Re: 「世界は江戸化する」推奨します。


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投稿者 倉田佳典 日時 1999 年 1 月 04 日 20:03:51:

回答先: 「世界は江戸化する」推奨します。 投稿者 倉田佳典 日時 1999 年 1 月 04 日 17:36:39:

島にはじめてその小さな姿を現わし、その後、古代ローマ帝国という巨大な怪獣になって一時期全盛を迎えたが、四方から襲いかかる大小さまざまのピヒモスに食い散らされて重傷をうけた。しかし、不死身だったリヴァイアサンは、一五世紀あたりから再びかつてをしのぐ勢いで急成長を遂げ、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカと次々に固有名詞を変えながら、全地球的規棋に拡大してきたということになる。
 一方のビヒモスは、たぶんクレタ島にリヴァイアサンの幼虫が発生するはるか以前から、地球上のあらゆる地方でその原型は発生したのだろうが、最大の規模に達したのは、一三世紀にモンゴル帝国がユーラシア大陸の過半を制する大怪物となったときであった。以後この怪獣も、アジアとヨーロッパとアフリカにまたがる「世界島」の各地で、やはりその時々に固有名詞を変えながら、最近まではソ連という名の大ビヒモスとなって、大リヴァイアサン・アメリカに対峙しでいた。

 大宇宙を模倣するフラクタルな小宇宙

 ここですぐ気がつくのは、ピヒモスは概して専制国家であり、これに対してリヴァイアサンには民主国家が多いという興味深い事実である。
 人類史上民主主義なるものが初めてそれらしい姿を現わしたのは、エーゲ海周辺の古代ギリシャにおいてであったし、その血脈はローマの共和制を経て、近代の典型的な海洋・民主国家としてアングロ・サクソンの国家に受け継がれてきた。
  近代の民主主義がフランス革命に始まるという考えをかりにとるとしても、フランスはマッキンダーのいうラテン半島に存在する国家であり、古代ギリシャでいえばペロポネソス半島のアテ ネに匹敵する場所だから、おかしくないことになる。ナポレオンがスペインからロシアにいたる 大陸国家を築こうとした事実はあるが、彼の努力はすぐに失敗しているので、もともと無理な試みだったといって笑つてすませることができる。
  一方のビヒモスとしての大陸国家に関しては、モンゴル帝国の昔から、あるいはそれ以前に遡っても、ただ一つの民主国家もみつからない。二〇世紀の終末を迎えている今日、なお独立国家共同体と中国という歴史上いまだかつて専制しか知らなかった典型的な大陸国家が、民主国家に生れ変わることができるのかどうかが問題視されている。なぜだろうか。
 私の仮説をいえば、その理由は個人としての人間の小宇宙は、国家あるいは集団としての人間の大宇宙を模倣するからである。
 クレタ島とペロポネソス半島を主な活動の舞台としていたギリシャ人の国家は、小アジアやバ ルカン半島の彼方に広がるユーラシア大陸のハートランドから見れば、本来「周辺」であって、
 その「周辺」がいかにして逆に「中心」を囲い込み、「中心」に勝てるかが、かれらが生き残るための最大の課題だった。それに成功しないかぎり、かれらは没落する運命にあった。この原則が近代のアングロ・サクソンの国家を含めてあらゆる海洋国家にあてはまるのは、すでに述べたとおりである。
 民主主義という政治体制は、この同じ構造を国内にもち込んだものにすぎない。すなわちいかなる国家においても、それを構成する個人としての人間は「周辺」に存在し、「中心」には王や皇帝などのなんらかの為政者が存在するのだが、民主主義という教義の特徴もしくは眼目は、周辺に存在する人がとが中心にある為政者をいかにして囲い込むかというところにこそあるからである。

砂漠の思想を日本が超える より抜粋

 すでにふれたように、日本人は幸か不幸か、ごく最近まであらゆる意味で「砂漠」に無縁だった。国内に現実の「砂漠」がなかったのみなず、宗教としてのあるいは思想としての「砂漠」にもほとんど無縁だった。宗教としてのあるいは思想としての「砂漠」とはいかなるものかという話の詳細には、いまは立ち入らないことにする。回り道に回り道を重ねなければならなくなるからだ。キリスト教が根づかなかったのも、マルクス主義が力をもち得なかったのも、徹底した二ヒリストが日本に少ないのも、そのせいではないかと思うが、いまは込み入った話はしないことにする。
 ただーついえることは、あまり思弁が得意でない実際的な日本人にとっては、「思想としての砂漠」と闘うよりも、砂の海としての「現実の砂漠」と闘うほうが性に合っているのではないか’ということである。
 そして、その日本人の性癖に狙いをつけたように、今世紀の末から来世紀にかけて、われわれがじっくりと、「現実の砂漠」と取り組まねばならない時代が来たのである。今日行なわれている実験や試みはそのほんの先駆けにすぎない。その意味では、今日の砂漠克服の実績だけを見て失望するのは早すぎる。地上の砂漠さえ克服できないで、宇宙というもっと苛烈な「砂漠」に挑戦できるはずがない。したがって砂漠開発はどうあっても成果を上げなくてはならない領域である。日本が来世紀の「治者」たらんとするならなおさらである。それに成功して初めて、われわれはあの「砂漠的思考」と称するものの拠って立つ根底を破壊することになる。そこまでくれば初めてわれわれの文明は新たな地平に立つことになろう。私が環境問題には環境問題それ自体以1の意味があるというのは、ざっとこういう展望をもつからである。

人間中心主義のなかにひそむ悪魔 より抜粋

  というのは、近代合理主義とはじつは、古代キリスト教の最大の異端グノースティシズムの一種の再生として考えられる部分があると、考えられるからである。もっともあまりめんどうな宗教論や神学論議には深入りしたくない。この種の問題に興味のある人は少ないにちがいない。だが右に述べた三つの並行現象を支えてきたものの本質を理解するために、必要な最小限だけを書くと、こうである。
 歴史年表を開いてみればあきらかだが、大航海時代は宗教改革の時代とともに始まり、宗教改革はいわゆるヨーロッパのルネサンスとともに始まつな。ルネサンスはいうまでもなく再生という意味だが、ここで再生したのは普通考えられているような、古代ギリシャの明るい合理主義と人文主義だけではなかった。むろんそういうものも再生することはしたが、それとともに中世の全期間にわたって正統派のキリスト教が抑圧してきた、さまざまな異端、いわぱ暗黒のなかでうごめいていた人間のあらゆる暗い欲望もまた、蘇ったのである。
 そのなかで古代最大の異端グノーシスの教義が生き返らなかったはずはない。
 古代グノースティシズムの特徴は、一口にいえば、善神と悪神の二つの神の存在を想定し、現実世界はそのうちの悪神が創造したものだから、いくらでも悪意を込めて「探究」したり「探険」したりあるいは「征服」してもよいものとする考えだった。と同時に、至高神としての善神のもとへは、個人としてのあるいは集団としての人間という通路を通って到達できるとされていたから、その考え自体が、すでにあらかじめ一種の人間中心主義、すなわち「巨人主義」だったことになる。
 大航海時代から二〇世紀の前半まで、近代の西欧人は「壮大への渇仰」に駆られて世界を征服し続けた。かれらの 衝動はまたほぼ一貫して、近代科学を基礎づけてきたデカルト・ニュートン的世界観という名の合理主義によって支えられていた。
 この世界観は、冷たく死んだ世界の探究をその目的としていて、両者はともに現実性界を「探究」と「征服」の対象としていたというまさにその点で、占代グノースティシズムの衣鉢を受け継いでいたのである。「合理的なもの」と「壮大への海仰」という一見別々の性格を備えたものが、近代のヤーヌスの不気味な恐ろしい二つの顔として裏表に張りついていたのは、このためだったといっていいと思う。
 しかもこのグノースティックな衝動は、一見それとはまったく関係がなさそうなところにもひそかに侵入していて、その点がまことに厄介である。
 たとえばアメリカという国は、その建国の基となった宗教的理念をたずねれば、イギリスから逃れてきた敬虔なピューリタンによってつくられた国だったのはよく知られている。事実、アメリカの知的伝統の出発点は、ボストンを中心とする二ューイングランドのピューリタンによるセオクラシー(神聖政治)に始まっている。アメリカの名門大学ハーバード大学もイェール大学も、あるいはプリンストン大学も、学問と教育に熱心だったピューリタンによって設立されなかっなものはない。
 しかもこのピューリタニズムとは、キリスト教のプロテスタンティズムのなかでももっとも厳格にカルヴィニズムの伝統を受け継ぐ宗派である。そしてカルヴィニズムの本質は、神の意志とそのロゴス、いい換えれば神の正義と愛が、地上世界を完全に支配し隅から隅まで貫いていることを要求する立場である。ここにこそアメリカが今日にいたるまで干渉がましく世界中で「よ義」を振りかざす宗教的な起源があるし、禁酒法などという珍妙な法律を制定する理由がある。だが問題はがれらのカルヴィニズム的要求が満たされないときに、いつたいどんなことが起こるかである。

 アメリカの根源的苦悩 より抜粋

 本来、この現実世界は、十分にカルヴィニズムの要求に応えてくれるようにはけっしてつくられていない。キリスト教の神の正義と愛が地上世界を貫いているとはいえない例は、あまりにも多い。
 するとどうなるかというと、あたかも悪魔よって創造されて悪の原理によって動いていろがのような現実世界と、その背後に隠れている至上神の世界との分裂が生じざるを得ない。つまりアメリカの建国の理念となったピューリタニズムは、そのあまりに厳格な理想玄義のゆえに、皮肉なことに、かえってグノースティックな異端に近づきかねないのである。
 これこそがアメリカのデーモンの根源であり、ここに近代しか知らない若い国アメリカを悩ます深刻な宗教的な問題がある。これはややもすると宗教に無関心な日本人が、とりわけよく理解しなければならない点であろう。






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