投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 12 月 04 日 10:16:43:
(回答先: アジア太平洋軍事・諜報ニュースが廃刊、HPも閉鎖 鐵扇會が妨害 投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 12 月 04 日 08:52:42)
あまり関心のない方もおられるかもしれませんが、ひとつの情報コミュニティが完全崩壊する過程をぜひご注目下さい。
取り急ぎ、アジア太平洋情報会議掲示板が無くなってしまいましたので、そこでの経緯を記憶にある限度でまとめておきます。
アジア太平洋情報会議掲示板は、管理人・「元諜報員」氏によって98年9月より開始され、ホームページである、対外情報調査部東アジア局並びに、後進の対外情報調査部|ロシア・CIS・東欧局、さらにメールマガジン、アジア太平洋軍事・諜報ニュースなど、元諜報員氏が発信する各種軍事、諜報ニュースに対する、関連・補足情報が投稿される質の高い情報コミュニティでした。私も当初の頃から投稿を続けさせていただいており、そのやりとりの中で多くの示唆を得、情報収集に役立てさせていただいておりました。
元諜報員氏と鐵扇會会長元木田 蔵(初心者・元気だぞ)氏は、鐵扇會発足以前から交流があり親しくされていたようでしたが、詳細はよくわかりません。元諜報員氏が98年12月に当時の河上イチロー氏と決定的な対立をされて、河上氏の掲示板から去って行かれた際も、初心者・元気だぞ氏は、元諜報員氏にエールを送っておられました。鐵扇會発足後、一時、元諜報員氏のHPや掲示板に鐵扇會のバナーが張り付けてあった記憶もありますが定かではありません。
その後、皆様ご承知の通りの鐵扇會の政治的な活動広報の投稿に対して元諜報員氏が距離をおきたい旨発言される場面がしばらく続き、ついには、鐵扇會の投稿そのものの禁止を表明されました。
しかし、鐵扇會による各種活動の広報的投稿は、毎月29日付けの「昭和の日制定運動」が展開されて以来、ますます頻繁になり、その都度、管理人である元諜報員氏によって削除がおこなわれてきました。
また、1年ほど前に一度、今回と同じように掲示板自体が停止状態になったことがありましたが、そのときは1週間ほどで復旧しました。その後も頻度はさまざまながら、鐵扇會の投稿は継続され、この1月ほどは管理人さん、夏 光華(シア クァンホァ)さんを中心に鐵扇會に対する抗議の旨の投稿が続いておりました。
12月1日から2日にかけて、この度の内親王様ご誕生に際しての鐵扇會の奉祝活動の広報がまたまた投稿され、夏 光華氏によって、
「このような管理無視の投稿を続ける鐵扇會が奉祝するような天皇・皇室ならいらないね」との、まさに、奉祝ムード一杯の中で、みずから泥をかぶってでも情報交換のための掲示板という場を守りたい旨のメッセージが投稿されました。
それまでこの件に関しては傍観者であって、この掲示板において単にニュース転載投稿のみを続けていた私・倉田は、この夏 光華氏の真摯なご発言に衝撃を受け、鐵扇會に掲示板への投稿の自粛を求めて鐵の扉に投稿しました。それ以後の経緯は、鐵扇會の、鐵の扉、鐵乃廣場掲示板をご覧下さい。
http://www.tetsusenkai.net/patriot_station/
私自身と鐵扇會(および会員各氏)との関わりについて簡単に申し上げておきます。
鐵扇會発足の前段階となった、98年12月の「憂国オフ」に、私も参加させていただきました。元木田会長はじめ、国粋主義者氏、江藤学神氏らと親しく懇談させていただいたのを昨日のように思い出します。その後、会の発足時にはお誘いもいただいておりましたが結局入会には至らず、その後は鐵扇會との関わりは希薄になっておりました。
初心者・元気だぞ氏が、99年11月に、三島由紀夫事件を踏襲されたと思われる、いわゆる「ネット自決」をされた際には、私が常時投稿している情報掲示板である大和維新塾掲示板(アブネタ板)にもその表明がなされ、今回と同じような衝撃を受けました。またその後鐵扇會の広報張り付けが問題となった際に一度だけ、鐵を語る掲示板がPW制になっている理由を質問させていただいたことがありますが、その後は鐵扇會のページ自体にもほとんどアクセスすることなく今日に至りました。
(続きは、たぶん今夜に投稿)