投稿者 YM 日時 2001 年 2 月 12 日 21:53:41:
回答先: 浅見定雄「統一教会と癒着するジャーナリスト」(週金344号) 投稿者 YM 日時 2001 年 2 月 12 日 21:51:05:
「『強制改宗」めぐる攻防」裁判と本誌の立場
宗教ジャーナリスト室生忠さんが本誌2000年3〜8月号に執筆した連載「知
られざる『強制改宗』めぐる攻防」に対して、昨年6月、浅見定雄・元東北学院
大教授から名誉棄損訴訟が起こされた。既に公判は数回に及ぶが、ここで本誌の
立場を改めて明らかにしておきたい。というのも、先方は法廷外でも幾つかのメ
ディアを使って室生さんを非難。それもどちらかというと本誌のスタンスに近い
メディアであるため、読者から、事情を説明してほしいとの声が寄せられるよう
になったからである。
連載を読んでくれていた読者はご存じと思うが、本誌としては室生さんの連載を
問題提起と位置付け、誌上で論争を起こそうと考えていた。ところが批判された
側には応じてもらえず、裁判に至ってしまったのである。これまでも本誌はオウ
ム問題など多くのテーマをめぐって対立する双方の意見を載せてきたのだが、統
一教会をめぐる対立は論争も成立しない深刻なものであるようだ。室生さんは
「統一教会寄り」とか「統一教会と癒着」といったレッテルを貼られて攻撃され
ることになってしまったのである。
本誌は統一教会に対しては批判的だが、たとえどんな教団であろうと、そこから
脱会させるためには手段を選ばぬといった考え方には反対だし、一部とはいえ日
本において強制棄教が行われてきたのは事実のようだ。したがって、なぜ日本に
おいて欧米では否定されている強制棄教が行われてきたかを家族のあり方や宗
教、精神的風土にまで立ち入って分析検証したいという室生さんの持ち込み企画
を掲載したのだった。
もちろん室生さんと本誌の考え方が全く同じということではないし、編集者と同
じ意見でないと載せないというのでは雑誌は成立しない。だから本誌にできるこ
とは、室生さんの提起に対して異論があるならば、それをも掲載して議論を深め
ていくことだった。
私怨に基づく攻撃やダメにする批判であれば、即座に裁判を起こすのも当然だろ
うが、少なくとも本誌は室生さんの問題提起はそういうものではないと判断し
た。もし論争の過程で事実誤認があれば誌上で訂正していくことで対応できると
考えた。
奇妙なことに、浅見元教授は本誌での論争は拒否したが、『週刊金曜日』に載せ
た論考に対して室生さんの反論を同誌が載せたため、結果的に誌上論争が繰り広
げられている。今回、室生さんから『週刊金曜日』での反論で掲載されなかった
部分を本誌に載せてほしいという申し出があった。本誌では論争が成立しておら
ず、結果的に室生さんの意見のみが掲載されることになってしまうのだが、投稿
扱いとして掲載することにした。裁判の過程でも本誌は当初のスタンスを変えて
いない。ただこのテーマで論争を成立させるのがいかに困難かを改めて認識し
た。
拉致・監禁を伴う強制棄教の問題を、統一教会等当事者以外で初めて提起したの
はジャーナリストの米本和広さんだが(宝島社刊『教祖逮捕』に収録)、これに
ついても反統一教会の牧師などから「今どうしてこの問題を取り上げるのか」と
いう非難が寄せられたという。反統一教会運動にとってマイナスだといった政治
的思惑から、「強制改宗」をめぐる議論がタブーになってしまうことを、本誌は
最も怖れるものである。
【投稿】「『強制改宗』めぐる攻防」執筆の意図
室生忠
私は本誌2000年3〜8月号に「知られざる『強制改宗』めぐる攻防」を執筆
した。物理力を伴う布教が許されないと同時に、拉致監禁などの物理力を伴う棄
教強要も許されない。大手メディアが封印して語らない「強制棄教」の実態を明
らかにして、その是非を問う問題提起の連載だった。
ところが昨年6月、元東北学院大学教授の浅見定雄氏が、私の記述の4カ所が名
誉棄損に当たるとして、私と本誌の篠田編集長を東京地裁に提訴。これに便乗し
て茶本繁正氏(ジャーナリスト)が『放送レポート』(メディア総合研究所)
11月号に、また有田芳生氏(同)がインターネットのホームページに私を誹誇
する文章を掲載し、果ては浅見氏本人が『週刊金曜日』(金曜日)344号
(2000年12月15日号)に「統一協会と癒着するジャーナリスト」と題す
る文章を書いて私の名誉を棄損した。私はこれらに逐一抗議と反論の掲載要求を
行い、とくに浅見氏の文章に対しては『週刊金曜日』347号(2001年1月
19日号)に「名誉を棄損されたのは私の方だ」という反論文を執筆した。
私の連載に名誉棄損は存在しない。この提訴は、浅見氏が篠田氏に対する準備書
面で「原告の評価を下げる記事が毎月のように発行され、原告の評価がさらに下
がっていくことについての危倶を覚え、今回の提訴に踏み切った」と明言してい
るように、自己保身と連載の中止を意図した言い揖かり訴訟である。
浅見氏は日本に「強制棄教」は存在しないと強弁しているが、昨年8月、統一教
会信者の女性(成人)が自分の両親とプロテスタント牧師を相手取って、二度と
拉致監禁や棄教強要を行ってはならないとする不作為請求などを求めた「鳥取・
監禁裁判」に、鳥取地裁が原告勝訴の判決を下した(被告側は控訴)。
この判決を受けて、自らの〃脱会活動〃の在り方をも見直すべき浅見氏や茶木
氏、有田氏らは〃室生は統一教会と癒着している〃という中傷を流すことで、
「強制棄教」の存在の事実と責任の所在を隠蔽しようとしている。
いわゆる〃カルト〃信者に人権はなく、その信仰は物理的に破壊しても構わない
という考え方は誤りである。法治国家においては目的は手段を正当化せず、献金
問題などのトラブルの是正と、信仰の破壊の是非は別論だ。その違いを無視して
行動する反〃カルト〃の体質がむしろ〃カルト性〃を、つまり閉鎖性や批判拒
否、言論統制の衝動、独善性などの反社会的な傾向を生み出している。
メディアの責任も厳しく問われなければならない。現在のマスコミは〃カルト〃
のレッテルさえ貼れば、どんな報道でも許されるといわんばかりの風潮一色に染
まっている。ここには、現代社会に起きている、あってはならない強制棄教を是
は是、非は非として見据える、マスコミとして当然の報道姿勢は見られない。人
権侵害を容認しているメディアに、猛省を求める所以である。