戦争責任

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投稿者 DC 日時 2001 年 8 月 18 日 02:02:36:

回答先: 靖国神社参拝 小泉首相の「失敗」を買う 投稿者 DC 日時 2001 年 8 月 17 日 21:37:05:

http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/010704.htm
政治を見放したらー昭和史の教えるもの

 日支事変を起こし太平洋戦争を起こしたのは「軍閥だ」と多くの日本人が信じている。

 だが、それはおかしい。

 大正14年から成人男子にはすべて選挙権があった。今で言う選挙民、有権者なんだが、その人たちに責
任はなかったのか。責任を軍閥だけに押しつけて、軍閥をノサバラせた方の責任を、歴史は問わないですむ
のか。

 政党政治に愛想をつかした、というのが当時の選挙民大多数の率直な気持ちだったろうが、そこで匙を投げ
たのがいけなかった。それが国を誤るモト、不幸な昭和史の始まりとなった。

 高知のような地方都市までを焦土と化したアジア、太平洋の戦火は、こうして生まれた政党政治の荒廃の
中に火を発したのである。

 一口に選挙民といっても、武力や経済の大きい国の場合、彼等が投げやりになったり頭がおかしくなると、
自分達や子孫を不幸にするだけでなく、禍いを周辺諸国から世界に及ぼしてしまう。

 今の日本は、昭和の初めの日本とは比べものにならないほど経済の大きい国になった。日本の選挙民はそ
れだけ、世界に責任を持つようになっている。

 どんなに政治に失望しても、「政治に愛想をつかした」とは二度と言ってはならないことを昭和の歴史が教え
ている。

 政治の荒廃は、すぐに目にみえて国を衰えさせることもあるが、徐々に空洞化が進行してそれと気のつく頃
はもう手遅れになっていることもある。

 何れにしても政治家が有権者におもねっているときではない。

 いま大切なのは有権者の自覚、政治を見放してはならない責任の重さの自覚である。

 「甘えの構造」から足を洗って、坂本竜馬のように目を水平線に向けるときだ。

                   【魁(さきがけ)4号=1985年4月10日】

http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/010809.htm
日マ関係を回顧する(3)−マラッカで見つけた「日本占領」に関する資料
2001年08月09日(木)
  「教科書問題」や「靖国神社問題」が近隣諸国との関係を微妙なものにしている昨今、日本人は祖父が生
きた時代の「歴史」をどう捉えるかを改めて問われている。「大東亜戦争」という巨像のような大きな歴史的事
柄をどう考えたらいいのか、シリーズ「日マ関係を回顧する」はそんな私の問題意識をめぐる思索メモでもあ
る。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 クアラルンプールから車で約二時間で行ける、歴史の町マラッカは何度か訪れた。15世紀に栄えたマラッカ
王国の面影を残すこの町の一角には、その後のポルトガルやオランダ占領時代の史跡が集まる歴史散歩道
があり、「暑さ」さえなければ、そぞろ歩きは のどかで楽しい。

 マラッカ海峡が一望できるセント・ポールの丘には1521年にポルトガル人によって建てられた教会が廃虚
となって残っているが、その前には日本にも布教にきたフランシスコ・ザビエルの像が立っている。澄み切った
青空と灼熱の太陽の中で、その地に佇むと、この五百年の世界史の栄枯盛衰が忍ばれる。サンチャゴの砦を
くぐって丘を降りると、緑の広場が広がり、その前に「独立宣言記念館」がある。

 この「独立宣言記念館」は国立公文書館が管轄しており、マレーシアの独立に関する歴史的な資料や写真
を集めて展示してある。

 そこで、「発見」した、日本占領に関する説明文の原文と筆者による仮訳をご紹介したい。          
        (1999年8月4日)

 Japanese Occupation in Malaya 1941-1945

Malaya was also affected by the Second World War when on 8 Dec. 1941, the Japanese army launched
massive attacks through Kota Bharu, Kelantan, thus destroying every vestige of the British defence
forces stationed there.

The spirit and strength of the British army was severely affected by the sinking of the British naval
ships, Prince of Wales and the Repulse.

On 15 Feb. 1942, the British, led by General Percival, officially surrendered to the Japanese. Thus
begun a new colonialisation of Malaya by an Asian Power.

Although Malaya experienced destruction economically and socially during the Japanese Occupation,
politically it was a reawakening for the population of Malaya.

The Malayas began to be conscious of the fact that Britain was not an invincible power.

In other words, Japanese success rekindled the spirit of independence from western power, for the
Malays.

(略)

Although Japanese Occupattion brought economic and social difficulties to a large number of the
population, their arrival and success in putting down the Western Forces roused the spirit of the Asian
society.

Asians thus became more confident in themselves and less idolizing towards the Westerners.

The rise of Japanese power and influence also hastend the process of the struggle towards
independence for Malaya.

 Surrendering of the Japanese Sword Ceremony

General Itagaki is seen handing over his sward to Lieutenant General Messervy, the Commanding
Officer of Malaya, followed by other military officers at the Surrendering of Japanese Sword Ceremony
in Victoria Institution in Kuala Lumpur on 22 Feb. 1946.

Though the Japanese Military Administration had caused economic and social difficulties, it had to some
extent brought about a radical political change in Malaya.

The Japanese victory over the British in such a short period(70days) had instilled awarness among the
Malay nationalists that the British colonialist were not as invincible as they were thought to be.

Altought the Japanese had surrendered, their occupation had left a mark inspiring the Malayas to
continue their struggle for the independence of Malaya.

 マラヤにおける日本占領 1941-1945

 1941年12月8日に日本軍がクランタン州、コタバルに上陸作戦を開始し、駐留していたイ
ギリス軍を跡形もなく駆逐した時から、マラヤもまた第二次世界大戦の渦中に巻き込まれるこ
とになりました。

 軍紀と強さを誇ったイギリス軍は、戦艦プリンス・オブ・ウェールズとリパルスが撃沈されたこ
とで大きな痛手を受けました

 1942年2月15日、パーシバル将軍に率いられたイギリス軍は正式に日本軍に降伏し、ここ
にアジアの国によるマラヤの新たな植民地化が始まりました。

 日本の占領によってマラヤは経済的、社会的な大打撃を受けましたが、政治的にはマラヤの
人々にとって「覚醒」ともいえるものでした。

 マラヤの人々はイギリスが「無敵」ではないことに気づき始めたのです。言い換えれば、日本
の成功が西洋列強からの独立の精神を再び燃え上がらせたということです。

(略)

 日本の占領は多くの人々に経済的、社会的困難をもたらしましたが、彼らの登場と西洋列強
を打ち負かした成功はアジア精神なるものを喚起させました。  アジア人たちは自らに対する
自信を取り戻し、西洋人に対する崇拝の念を失っていったのです。

 日本の力が増し、日本の影響力が強まることで、マラヤ人の独立に向けた闘争が加速され
ていきました。

日本刀引渡しの儀式

 1946年2月22日、クアラルンプールのビクトリア協会での降伏の儀式で、板垣将軍はマラ
ヤの司令官マサヴィー中将に刀を引渡し、ほかの幹部たちもこれに続きました。

 日本の軍政が経済的、社会的な困難をもたらしたことは確かですが、ある意味ではマラヤに
劇的な政治変化をもたらしました。

 日本がわずか70日という短い期間にイギリスを打ち負かしたことはマラヤの民族主義者たち
にイギリス植民地主義者は思ったほど「無敵」ではないという意識を植え付けました。

 日本は降伏しましたが、日本の占領はマラヤの人々が独立に向けて闘争を続ける火種を残
したのです。

http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/010807.htm
日マ関係を回顧する(1)ーマレーシアで感じる日本人へのまなざし

 4月にマハティール首相著「A New Deal for Asia」(日本語版は「日本再生・アジア新生」、たちばな出版)が
出版され、その内容が新聞に紹介されたが、日本との関係についての言及が多いのに驚いた。以下は同記
事の日本に関する部分である。

*   *   *   *   *

 マハティール氏はマラヤが日本に占領された時代、日本人がいかにしてイギリスを打ち負かしたか、日本人
がどんなに規律正しい国民であるかを目のあたりにし、次のように述べている。

「このことは、私に衝撃を与え、のちに、ディシプリンさえあれば、ほとんど何事でも成し遂げら
れるのだと確信するに至った。かくして私たちは目覚め、強い意志さえあれば、日本人のよう
になれるのだ、という自信を与えられたのだ」

 歴史を下って、

「アジアの奇跡が謳われた時代、大きな役割を果したのは外国からの援助ではなく、外国から
の直接投資であった。マレーシアに大挙してやってきたのは、日本企業だった。今日、日系企
業の生産はマレーシアのGDPの23%を占めている」

 第2章はアジアの価値観とアジア更生のための日本の役割について書かれている。

*   *   *   *   *

 ところで、マハティール氏は1970年に「The Malay Dilemma」という本を出している。1983年に出版され
た日本語版「マレー・ジレンマ」(勁草書房)に同氏が寄せた「ルック・イースト政策について」という一文には、
1981年に提唱された同政策の主意が次のように記されている。

「マレーシアはこれまで、西洋の影響を強く受けてきた。それは決して悪いことではなかった
が、今や西洋は、その価値観の基本である個人主義の弊害が出始め、衰退の兆しを見せて
いる。 他方、アジアに目を転じると、日本や韓国が個人の利益よりも集団の利益を優先させ
て、めざまし発展を遂げている。この集団や国が個人よりも重要であると言う哲学が生み出し
た労働倫理---規律、忠誠、勤勉など---をマレーシア人に学ばせ、マレーシアを豊かな国に
発展させたい」

 戦後の日マ関係の基本に、マハティール首相や他の指導者たちに大なり小なりこのような歴史観があった
ことを忘れてはならないだろう。 そして、それは直接、間接的にマレーシアの対日観に影響を及ぼしてきた。

 一部に、過去の日本の所謂「侵略」や「軍国主義」に対する批判の声もあるが、マレーシア人の多くは、過去
に拘泥することなく、未来を志向しているように思う。21世紀に向けて日本は何をなすべきか、どんな役割を
果たすのか、と言う課題にこそ注目している。

 このマレーシア人の心の広さを、我々日本人は大切に受けとめなければいけないと思う。

http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/010808.htm
日マ関係を回顧する(2)ー拙い日本語で語られたある日マ交流史

http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/000824.htm
マレーシアの親日家たち(3)−アブドゥル・ラザク先生

http://www.yorozubp.com/9901/990121.htm
韓国の神さまでもある松尾神社

http://www.yorozubp.com/9909/990916.htm
悲しむべき東洋民族間の憎み

http://www.yorozubp.com/9909/990928.htm
続 悲しむべき東洋民族間の憎しみ

http://www.yorozubp.com/0005/000519.htm
「右翼ポピュリズム」−石原発言についてドイツから考える−

 「歴史認識」と一口でいってもこのように錯綜としており、「東京裁判の呪縛をとく」などと張切っても自己批判の
精神が欠如すると、かえってその「呪縛」に陥るようである。

#ここでは都知事のことをいっていますが、まったく同じことが朝日新聞および朝日史観信者のみなさまにもいえることです。
#天皇の戦争責任を問うとかいって、一方で自分の責任・自己批判精神の欠如は、都知事のミラー左右反転コピーです。




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