投稿者 付箋 日時 2001 年 11 月 04 日 01:43:47:
「法学セミナー」 2001・10号
連載第一回
『私はなぜ憲法改定に、抵抗するのか』辺見庸(稿)より抜粋。
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はじめに
いささか気負ったタイトルをつけて、これからこの国の憲法について、あれこれと話すなどというのは、かえって法律の素人だからこそできることなのかもしれません。正直なところ、とても気が引けるのです。ただ、これにはいくつかのわけがあります。まずそのあたりの、理由や動機のようなことから申し上げようと思います。
まことに唐突ではありますが、私はいま、精神の絶えざる浸食感とでもいうべき、心の異変のようなものを感じつつ日々を生きております。これは、かつて抱いたことのない質の危機意識でもあります。いまさら憲法を語ることの、その奥底にある動機とは、じつはそれなのです。おいおい、憲法と精神の浸食とやらにいったいなんの関係があるのだ、と怒られそうですが、結びつきはたしかにあるのだと思います。多少迂遠ではあるものの、そのことを最初に説明させてください。これは、ただ単に私の内面にのみ生じている失調ではなく、それぞれ色合いや濃淡こそちがえ、本稿の読者の多くが共有する危機感でもあるのではないか---そう私は想像します。そのことと憲法をめぐる状況がどこかで関係すると私はめぼしをつけているのです。
私は近年来、私のなかのなにかが、あたかも、長く広かった海岸線が海に浸食されるように、なにものかによって、徐々に、しかし、確実にせばめられ、圧迫されるのを感じています。私のなかのなにかとは、おそらく、私という個人がもつ、内面の自由の領域ではないかと思います。つまり、いろいろな観想や妄想や悪戯や遊びのできる、心のなかの広い砂浜。あるいは、内容が不埒であれ、崇高であれ、好き勝手な書きこみのできる心の余白のような領域。ないしは、いつでもそこに逃避し、身を隠すことのできる、深い森のような空間。それが、外からの見えない力によって、次第に削り取られていく、息の詰まるような感覚があります。ときには、その自由であるべき自已領域に、なにものかが荒々しく土足で入りこんでくるような恐怖も覚えます。
これは錯覚でしょうか。そうであってはいけないので、いく度か記憶の帯をたぐり寄せて、いまと過去とを引き比べてみたのです。これほどの浸食感、不安感、窒息感、圧迫感が、たとえば、二十年前にはあったかどうか、と。すると、まったくなかったとはいえないにせよ、いまほど強くはなかったように思えてくるのです。私は単に誇大妄想や不安神経症にすぎないのではないか、と自問もしてみました。いや、どう考えても、これは心療内科や精神科に行ってすむ問題ではなさそうなのです。内面の異変は精神の疾病によるものではなく、やはり、近年の外的状況の変化から発しているといってよさそうです。
このままいけば、私がよりどころとしている内面の自由の領域は、いつの日か、ちっぼけな孤島のようにたよりないものになる恐れもなしとしません。自由な精神の浜辺はせばまり、心の森も、貧弱な疎林としかいいようがないほど、樹々が伐採されてしまうのかもしれません。こうした内面の自由の領域を浸食するものとは、いったいどのようなものなのでしょうか。後にもっと詳しく言及しなければなりませんが、それこそが、国家意思というものなのではないかと私は考えております。私のいう国家意思とは、ちょっと抽象的ですが、政権政党や警察権力や特定の行政機関の具体的意思そのものを意味するのではなく、それらをも広く包摂する、国家幻想を背負った者たち相互の関係性の総体から生まれるものです。その意思が年々、つよくなり、肥大し、膨張している。私はそのような印象をもちます。それとともに、「国民」意識の押しつけのようなものも目立ちます。さらには、「日本」や「日本人」の自己同一性の回復のようなことも強圧的に求められているようです。それらが菌糸のように絡まり合い、相乗して熱を帯び、あげく、個人が保持すべき内面の自由の領域を、日々波が洗うように浸食するにいたっているのではないでしようか。
国家が個人の心のありようにまで手を伸ばし、容喙(ようかい)してくる傾向は、年々著しくなっております。私個人としては、現在の状況のなかで、もっともこの傾向を嫌い、かつ心の底から恐れてもおります。こんな表現が許されるならば、〈われわれはかつて個人であることが合法化されていた〉といってみたくなるのです。けれども、昨今では個人存在の合法性という保障すら危ういものになりつつあるのではないか、と私は思うのです。ここで、憲法が登場します。それは憲法学のようなものではなく、より正確には、私が日ごろの私の発想や論法に、それと気づかず、おぼろに帯びていた憲法的なるもの・・・とでもいいましょうか。すなわち、はっきりそのように自覚していたわけではありませんが、私もあなたも彼女も彼も、それぞれに謎めいた内面を保持できる個人でありうることが、たぶん、憲法上保障されているという無意識の了解がこれまではあった、ということです。その了解が、昨今、なりたたなくなりつつあるという焦心のようなものが私にはあります。精神の絶えざる浸食感は、それに重なるのです。いいかえれば、われわれがそれなりに体内化していたおぼろげな憲法常識が、ひょっとすると、いま無効になりつつあるのではないか、ということです。
ところで、これは著書をお読みいただければわかることですが、私はさほどの遵法精神の持ち主ではありません。むしろ逆ではないでしょうか。というより、この国の制度や法、そしてその運用や執行の実情は、じつに少ない例外を除き、私にとっておおむね疑りと怒りの対象でしかありません。「政治、そして社会制度は目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚である」「人間は常に網からこぼれ、堕落し、そして制度は人間によって復讐される」と、坂口安吾が「続堕落論」で書いたのは一九四六年のことですが、私はこれこそが実相に近いと考えるものです。ただ、そのような私でさえ、憲法常識の断片のようなものを無意識に体内化していたということに、最近、ふとしたことから心づき、われながら意外の感に堪えなかったのです。
私がはっきりとそれと意識せずに体内化し、漠然とよりどころにしていた憲法常識とは、いま六法全書を繰りつつ思えば、第九条(戦争の放棄、戦力の不保持・交戦権の否認)とか第十三条(個人の尊重)、それに第十九条(思想および良心の自由)等々なのでした。私がもちつづけていたいと願う内面の自由の領域は、よくよく考えてみれば、それらの条項を、自由の領域を侵されないための”堤防”のように見たてていたのかもしれません。これも、無意識に、です。ということは、私は私の自由の領域をかならずしもたったひとりで守りとおす決意をしていたのではなく、憲法にその保障を求めていたともいえるでしょう。これまた、無意識に、です。
しかしながら、この堤防はつとに決壊してしまったか、あるいはいままさに決壌しかかっているのではないでしょうか。九条、十三条、十九条だけではありません。日本国憲法をざっと流し読みしただけでも、前文、第十八条(奴隷的拘束および苦役からの自由)、第二十条(信教の自由、国の宗教活動の禁止)、第二十一条(集会・結社・表現の自由、通信の秘密)、第二十五条(国民の生存権、国の社会保障的義務)、第二十八条(勤労者の団結権・団体交渉権その他団体行動権)、第三十四条(抑留・拘禁に対する保障、拘禁理由の開示)、第三十六条(拷問および残虐な刑罰の禁止)、第三十七条(刑事被告人の諸権利)、第三十八条(供述の不強要、自白の証拠能力)、第九十八条(憲法の最高法規性)、第九十九条(憲法尊重擁護義務)・・・といった(これ以外にもたくさんあるのですけれども)堤防の要所要所が無残に破壊されています。一度として改定されていないにもかかわらず、満身創痩であります。いや、そんなことはない、基本線は守られているという憲法学者もいるのでしょうが、それは倒錯的なまでに楽観しすぎというものでしょう。いま残っているのは堤防の形骸にすぎず、われわれは激しい濁流のなかで、日々せばまる一方の自由の領域の行く末について案じているのです。
憲法的常識の自明性。それを、過去の一時期、われわれはいわば無料で享受というか共有してきました。その自明性を確保するために、歴史的には数次にわたる安保闘争など、そこそこの戦いをし、少しばかりの血を流しもしてきましたが、かならずしも理想の高さに見合うほど多くの代価を支払ってきたわけではありません。すべてはあまりに不十分だったのでした。その結果が、現在のこの体たらくなのです。精神の浸食は、思えば、必然の結果でもあるのです。その責任について触れるなら、そもそも、憲法的理念の自明性を完全に失った時代に生まれた若い世代に、それのないことは、いまさらいうまでもありません。今日の体たらくの責任は、あげてわれわれ旧世代にあります。で、ことここにいたれば、と私は考えたわけです。いまも私の発想や論法のなかに、葉脈のように、あるいは樹肌の斑(ふ)のように、おぽろおぼろに浮かんだり沈んだりしている、いわゆる憲法的なるものを、いったんは手近に取りだして、ためつすがめつし、改めて意識化する必要がある、と。自明のこととしてだらしなく放置し、まさに、かくも長くそうしてきたがゆえに、いつしか自明性を奪われつつある憲法を、私個人との関係のなかでとらえ直すこと---前置きがずいぶん長くなりましたが、それが本稿の第一の目的です。もうひとつ。私は憲法改定に遠い昔から反対の立場をとってきましたし、今後も改定に低抗するつもりでおります。しかし、私の周辺はほとんどが改憲反対論者ばかりということもあり、反対の論拠を他者から厳しく問われることも、自身で論拠をしっかりと点検することもなく、ここまできてしまったのです。答えは自明のこととして、際どい質問を、いってみれば、習慣的に封じ、改憲はけしからんと、これもほぼ習慣的に唱えてきたのでした。カイケンハンタイと叫べばいい、理由はいわずもがな---といった怠慢が、この国のいわゆる護憲サークルにはあったように思われます。これではスパーリングをしないボクサーのようなものであり、勝負は眼に見えています。自明の足場が危ういいま、私は本稿を考え考え書き進めるなかで、改憲に独自に反対し、改憲に独自につよく低抗する根拠を私なりに確かめていくつもりです。かつてはなんらの証明も要せず、それ自身で明白であったことどもが、憲法もふくめ、もはやこの世には存在しなくなりつつあります。ならぱ、私はせめて、改憲反対の正当性を、だれのためでもなく、私のために、極私的に、立証してみたいと思うのです。
本論は一問一答の形式で進めていきます。問いには私がみずから設けたものも、編集者が用意したものも、私の友人たちが投げかけてきたものもあります。設問に多角的かつ重層的に応じるために、答えはすべて直載にというのではなく、しばしばあちこちに脱線してしまうであろうことを、あらかじめお断りしておきます。