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回答先: Re: 「世界は江戸化する」推奨します。 投稿者 倉田佳典 日時 1999 年 1 月 04 日 20:03:51:
現代と酷似する「穢汚きこと」を通り抜けるプロセス より抜粋
しかし私がここでいいたいのは、そのことではない。宣長の仕事について、私が感ずることはニつある。その第一は、白石について述べたのと同様で、宣長が漢字の流入によって、それまで「表」だったものが「裏」になり、「裏」だったものが「表」になったと指摘しているのは、すでに述べたとおり、およそ文字というものが現われる際の人類にとっての普遍的現象であって、したがってこういっただけでは、漢字と格闘した日本人の苦悩を、文字が自前の文字であった人びとの場合と比較して、理解したことにはならない。
しかしそれよりもさらに重要なのは、宣長が「からふみごゝろの穢汚(きたな)きことをさとり、七代の清らがなる正實(まこと)をなむ、熟らに見得てしあれば」といって、いわば一種の「原型探し」に没入したのに賛成できないということである。これが第二の点である。
といっても、私は原型探しがつねに意味がないというのではない。宣長が「漢籍心(からふみごころ)を清く洗ひ去」ったその彼方に見えてくるとした、和銅五年に稗田阿礼と太安万侶が撰録した七世紀以前の口承の世界のありのままの「古意」であろうと、最近ブームになっている感のある縄文の世界であろうと、なにがしかの効用はあるだろう。
しかし言語体験にかんするかぎり、漢字と格闘した数百年のあいだに日本人が何を経験したかを理解するほうが、原型を探す作業よりも何倍も重要だと私は思っている。その体験はたしかに宣長のいうとおり「からぶみごゝろの寒心きこと」を通り抜けることであったが現在のわれわれも同様な意味で、近代という「寒心きこと」を通り抜けつつある。近代に独自のかたちで対処した現代の日本人の物語を書くうえでの参考になるのは、過去にあった「清らかなる正實(まこと)」の姿ではなくて「穢汚(きたな)きこと」としての現実をどう通り抜けたかという、そのプロセスのほうである。
日本人は歴史の終末への運動を禁止した より抜粋
たとえば本居宣長は『古事記伝』のなかで、さまざまな神々の固有名詞の呼び方や、唱える際の声の上げ下げの調子まで、問題にしている。それは彼が「穢汚(きたな)きこと」以前の状態と考えた、いわば「始原」の状態を取り戻すための、欠かせない手続きだったろうが、そうして取り戻された始原は、じつは人類共通の始原としてまったく分裂していない、あるいはまったく分節していない言語か、あるいはいまだにほとんど分裂かつ分節していない言語の、一つの形態だったにすぎない。
したがって、そこからは日本人の経験の特殊性は何一つ出てこないはずである。また、漢字に出合った日本人がそれを崩して仮名をつくったことについても、表意文字がしだいにその意味を失って表音的になるのが、世界の言語の推移の普遍的な基調であるとすれば、先ほどから繰り返して述べているように、それ自体が日本で起った特殊な現象だとは考えにくい。
したがって問題は、日本人が仮名をつくって表音文字として使用すると同時に、表意文字としての漢字をそのまま残したことのほうにあり、これこそがきわめて興味深い現象だといわなければならないだろう。
なぜなら、もしかりにデリダの主張するように、意味するものとしての文字がその意味を失って、完全に表音的になって行き、純粋に匿名の代補となるのが、歴史の終末へ向う必然的な動きであるのなら、日本人は漢字という表意文字を残したのみならず、それを使わなければまともな日本語は書けないようなシステムをつくることで、終末への運動を禁止して、いわば宙吊りにしてしまつたことになるからである。
日本人が時間には終末がないと考えたがる根拠は、もしかすると、ここにあるのではないだろうか。
さらにもう一つの問題は、漢字から仮名をつくったことそれ自体ではなくて、その両者を飼い慣らすのに数百年の歳月を費やしたことである。漢字が日本に渡来したのは五世紀の初めであるから、古事記や万葉集が編まれた八世紀までを考えても三〇〇年、完全な仮名文学が花開く平安朝までには、なんと六〇〇年を超える歳月が流れている。
いわばこれだけ長きにわたって、宣長の言葉を借りれば「穢汚(きたな)きこと」のなかをくぐりぬけ、その「穢汚(きたな)きこと」を解釈しつづけたのであり、そこからはじめて日本人を日本人たらしめた抑制の精神が生れたのだと、私には思われる。つまり経験そのものの質よりも、経験の時間的な量の問題があるのである。自己主張に先立って、一般的にまず長い解釈の期間をもたねばならないとする独特の慣習も、ここから生れたと考えられるのではないだろうか。
「江戸化」とは、したがって対象の解釈に費やされる期間がようやく終って、抑制された静かな自己主張が始まる時代の謂いだといってもいい。じつのところ、「原・江戸化」も「江戸化」もそうして始まつている。「江戸化」が「原・江戸化」にくらべて比較的短い準備期間ですんだのは、たぶん前者の経験が十分に蓄積・継承されだからであろう。
同様にして近代という、ほんの一〇〇年足らずの解釈の時代に続く、おだやかでかつ普遍的な自己主張の時代としての「再・江戸化」は、やっとこれからその幕を開けるところではないだろうか。
ポスト戦争システム より抜粋
本書で私は、十分に狭くなった地球が「江戸化」する際に、治者が心しなければならない問題を考えてきた。その第一に「狭小空間の地政学」を置いたのは、近代の世界システムのなかで、海洋国家と大陸国家の争いはほぼ一貫して前者の勝利に終り、現在起っている旧ソ連などの崩壊はその最後の局面の始まりだが、それと同時に、「江戸化」した世界においては三次元の宇宙地政学が問題になり、現代は、まさにその二つのものが交錯する過渡期に当っているからである。
したがってわれわれとしては、ここで二重アプローチが必要になるが、まず後者の宇宙地政学からいうと、辺境と中心についてのマッキンダーの法則を大幅に読み換える必要が生じている。
マッキンダーの考えは、「東欧を支配する者はハートランドの死命を制する。ハートランドを制する者は世界島(ワールド・アイランド)の運命を決する。そして世界島を支配する者はついに全世界に君臨するだろう」という、短い格言に要約された。ここで世界島というのはユーラシア大陸にアフリカ大陸を加えた地球上最大の陸地で、ハートランドとは海洋勢力の力のおよばない、その中核部分のことで、具体的には旧ソ連と東欧を含む地域とサハラ砂漠以南の陸地の、二つの地域が考えられていた。
しかし、フランスの季刊誌『ストラテジーク』 一九九一年第二号に収録されているイザベル・スールベスの「宇宙地政学」と題された論文によると、地球を取り巻く三次元空間にかんして
は、`マッキンダーの格言は次のように読み換えなければならない。
「近接宇宙空間を支配する者は地球の死命を制する。月を支配する者は近接宇宙空間の運命を決する。そして二つの特異点を支配する者は、ついに地球1月システムに君臨するだろう
」
ここで近接宇宙空間というのは、地球に対する月の公転軌道の内側、つまり半径がおよそ三八万キロメートルの地球を取り巻く球形の空間の内部であり、二つの特異点というのは、その球の表面上にあって、地球と月を結んだ線分を一辺とする対称的な二つの正三角形の二つの頂点をあらわす。といっても、地球をまわる月の軌道は太陽の引力の影響を受けて、ケプラーの法則などにしたがって変化するから、つねに若干のずれがあるのはいうまでもない。また二つの頂点それ自体も月の公転によって移動するから、厳密には、点というよりは限定さーれた空間ということになる。
その限られた空間は軍事的にきわめて重要な意味をもっていて、そこを支配する者は、やがて近未来においては、最終的に地球一月システムに君臨する。だから、いがなる国家や国家以外の集団にも、その場所を独占させてはならないというのが、スールベスの考えである。もしこの見解が正しければ、将来、地球を管理する機関ができたとした場合、逆にこの空間さえ押さえておけば、ポスト戦争システムが実現できることになるだろう。