投稿者 くま 日時 2001 年 2 月 10 日 00:21:00:
回答先: 謹慎中ですが・・・ 投稿者 くま 日時 2001 年 2 月 09 日 21:47:39:
誤解を招くといけないので・・・
凶悪犯罪を犯したにもかかわらず、「責任能力がなかった」として「無罪」にするということに対して、「ひどい」と僕は言っているのではない。
「偽装・責任能力はなかった」事件が頻発していると言っているのだ。
たとえば、西村真吾の地元で起きた「バスジャック事件」に「岩崎家惨殺事件」。
テレビのニュースキャスターも「このような何の因果関係もなく、何の罪もない人が蒙る被害」、そして「気違いの始末の悪さ」というが、統計的にも、殺人事件などはそのほとんどが健常者によるものなのだ。また、「気違い」対「健常者」というものからいっても、「健常者」は「気違い」を「何の因果関係もなく、何の罪もない」のに、表には出ないところで、イジめ、辱め、また病院などは「殺して」きたか。・・・
つまり、大分で起きたような残虐な事件なども、また、昨今話題にあがる頻発する「責任能力がなかった」事件も、統計学的にいってもおかしいものだし、現実にそれらの事件を検証してみても、おかしいものだ、といえるのである。
大和市の神奈川警県警察官射殺事件というのもあった。あれは覚醒剤による錯乱だと言われているが・・・
(前に大和市の警官射殺事件に関連して記した、この神奈川県警の「盗聴裁判」とは、被害者が国、神奈川県などに対しておこした損害賠償請求訴訟である)。
・・・
「サクラ」という符合で呼ばれていた集団があった。結成は1952年である。
”「サクラ」とは、全国の公安警察において行われる限りなく非合法に近い、あるいは非合法そのものの活動を統括する組織だった。また公安警察が運営する協力者獲得作業の指示、あるいは管理を一手に引き受ける機関であった。組織の全貌は、今も厚いベールに包まれている。[日本の公安警察/青木理著]”
ここでいう「公安警察」というのは、警察庁警備局のことであり、その中の公安一課が運営にあたったが、この「サクラ」を統括するキャップは「理事官職」でありながら、警察庁の組織名簿からは名が消される秘匿性を特徴とした。それは、上の作業から考えれば当然の防護策であったともいえる。ちなみに、「協力者」というのはスパイのことである。また、公安調査庁も独自に同じようなことをやっているということは書き加えておきたい。
この「サクラ」の実行部隊となっていたのは各都道府県警の「公安」業務を行う警備部の四係だったが、初期の「サクラ」部隊の教育には旧陸軍の諜報機関の人間があたったということである。
「サクラ」という符合名の由来は不明のようだ。1937年の20万英ポンドのアヘンの密輸で、東京毎日新聞社社長の藤田勇に密輸の使いを頼む陸軍中佐の長勇は「桜会」なる団体に属していたのだが、公安の「サクラ」とその「桜」は無関係なのだろうか。というのは、この国の支配者図というのは非常に狭いということがあるからである。また、組織の謀略的な性格も関東軍と一面共通するところがあるからである。
たとえば、この長勇についても、この男は前に記した沖縄における細川護偵の日記にも登場する人間である。また、「南京大虐殺」でも活躍した人間である。
また、次の1952年に公安機関が起こした「菅生事件」と呼ばれる謀略事件は紛れもなく陸軍が満州で行った「柳条湖事件」を真似たものだろう。「菅生」というと、僕などは、「お祓いでもしてもらったらどうだ?」と星野一義が言った一ヶ月間の最後として「菅生サーキット」で不可解な事故死を遂げた萩原光を思い出すのだが、無論「お祓い」をしなければならぬようなことを死んだ彼のところでやっていたのは、他ならぬXXXXXたちである。
”事件が起きたのは講和条約発効直前の1952年6月2日、日付が変わったばかりの午前零時半ごろのことだった。場所は熊本との県境に近い大分県直入群菅生村(現・竹田市菅生)。標高約600メートルほどの高原地帯にある住戸数わずか350程度の人里離れた寒村だった。
当時、夜の早い村民たちはすでに寝静まり、村は深い闇と静寂に覆われていた。だが突如として鳴り響いた激しい爆発音によって、一瞬にして静寂は切り裂かれる。村の中央を貫いて大分−熊本を結ぶ県道に面した駐在所が爆破された瞬間だった。
事件は奇怪な展開を見せた。事件発生時、現場近くにはなぜか数十人もの警察官がすでに待機しており、直後に近くを通りかかった二人の共産党員をあっという間に取り押さえ、’犯人’は一瞬にして逮捕されたのである。さらに現場付近には新聞記者までが待ち受け、事件直後には早くも周辺で取材活動を展開していた。記事は翌日の新聞に大きく掲載される。駐在所巡査の妻との会見記だった。
「私は昨夜、駐在所が爆破されるのを知っていました。主人から今夜共産党が駐在所に爆弾を投げ込みに来ると聞かされました」
なぜ、このような寒村で起きた「爆弾テロ」の発生時、大量の警察官が現場で待機していたのか。そしてなぜ、新聞記者までが居合わせたのか。謎ばかりが多い事件だった。[日本の公安警察/青木理著]”
逮捕された共産党員らは1955年大分地裁の法廷で有罪の判決を言い渡された。
ところが、1958年にその大分地裁は原判決を破棄し、無罪の判決を下した。
実はその後明らかにされたことによると真犯人は、その逮捕された二人の共産党員を、自分との待ち合わせという用事を作り(彼はスパイとしてもぐりこんでいた)その夜その時間に爆破現場の近くを通るように仕向けた戸高公徳という当時国家地方警察大分県本部に所属する公安警察官だったのだ。
この公安警察官を、厚顔無恥な、類稀なる破廉恥漢と思われる方は、XXを使ってイタズラした女の子にお尻を突き出させるようなヤラセをやらせて得意がっているようなXXXXXなどの厚顔無恥さをどのように考えるだろうか。
ところで、この真犯人はそこ後どうなっただろうか。
”謀略工作のため投入されていた公安警察官、戸高公徳はその後、どうなったのか。
大分地裁は戸高を爆発物取締罰則違反で起訴し、その後福岡高裁も戸高の有罪を認定したが、結局は「爆発物に関する情報を警察の上司に報告したことが自首にあたる」として刑を免除される。驚くべきはこの後の戸高に対する処遇だった。警察庁は有罪判決からわずか3ヶ月後、警部補としての復職を認めたのである。
当時の警察庁人事課長はこんなコメントを出している。
「上司の命令でやむを得ず関係した気の毒な立場を考慮した。今後も同じような犠牲者が出た場合を考えテストケースとしたい」
復職後の戸高は警察大学校教授、警察庁装備・人事課長補佐などを歴任して警視の地位まで昇任。85年、警察大学校術科教養部長を最後に退官した。ノンキャリアの公安警察官としては異例の出世だった。
事件から37年以上もの時を経た1989年10月25日。いわゆる「パチンコ疑惑」の論戦が繰り広げられた参院予算委員会
で、再び「戸高公徳」の名が物議を醸す。
取り上げたのは社会党議員の梶原敬義。梶原は、警察職員や家族を対象にした障害保険代理業を目的に設立され、職員の四分の三を警察OBが占める「たいよう共済」の常務に、問題人物が就任していることを明らかにした。戸高公徳のことだった。
「たいよう共済」は、パチンコ業界にプリペイカードを導入しようと設立された「日本レジャーカードシステム」の資本金のうち9パーセントを出資しており、梶原は「かつて陰謀工作に関与した人物が、こんなところにも顔を出している。たいよう共済を警察の身代わりにして業界を取り仕切ろうとしている疑いが強い」などとい訴えた。
手元にある「たいよう共済」の法人登記簿をめくる。確かに「戸高公徳」の名前は刻まれていた。それによると、戸高は1987年同社の代表取締役に就任。95年5月まで役員を務めていた。
菅生事件の’亡霊’は事件から40年以上を経ても警察組織の中枢でひっそりと息づいていた。そしてプリペイカードは、今も巨大な警察利権の一つと指摘されている。[同]”
「日本レジャーカードシステム」は1988年に、たいよう共済の他に、三菱商事、NTTデータ通信によって設立され、警察庁OBが役員として天下っている。
パチンコのプリペイカードシステムは、パチンコ店が反対するのを警察庁が利権獲得のために強引に制度化させたものである。また、プリペイカードに三菱商事やNTTを引き込んだのは、亀井静香の庄原市の件に関った人脈からも名が出てくる「コスモワールド」の熊取谷稔のようであり、その熊取谷は赤坂の高級料亭の「満ん賀ん」を通して小沢一郎に、稲川会にと繋がっていく。この稲川会は千葉県柏市の「カーサ」で店員の高村サチコという名の女の子の頭を拳銃で撃って殺した組員が所属するところだが、その射殺事件は名古屋の住友銀行の畑中支店長射殺事件(はやり頭を撃たれている。普通の人が頭を撃たれ殺されるというのは、日本ではこれが最初ではないかと思われる)の後に起きており、住友商事がプリペイカードで「日本ゲームカード」を設立していてたことなども考えると(「日本レジャーカードシステム」は「日本ゲームカード」と偽造プリペイカードの件で激しく対立していた)、偶然とはいえないようなものを感じさせる。住友商事ではその後、横浜の社宅で社員の妻の戸田正美さんが、福岡の刑務所を出たばかりの男に殺されたが、この殺人事件は三菱重工の工場のXXXXXのXXXXとからめて行われた。犯人は戸田正美さんの殺害後、オウム教があった山梨の上九一色村に行き潜伏した。
ちなみに、畑中支店長射殺犯たちは、XXXXXのXXXXを使い「近藤」という男を身代わりとして逮捕させたが(この「近藤」は今でも三菱重工の工場でXXXXで使われているが、XXXX右翼の会社の「XXXX」からきている)、この射殺犯たちは、オウム教との関係も囁かれ、暴力団幹部や裏技専門の弁護士でつくる麻原被告直属の「オウム顧問団」なども作っているというその殺人請負組織の集団のようである。ところで、統一協会の霊感商法の中軸会社だった「ハッピーワールド」の顧問弁護士を務めていた元外務大臣の高村正彦(この男は、額賀(当時の防衛庁長官)と共に、テポドン騒動の時、電光石火、アメリカに渡り、「TMD」の商談を成立させてきた)は、当然裏技専門の弁護士だったのだろうか?・・・・・・
僕の場合、こういう「菅生事件」のようなマッチポンプ事件のことを読んでも、事件そのものにはXXXXXのそれで慣れっこにさせられているので別にそれほど驚かないのだが、それが今に至るまで「息づいて」いる線があること、また新聞社も登場するということで興味深いのでとりあげた。
ともあれ、この「サクラ」は1987年に消滅し、今では警察庁の警備局公安一課から、同警備企画課に担当部署がかわり、実行部隊の符合名も「チヨダ」と改められている。しかし、作業の内容も、またキャップも前と同じように組織図から名前が消されるという秘匿性なども、「サクラ」をそのまま継承した集団といえそうだ。
この「サクラ」が1987年に表向き解体されたのは、神奈川県警の警備部公安一課に所属する公安警察官による、共産党の国際部長を務めていた緒方靖夫宅の盗聴工作が発覚したためであった。無論その盗聴が「サクラ」の指示したものであったからだろう。また元公安警察官で、当時大手電機メーカーの労務部(日本ではこの部署は総じて、健全な労組を偽装労組化するための、或は偽装労組化させた後は、それを維持・管理するための業務を行うところであるといっていいのだろう)にいた人間もこの事件には関っている。
この盗聴事件は、オウム教に殺害された坂本弁護士が勤める弁護士事務所がその被害者側の弁護士を務めていたなど、何かしら未だに霧がかかっているような事件である。ちなみに、坂本弁護士一家を殺害した実行犯は、これも濃い黒い霧がかかったような審理が行われているオウム教の裁判の結論とは違い、その後に宅見組組長を白昼射殺している中野会とされている。
もう一つその盗聴事件にはどす黒い霧がかかっている。その神奈川県警による盗聴事件の裁判が行われた直後に、同じ神奈川県内の大和市で、「覚醒剤による錯乱状態にあった」とされる男による警察官の射殺事件が発生したことである。この「錯乱状態にあった」男は、アメリカ映画のワンショットのように車で逃亡し(このような「カーチェイス」はアメリカではよく起こることだろうが、日本ではこれが最初である。しかし、これ以後では幾つか起きている。同じような、不審に思える射殺カーチェイス事件も起こっている)、他ならぬくだんの盗聴機事件の舞台となった町田市に正確に(?)辿りつき、民家にたてこもった。連合赤軍による浅間山山荘事件のことを一瞬思い起こさせるようなものでもある。
この射殺逃亡劇には不穏な疑問が幾つかあがっている。その一つは、射殺されることになる警察官に、拳銃を持たさず犯人の所に行かせたこと、また、逃亡した町田では、山狩りの際、犯人が隠れていた場所だけ何故か捜索が行われなかったということなどである。
しかし、何より、その「無目的だったイカれた男」による神奈川県警の警察官射殺という事件が、「それに比べたら盗聴が何だ!」と言っているように思えることなのである。
この神奈川県警の公安警察が行った盗聴事件の裁判では、その後の裁判の直後に、今度は「偶然に」九州で暴力団による拳銃発砲事件が続発して、日本中を騒然とさせた。