Tweet |
回答先: ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち(長文その3) 投稿者 SP' 日時 1999 年 7 月 04 日 08:04:39:
一八世紀にイギリスに誕生し、ヨーロッパ大陸に進出していったフリーメーソンリーの理想が、真の意味で現実化したのはアメリカにおいてであった。
植民地アメリカにフリーメーソンリーが入っていったのは、一七二〇年代の後半である。
一七三三年、ボストンに有名な「ファースト・ロッジ」が開かれ、ヘンリー・プライスがイギリス本国のグランド・ロッジの承認を得て、グランド・マスターになる。その後、またたく間にアメリカの十三植民地にフリーメーソンリーのロッジが広がった。
一六二〇年十二月二十一日、メイフラワー号の巡礼父祖が上陸して、ピューリタンの信仰と自由と独立を求めた、という宗教的理由を柱にしたアメリカの“建国神話”があるが、これは事実に反する。
現にメイフラワー号の乗客百二人のうち、分離派教徒はわずかに三十五人にすぎず、あとはヴァージニア植民地でひと旗揚げようとした国教会の信徒だったのである。
巡礼父祖(ピルグリム・ファーザーズ)という言葉が使用されるようになったのは、メイフラワー号から二百年近くたってからつくられた“伝説”である。
アメリカ憲法修正第一条は、国家宗教の樹立を禁止している。建国の父祖たちは理性の時代に生きていた。一七九六年、ワシントン大統領はトリポリ条約で、「いかなる意味においても、アメリカ合衆国はキリスト教国家ではない」と宣言している。アメリカ合衆国が「キリスト教国家」になるのは、二〇世紀に入ってからなのである。
ヨーロッパからアメリカへ移住した大部分の人々は、宗教の自由を求めて海を渡ったのではなく、宗教からの自由を求めていたのだ。一九世紀半ば、一八五〇年の統計によると、当時のアメリカ人のうち、教会に登録していたのは人口の一六パーセントにしかすぎなかったのである。
新大陸の人々をまとめていたのはキリスト教ではなく、フリーメーソンリーの理想だったのである。独立前のアメリカは、必ずしも一枚岩ではなかった。それらをまとめていたのが、フリーメーソンリーのロッジであったと、史家はいっている。
一七七六年七月四日、アメリカ合衆国の「独立宣言」が採択される。起草の中心人物はトマス・ジェファーソンであり、ジョン・アダムスとフランクリンがそれに協力した。宣言は、人間は生まれながらにして「平等」であり、「生命」「自由」「幸福」追求の権利をもち、その権利を否定する政府・国家を否定する権利を有するとする。その主張は、ジョン・ロックの政治思想に源流を求めることができる。
「いってみれば『独立宣言』は一八世紀のヨーロッパの一つの集結点であった。と同時に、それはまた正しい意味での近代の幕明けであったのである」(『フリーメイソンの歴史』)
グルードの『フリーメイソンの歴史』では、この独立宣言に署名した五十六人のうち、三人を除き、そのすべてがメーソンだったという。
当時のアメリカのメーソンを代表する人物は、ベンジャミン・フランクリンである。彼は一七三一年にメーソンとなる。稲妻と電気の関係を証明したことをはじめ、自然科学の分野で業績をあげている。彼は、イギリスのロイヤル・ソサエティと、フランスの科学アカデミーの会員にもなっている。
自然科学はメーソンの思想の一部である。フランクリンは、フリーメーソンリーの人脈を巧みに利用して、独立戦争においてフランスをアメリカと同盟(一七七八年)、参戦させた功労者である。
アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンもまた有名なメーソンであった。彼は、一七五二年にメーソンとなっている。彼の属するロッジは、ヴァージニアの上層階級のクラブであった。
独立戦争が始まると、軍隊では盛んに「軍事ロッジ」が創設される。ワシントンは、この移動する軍事ロッジの先頭に立ち、メーソンの正装をし、行進した。
ワシントンのまわりには、独立戦争で有名なメーソンが集まった。独立戦争は、サラトガの戦いでアメリカ側が勝利を収めたのを機に、戦況はしだいにアメリカ側に有利になっていく。
フランクリンの活躍によってフランスが参戦すると、イギリスの劣勢が明らかになり、一七八一年に戦争は事実上の終結をみた。
一七八七年にはアメリカ合衆国憲法が制定され、一七八九年にはワシントンが初代大統領に就任する。このときワシントンは、ニューヨーク・グランド・ロッジのグランド・マスターであった。
一七九二年に着工された「ホワイト・ハウス」の設計者もメーソンである。
一七九三年には、アメリカ政治の象徴となる議事堂の礎石を置く儀式が行なわれる。その儀式はフリーメーソンリーのロッジと提携して行なわれ、ワシントンは、メーソンのエプロンと記章をつけて儀式に臨んでいる。
有名なワシントン記念塔も、メーソンの力で生まれたものだ。このオベリスクは一本石からは造られておらず、多くの石を組み合わせてできており、アメリカ合衆国の標語「多から一」を象徴的に示す建築物である。
また一八八六年、フランス政府はアメリカ独立百周年を記念して「自由の女神」像を贈るが、その制作者フレデリック・バルトルディもメーソンである。
アメリカ建国がフリーメーソンの精神であることは、アメリカ合衆国の国璽にもその象徴が表われていることからも明らかだ。とくにはっきり表れているのは裏側であり、未完成のピラミッドが描かれ、冠石の位置に「万物を見る眼」(フリーメーソンの象徴)が描かれている。この絵は一ドル紙幣の裏側にも描かれている。
バチカンは、またの名をローマ教皇庁という。イタリアのローマ市郊外にある人口千人ばかりの小さな国である。だが、カトリックの総本山として、その信者九億六百万人を擁する、世界最大の宗教教団がバチカンなのである。
バチカンは、宗教センターであるばかりではない。
莫大な数の信者から集める寄付金をバチカン銀行にプールし、その財力を資金に企業や国家に貸し付けているのである。その巨大な資金は「世界経済の眼」とも呼ばれ、信者の数とともに世界情勢に及ぼす影響は極めて大きいのだ。
また、バチカンは「反共陣営の大本山」(故・大宅壮一氏)とも呼ばれ、はっきりと反共主義を打ち出している政治的国家でもある。
その政治力は、全世界を網羅する情報収集機関(教会)によって裏打ちされており、「世界最大の情報国家」(小松左京氏)との呼び名さえある。
この強大な力を利用して、バチカンは全世界に多大な影響力をもっている。いやそれだけではない。バチカンは謀略をめぐらし、自らの手で、“世界帝国”の建設を目論んでいるとも考えられる(拙著『バチカンの秘密』三一書房、『バチカンの黙示録犯罪』廣済堂)。その意味で、バチカンはフリーメーソンリーに対抗しうる世界規模の「陰謀結社」でもあるのだ。
では、そのバチカンが目指す世界帝国とは、どのようなものであろうか。
むろん、それはカトリックの神学に基づいている。神の存在、キリストの復活、終末思想などをベースにしたキリスト教観による世界国
家がそれだ。
バチカンとフリーメーソンリーは長い間、犬猿の仲だった。それがフリーメーソンのP2事件を境に、バチカン内部にP2会員、もしくはメーソンである聖職者が多数いることがわかり、世間を騒がせた。それも、バチカン内部の実力者が多数いたのである。
現在の教皇ヨハネ・パウロ二世は、一九八一年三月二日、
「フリーメーソンおよび類似の秘密結社に入会した者は教会法により破門になる」
として、新たな声明を発表した。
「私の子供たちよ。私は再びサタンの秘密結社に加わらないように、あなたたちに警告します。それはほんとうにサタンの会堂なのです。これらの秘密結社は、兄弟愛、博愛、人類同胞主義などのラベルを身につけています。しかし、私の子供たちよ。どんなことをいっても、あなたがたの信仰をくつがえそうとしているのです」
しかし、現在すでにバチカン内部におけるメーソンの勢力は、計り知れないものがある。ざっとそのメンバーをあげてみよう。
前国務長官(バチカンのナンバー・ツー、総理大臣に当たる)のアントニオ・カザロリ枢機卿(一九五七年九月二十八日入会)、セバスチアポ・バッキオ枢機卿(一九五七年八月十四日入会)、世界的にカリスマ制新運動を推進しているレオン・ジョセフ・スーネンス枢機卿(一九六七年六月十五日入会)、次の教皇候補といわれるバリス・ルトジンガール枢機卿、「すべての宗教の世界教会」運動を進めているピクメドオリ枢機卿、コエニング枢機卿などがいる。なお、元国務長官のジャン・ヴィロ枢機卿、バチカン銀行の総裁ポール・マチンクス大司教などもそうである。
ほかに教会幹部聖職者の名前だけでも列挙すると、フィオレンゾ・アンジェリネ(一九五七年十月十四日入会)、パスクァレ・マッキ(一九五八年四月二十三日入会)、ヴィルジリオ・レヴィ(一九五八年七月四日入会)、アレッサンドロ・ゴッタルディ(一九五九年六月十三日入会)、フランコ・ビッフィ(一九五九年八月十五日入会)、ミッシェレ・ペリグリノ(一九六〇年五月二日入会)、フランシスコ・マルキサノ(一九六一年三月四日入会)、ヴィルジリオノエ(一九六一年四月三日入会)、アルバーアレ・ブーニーニ(一九六三年四月二十三日入会)、マリオ・ブリーニ(一九六九年入会)、マリオリッチィ(一九六九年三月十六日入会)、ピォ・ヴィトピント(一九七〇年四月二日入会)、アキレ・リーナルト、ジョゼ・グリヒ・リベラ、ミキュエル・ダリオ・ミランダ、セルギオ・メンデス・マトケオ、そしてフランシスコ修道会のフェリペ・クエト……などである。
以上数えあげればきりがないが、バチカン内部にじつに百二十一名のメーソンがいるのである。『法王暗殺』(D・ヤロップ著)という本によると、前教皇ヨハネ・パウロ一世は、バチカン内部のメーソンを一掃する人事に手を染め、それで暗殺されたのだという。
また『誰が頭取を殺したか』(ラリー・ガーヴィン著)によると、P2事件と教皇庁とは複雑なからみがあり、それでP2の中心人物、アンブロシーノ銀行頭取のロベルト・カルビが、一九八二年六月十日、ロンドンで“自殺”したことが記されている。
また、一時期バチカン銀行と手を組み、金融帝国を目指したミケーレ・シンドーナの奇怪な死(獄中“自殺”)もある。
フリーメーソンリーは、「人類が一致して信仰できる宗教」である。その信仰は、バチカンの教義と同じく、「この世のものではない」(『フリーメーソンの失われた鍵』マンリー・P・ホール著、吉村正和訳、人文書院)。
しかし、バチカンは長い間、フリーメーソンリーを敵視してきた。現在もヨハネ・パウロ二世が前述のごとく排斥しているが、バチカン内部に及んだメーソンの勢力はすでに根強く、除去できないと思われる。バチカンでさえもそうなのだから、世界中にあるカトリック教団内部にも、メーソンが侵入していると思ってよいだろう。
バチカンは一九六四年、「世紀の大改革」ともいうべき第二バチカン公会議を開き、これまでの独善的な姿勢を百八十度変えて、大方針を打ち出した。そこで注目すべきことは、エキュメニカル(教会一致)戦略とともに、ヒンズー教、仏教、イスラム教など他宗教にも「神の光」があるとする、宗教対話の精神を打ち出したことである。
まず東方教会とプロテスタントは、今日、世界教会協議会(WCC)をもっており、すでにエキュメニカルを始めている。ここで重要なのは、プロテスタントの指導者の多くがメーソンであることだ。WCCの参加教団は約二百教団、約六億人の信者を有している。筆者が日本グランド・ロッジを取材したとき、元グランド・マスターの一人は、
「パウロ六世教皇もメーソンでした」
という衝撃的な話をしてくれた。
また英国のメーソンの一人は、
「英国では、プロテスタントの指導者の二五パーセントがメーソンだ」
と言っていたのである。
今日、フリーメーソンのバチカン支配が口にされているが、プロテスタントはすでにフリーメーソンに支配されているのだ。フリーメーソンリーの理想がエキュメニカルという方向で動いており、この大戦略を始めたのもプロテスタントのWCCである。
エキュメニカル、宗教対話のバチカン戦略も、そもそもバチカン内部のメーソンがつくりだしたものかもしれない。こうした“神々の同盟”は一面、反共戦略を意味しており、フリーメーソンも反共であることには変わりがない。
今日、西側の自由主義諸国のエリートはフリーメーソンであり、有神論者の人々を加入させている。そもそもメーソンになるには、「宇宙創造の神」を信じることだ。何でもいいから有神論者が入会の条件だ。
フリーメーソンの信仰する神は、低位のメーソンは「宇宙創造の神」だが、高位のメーソンは、次の三つの神を信じる。
JAH=エホバ、ヘブライの神
BUL=バール、古代カナンの呪術的な神
ON=オシリス、古代エジプトの黄泉の国の神
このうち問題になるのは二つ目のバール神であり、この神は、古代イスラエルの民をエホバの神に帰依させるために戦った「邪神」で、「悪魔」だとされている。
ここらあたりが、バチカンなどがフリーメーソンリーを忌避し、「悪魔の会堂」とするゆえんだろうか。(以上『秘密結社がわかる』赤間剛氏執筆の第五章より抜粋)
#NATOの旗は「コンパス」ですから(爆)。三つの神は『聖書の呪い』では、三神合体でJAHBULONとか。...『UFOS & SPACE』79年9月号によると、
赤間剛 本誌8月号座談会に“UFO秘密兵器・謀略説”をふりかざして登場したフリー・ライター。専門は“支配学”で、UFO共同幻想論を展開し、「日本人がUFOを信じないのは、もう一つのUFOである天皇信仰のためであり、また日本民族が地球人類の中の宇宙人だからだ」と主張している。オカルト、宗教学など、人間における“神秘”をさぐり、遠い将来には、映画『ミクロの決死圏』のように、自己の中にUFOが秘められているのを誰で
も知るでしょう、とまじめに話す。「大衆に明らかなものは明らかに誤り」との堅い信念のもち主である。1945年下関市生まれ、中央大学法学部卒。元読売新聞記者。著書に『ヒトラーの世界』、『UFOのすべて』(三一書房)など。