(回答先: 真珠湾奇襲攻撃が“騙し討ち”となった「対米覚書」手交遅れの責任問題 投稿者 非リストゥーラ・カンチョ 日時 2002 年 2 月 10 日 22:22:33)
「非リストゥーラ・カンチョ」さん、レスありがとうございます。
「対米覚書」問題は、手交遅れ以外にも、あの「対米覚書」が果たして“宣戦布告”と言えるものだったのかという問題もはらんでいます。
12・8の開戦に至るまでの日米交渉の経緯から、受領した米国政府が「対米覚書」を聖戦布告に等しいものであるという認識を持つことは疑いありませんが、内容として宣戦布告を明記した文書ではありません。
これは、対米戦を決意した日本指導層が、「奇襲でなんとしても緒戦優位を維持したかった」、「奇襲作戦を断念せざるを得ない場合、開戦を回避したかった」、「自国破壊者は、念には念を入れて、真珠湾攻撃が“騙し討ち”になるようにした」などが考えられます。
話が長くなるので、結論的に書くと、日本帝国の海軍にも陸軍にも、その上層部に自国破壊者がいたと考えています。
「日米交渉」が決定的な暗礁に乗り上げる契機になった「南部仏印武力進駐」いわゆる“南進政策”は海軍が強く主張したものです。
また、「真珠湾奇襲攻撃」も、短期はともかく、中長期の優位的作戦遂行を保証するものではありません。これは、たとえ、米国海軍空母が真珠湾にとどまっていたとしても、時間的差異があるだけで、彼我の生産力の差を考慮すれば、最終的な日本の敗北に影響を与えるものではありません。(「真珠湾攻撃」も海軍軍令部は強く反対)
海軍は、さらには、「ミッドウェー海戦」という“無益”な作戦を立案し遂行しました。「ミッドウェー海戦」は、ハワイ諸島を脅かす前哨基地の確保とともに、米海軍主力部隊をおびき出し壊滅させるという企図で遂行されましたが、連合艦隊主力部隊は、第1機動部隊が作戦海域に到達したとき、遥か後方540Kmを航行していたのです。戦艦「大和」(連合艦隊旗艦)もその主力艦隊のなかにいました。
空母自体の防空力は貧弱なもので、戦闘機や戦艦・重巡洋艦・駆逐艦に防御してもらうしかありません。防空力が高い戦艦など主力部隊は遅れて出発して後方を航行し、「太平洋戦争」で主力となった空母を“野ざらし”にしたのです。
このため、「赤城」・「加賀」・「飛龍」・「蒼龍」という主力空母が“海のもずく”となっただけではなく、練度が高い優秀な雷撃部隊や戦闘機部隊を一気に失うことになったのです。
ミッドウェー諸島を確保し前哨基地として活用するというアイデアそのものが“無謀”であることは言うまでもありません。
これらの作戦を主導した海軍高官は、開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六氏です。
(長岡出身の山本氏が、戦後“日本”のような“国体”を夢見て自国破壊に走ったかどうかはわかりませんが)
前回書き込んだ「対米覚書」手交遅れ問題は、あくまでも、戦後もそのまま生き残り続けた外務省のことを対象としたので、このようなその他支配層の「自国破壊」問題は提起しませんでした。
問題は、「対米覚書」の手交を意識とも言えるかたちで遅らせたキャリア外交官が、戦後に責任をとらされるどころか、外務次官にまでなったということです。
日本が現在の様々な苦境を脱するためには、明治維新以降の「近代日本」を全体的に見直す過程(論議)が必要だというのが持論で、そのなかには、あらゆる支配層の“失政”(意図的か無能かを問わず)が含まれるべきだと考えています。
(それによって、山本五十六氏をはじめ亡くなった人に鞭打って恨みを晴らすという考えはまったくありません)