陰謀説にも飽きました

 ★阿修羅♪

[ フォローアップ ] [ フォローアップを投稿 ] [ ★阿修羅♪ Ψ空耳の丘Ψ12 ]

投稿者 ‘AA‘ 日時 2001 年 2 月 21 日 11:37:00:

こういうのを読みますと何だかいろいろな陰謀説にも興味を感
じなくなりました。


転載

可能性の検討


誰もが気がついている事ではあるが、
地球の人類は、そのまま膨らませれば、必ず割れると解っている
文明という風船に、空気を送り続けているようなものだ。

しかも、それは、どう計算しても、
あと僅かな時間で割れることは確実だ。

では、一体どうしたらいいのか、
どうしたら生存できるかと言う、
「毎度お馴染みの問題」を人間たちが考えるとき、
もしも「この地球の上で」生存しようとするならば、
まともに考えてゆけば、
核・電気・ガス・水道の設備とその技術を排除しなければならないだろう。

そして貨幣制度を廃止し、人口を大幅に減らす以外には
手立てはない。

つまり、きわめて原始的な生活形態に逆行する以外に手立てはないのである。
・・・・・・・・・

実際、奇妙なことに、いわゆるチャネラーや意識旅行者の認識によれば、
西暦3500年近辺の地球上には、いかなる科学施設もない。

また、人類は全裸で暮らしている。
食物というものは味覚経験以外には価値を持たず、
生存に必要なエネルギーは、いわゆる霊的振動の吸収によって行われる。

そしてまた肉体は裸体であっても、独自の保護フィールドに包まれている。
こんな話は、どこかで聞いたことがある者も多いだろう。
・・・・・・・・・

さて、現在の人類が仮に火星に移住したところで、
人間が「何を喜びとするか」という意識に変化がないかぎり、
地球よりも狭いその惑星は、あっと言う間に地球の2番煎じ
をやることになるだろう。

物事の管理が計画的であるのは最初のうちだけで、
いずれ火星は地球と同じ運命をたどることになる。

私の直観によれば実際には火星移住は決して成功しない。
第一、そこはもともと地球人の管理すべき土地ではないからだ。
あなたたちの目に見えるかどうかは別としても、
ある種の先住民が火星を管理している以上は、
地球から送り込まれる探査機の多くは、着陸を拒否されり故障するだろう。

さて、しかし仮に人類がこの地上で「後戻り」をしようとしても
そこには、大きな問題は山積みになっている。

地球には、生活必需品を作り出すのではない、なくてもいい
ような産業が無数にある。
我々消費者は、何もこんなに多くのインスタント食品や化粧品や
電化製品を作ってくれなどと企業に頼んだ覚えはない。

だが企業の経済発展のために、必要のない新製品というものが
作り続けられ、そして我々消費者もまたそれを買い続けた。
・・・・・・・・・

核/電気/ガス/水道と通信や移動手段の交通は残して、
最低限の衣食住の設備を確保するようにしたとしても、
そのためには、その他の無数の企業をすべて廃業にしなけれ
ばならないが、それは失業者と社会的混乱を生み出すことになる。

また、理想的には国民のすべてが自分が自給できる農地を
持たねばならないが、それは人口から言って不可能だ。
・・・・・・・・・

つまり、地球人類が、もう一度、あたかも
エーリッヒ・ショイルマンの『パパラギ』に出てくるような
南海の人々のような暮らしになるためには、
どう考えても、何らかの異変が人口を現在の100分の1か
1000分の1にする必要が出てくるのである。

水も食料も、ありあまるほど自然の中にあり、
決して我々の自然な肉体にとって苛酷な気候の土地には住まず、
質素な住居の中に住むという、
まるで南海の楽園の人々のように生きて死ぬためには、
結局は、手製の道具と火の利用以外のすべての文明を
捨てなければならないのだ。
・・・・・・・・・

しかも、単に貨幣制度を捨てたり、余計な科学技術を捨てるだけ
ではなく、人類のその日々の単純なる原始的生活の上に、
「一体何を幸福として感じるか」という根本的な変化がなければなるまい。
・・・・・・・・・

生活用具の発達、火の利用、油性燃料の発見、医療の発達、
火薬の発明、電気の発見、デジタル技術、
言うまでもなく、これらがここ数万年の地球人類の物質的な大きな変化の
ターニングポイントだった。

今後の地球でも、新しい技術が今の社会や自然環境を
なんとかできると思い込んでいる者もいるようだし、
科学と自然は共存できると考えているようだが、
科学と自然は共存できても、今の人間の精神状態では
自然とは決して共存できないというのが現実なのである。

実際、もしも仮にSFのように、すべての生き物の言葉が
人間の言葉に変換される技術でも開発されたら、人類は、
どれほど多くの生物を殺すか解ったものではないだろう。

隣人でさえ、単なる言葉のすれ違いで殺すような者たちが、
動物たちのその正直な言葉に立腹しないわけがあるまい。
・・・・・・・・・

このような現実への推測から、多くの者は無意識的にであれ、
自分をも含めて、人類の大半が死滅するか、
突然変異的に人間の感性や価値観が根本的に変わってしまう以外には、
暴走するこの「狂気の経済」が停止する手段はないと感じている
ことだろう。

そうした正直な願望が、ある意味では地球上の人類の大半を
消去するための無意識レベルでの引き金となるのも、ご周知の通りである。

実際問題として、アンケートを取れば、
「どうせ社会全体として多くの者が死ぬならば、
死ぬのもそれは別にかまわない」と思う者は多いはずだ。

それだけ、人間は自分たちが作り出したこの今の世界を、
おおいに嫌っているのも現状なのである。

現在の社会の中では、死ぬことや貧困はまるで「社会的な敗北者」
であるかのような、軽蔑をもってして見られる傾向がある。

だが、社会的な優劣の比較などしている暇もないほどの
貧困や変動が社会全体に蔓延した場合には、
そこにはプライドもなければ敗者も勝者もいない。
そのような中では、それこそ自殺というものが、ごく当たり前に
行われる時代もくることだろう。
・・・・・・・・・

人口の増加と物質の消費速度に対して、今後も科学技術は
決して追いつかないだろう。

原子構造を根本的にコントロールする事によって、
すべての物質を、完璧に自然還元、または何らかのエネルギーに
還元できる技術が開発されないかぎりは。

食料はクローン技術によってなんとかなるにしても、どのみち、消費形態が変化しなければ、何も変化はしないのである。
・・・・・・・・・

そして何よりも、何を幸福として感じるかという
「幸福感知回路」が脳に新しく再プ ログラムされないかぎりは、
結局は同じ歴史を繰り返すのみである。

しかし残念ながら、仮に、そうした意識変容が起きるとしても、それは数千年後となるだろうし、
それはまた人類の「自主的な洞察」によるものではない。

それらは機械的に外部次元から人間に対してなされるのであり、
そういう意味では、今までの人類の歴史もそうであったように、
被造物であるすべての生物は『誰か』の為の実験動物や家畜で
ある事には変わりはない。

だから我々のこうした科学文明や消費生活の愚行も、
もとはといえば我々人間が自主的に行ったわけでもなく、
脳が無管理にこうした暴走をするように『人間を設計した側』
に全責任があると言ってもよいだろう。
・・・・・・・・・

そして、今の時代に生きている我々には、
数千年後にやってくるであろう、新型の人類の世界などは、
全く関係ないのだ。

それよりも、我々にとっての最大の問題は、
現在の時点におけるこの終末的な地球で、
残った自分の寿命の年月を、いかにして苦を軽減した形で
生存するかという一点にある。

既に、物はあり余っている。だから、無駄な消費をせずに、
最低限の住居の中で、食のみを自給して暮らすというライフワークが
必要になるかもしれない。

そして最大の問題は、そうした中で、無為な時間を、
他人とのおしゃべりによってではなく、
自分たった一人で満足して過ごせるという意識である。

EO師の提示した『死人禅』の行法とは、
そうした環境の中で、始めてその本来の機能が発揮される事だろう。

EO師が言うように、
『生命と万物が、飢えて苦しみもだえて動く』のが宇宙の宿命で
あるのならば、
[その宿命とは、全く逆行してゆく死人禅の行法]によって、
あらゆる不足感[欲望]を減らすことで、
飢えて苦しむことが減り、
思考や妄想を減らすことで、
もだえて動くのが減少するであろう。

EOは言う『あなたたちには信じられないかもしれないが、
思考と感覚が超越されたら、それは、宇宙そのものを超える事とほとんど同じ事なのだ。

なぜならば、
宇宙とは、もともと単なる[思考と感覚の産物]なのだから。』


1997 4/8  方斬

-------------------------------------------------------------

虚無宇宙からの伝言


ところで精神世界では、常に魂の進化というものを人は常に幻想してきた。

未来において、人間はひとつの光に統合されると人々は思い込んでいる。

だが、彼らはその宇宙の「統合のあと」に何があるかを決して知らない。

統合の後に来るもの、それは、またしても分割と分離だ。


たまたま宇宙が統合の「季節」にある時には
「統合こそが進化だ」という考え方が自然に宇宙に蔓延しやすい。

そしてまた、その時期には、
分離した魂が統合される時に意識の中に喜びが生まれる
という構造になっている。

だから、この統合の時期には、エネルギーの高次元への上昇という考え方が、
あちこちで蔓延し、それが多くの宇宙の民族に単に好まれる。

ところが、一旦、実際にその統合がなされると、
その一体化した光の中では、そのあまりの変化のない退屈さから
今度は、宇宙を分割して分離し、再びエネルギーを低レベルに落として、
宇宙のいたるところで自我や個別性や、物質的な創造行為を始めるのである。

この時期には、逆に物事を分割し、ひとつであったものを、
どんどんと孤立した個別性の中に魂を引き離して、
分離を繰り返しゆく事こそが「幸福」」として感じられることになり、
多くの宇宙民族は、それを指針として生きて行く。

もともと、ひとつであった宇宙を分割したり物質化させて
次元を低くしたりすることを、
もしも悪魔の仕業であるなどとあなたたちが言うのならば、
この、みずみずしい地球や世界を作ったのは紛れもなく悪魔たちの功績だ。


逆に、もしも統合や光への回帰を目標とするならば、
それはとどのつまりはこの物質界を上昇させて高密度の振動に
還元してしまう事になり、
それは、このみずみずしい世界の側にとっては、
世界を焼き尽くす天使たちによる破壊仕業でしかない。

今、たまたま、地球や銀河系が今は統合期にあるから、
そこでは「光への回帰」などというものがまかり通っているが、
わずか数千年で、そのスローガンは一転して、
『もう一度光を分離して、世界や分別や悪徳や自我を作らねば、
宇宙は進化できなくなってしまう』という事が、
当たり前の常識になってしまうのである。

事実、たった今現在の、この銀河系におけるあらゆる意識の
分断や個別性、そして地球における人間の混乱も、すべては、
もとはと言えば、退屈しきった『ひとつの光』のヒステリーに
よってなされたものだからだ。

哀れにも、地球人は、それを『神の創造の遊び』と呼んでいるようだが、
正確に言うならば、ビッグバーンとは、退屈のあまり
『宇宙がプッツン』したという事にすぎないわけである。

その分割作業が、あまりにも行き過ぎた極にゆくと、今度は
「統合だ」と、これまた単に『プッツン』するということである。

残念ながらこの統合と分離のうんざりするような『繰り返し』が
宇宙というものであり、そのような意味では、
小宇宙の基本的な構造は、故イツアク・ベントフ氏が提唱した
『トーラス状』の宇宙である可能性が高い。

その『ゆるやかなビッグバーン宇宙』の流れ中で、
たまたま、その小宇宙が、ブラックホールへと向かう流れの位置にいれば、
そこでは統合が進化として強調され、
たまたま、もしも、その小宇宙がホワイトホールから出たばかりの
流れの位置にいれば、分割こそが進化として強調される事になるのである。


統合も、分割も、天使も悪魔も、光も闇も、つまるところは、
相対性の中にあり、どちらも共に宇宙を回すための、
小さな小さな部品でしかないのである。


この宇宙の機構そのものから離脱しようとする者がいるとしたら、
その者たちこそが、唯一本当のブッダたちなのである。

だから彼らは、宇宙のどんな場所、どんな時代の中にいても、
愛や光への統合を強調もしなければ、創造性や分割をも強調しない。

彼らは、いつでも常に『絶対無』を強調するのみである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


転載元URL

http://www.age.ne.jp/x /mumyouan/index.html






フォローアップ:



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。