の意味はどのように解釈しているのですか。
クライプ それは、儀式内の問題になっちゃうんで、困るんですけどね。儀式内のことはちょっと申し上げられない。ちょっと、これは公開の席では、我々は申し上げられない。
一一これは現役の複数のメーソン会員の方から聞いた話なので、たぶん間違いないと思います。この儀式は、非常に抑圧的だった教皇や王の権威を認めないということを意味するのだと思うのですが。
片桐 確かに、おっしゃるような儀式が、あることはあります。しかしそれは、王様の権威を軽んじるという意味では決してない。そうではなくて、個人の尊厳、個人の自由、これが何ものにもまして重要なんだということを言いたいわけです。決して王様を……、ひどい独裁者ならばともかく、普通の場合は決してそんなことはないんです。
クライプ 私達は、独裁ということに対しては反対しているわけです。個人の言論の自由とか、思想の自由、そういうものを奪うものには反対するわけです。
片桐 そうですね。フリーダムですね。決して、王様の権威を否定しているわけじゃないですよ。だって、僕ら、パーティやる時に、いつでも天皇陛下に乾杯してる。ちょっと、今は時代錯誤みたいな感じもありますけどね。
一一実際に乾杯するんですか?
クライプ やりますよ。パーティの時には、いつでも誰かが音頭をとります。日本にいる時には、日本の習慣、文化を尊敬する意味で、日本の伝統的な権威の象徴である天皇陛下に乾杯を捧げるんです。
片桐 ただし、これはルールじゃないんですよ、カスタムです。
クライプ 先ほど、儀式は秘密だと私は言いましたが、これはあくまで原則です。実際には脱会したメーソンの元メンバーが、儀式の内容をすべて暴露した本を出版している。ですからアメリカやイギリスではもう秘密ではない。ただ、それでも私達はこの伝統を大事にしたい。新しく入会する人が、儀式に臨む際に新鮮な驚きを受ける、そういう伝統を大事にしたいのです。
一一今年は戦後五十周年ということもあり、戦後体制と、その基礎となる憲法を見直そうという論議が、活発になると予想されています。マッカーサーがメーソンであり、憲法草案を起草したGHQのメンバーにも、メーソンが数多く含まれていたとなると、戦後憲法の理念にメーソンリーの思想が入り込んでいる可能性が高くなり、議論を呼ぶと思われます。非常にデリケートな問題ですが、クライプさんは、メーソンとして、そして一人の米国人として、この問題をどうお考えですか。
クライプ メーソンリーには、様々な文化、多様な教えが取り込まれています。メーソンリーの思想は、四角四面の窮屈な教義ではない。もっと豊かで多様なものを包摂しています。それはどんな文化にも好影響を与えることが可能だと思います。日本文化は調和を重んじる傾向がある。これは異質な文化や思想を受け入れながら、そこにハーモニーを見出そうとするメーソンリーの考え方と相通ずるものがあると思うのです。今や地球はとても狭くなった。いつまでもささいなことで争っていてはいけない。ワン・ワールドを真剣に目指すべきです。宇宙空間に飛び立って、地球を見おろした経験のある宇宙飛行士の中には、霊感を受けて意識の変容を体験した人が多い。アポロ11号に乗船したオルドリン飛行士
などがその代表ですが、彼もメーソンです。彼以外にも、メーソンの宇宙飛行士はたくさんいます。彼らは皆同じことを言っている。地球はひとつ、だと一一。
*
政治的意図があってのことか、単なる無知か。それとも、おどろおどろしいオカルトや陰謀の物語を折り混ぜて、興味本位の娯楽読物に仕立て上げた方がより売れるという売文家根性のなせる業か(これが最も重要なファクターであろう)。いずれにせよ、事実と虚構を巧みにミックスした、ハーフ・トゥルースの言説ほど、厄介なものはない。「ユダヤ=フリーメーソン陰謀論」本はその典型である。内容のすべてが嘘やデタラメならば、扱いはかえって容易になるのだが、一部に事実が混じっているから始末が悪い。
どうでもよいテーマであれば、捨ておいても構わないかもしれない。しかし、フリーメーソンリーは日本の近・現代史と決して無関係ではないのだ。
記録に残っている限りでは、日本人として最初にフリーメーソンリーに入会した人物は、幕末にオランダに渡り、帰国後、東大の前身の開成所助教授となった西周。「哲学」「理性」「抽象」「主観」「客観」など数多くの学術用語を生みだした「文明開化」の功労者である。彼はオランダ留学中に指導教授の導きで、メーソンリーに入会したのだった。
また英国公使(後に大使)として一九〇〇年(明治三十三年)に渡英した林董は、日英同盟の締結に大きな働きをなした人物だが、彼もまたイギリスでメーソンとなり、そのロッジで築いた人脈をフルに活用したと言われている。
戦後の再出発に際して、メーソンリーを無視しえないことは言うまでもない。戦後憲法の生みの親であるマッカーサーがメーソンであったことは、すでに述べた通りである。
私達は今まで、あまりにフリーメーソンリーについて知らなさすぎたのだ。今回の私のリポートも、メーソンリー理解のためのほんの第一歩にすぎない。長らく視野の外に置き去りにされてきた「フリーメーソンリーの果たした歴史的役割」という要素を、プラス面もマイナス面も含め、過小評価せず、逆にことさら過大視することもないように注意を払いながら、近・現代史を見直し、検証する作業が今ほど求められている時はない。戦後五十年という節目の年であればこそ、なおさらである。